氷解アイオン5
アイオンはその場に座って、静かに目を閉じていた。
喉の周囲から、白い冷気が激しく噴き出している。
(氷結化の範囲が背中にまで広がって、霜がついている……。一度穿刺をして、氷を抜かないとだめか)
私は、アイオンを心配そうに見つめているオスカー様へ視線を向けた。
「明日、アイオンの体力の回復を待ってから、氷管の氷を取り除こうと思います」
「わかりました。よろしくお願いします」
オスカー様は沈痛な面持ちで、深くうなずいた。
「本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。それに、アイオンのことだけでなく、我々のことも助けてくださってありがとうございます」
「ありがとうございます」
オスカー様に倣って、マクシミリアン様も同じように感謝を告げた。
彼の声や態度からは、先ほどまでの敵意は感じない。
「いえ、そんな、気になさらないでください」
私はアイオンに視線を戻した。
この様子だと、夜中に氷結化の痛みを訴えるかもしれない。今日はずっとそばにいた方が安全だろう。
「私が見ていますから、おふたりはお休みください。長旅でお疲れでしょう」
「フィルナ様が? まさか、夜通しアイオンのそばに?」
「はい。ですから、安心してお休みください」
「ですが、それではフィルナ様に負担が……」
「そんなことはありませんよ。仮眠もとりますし、きちんと防寒対策をしますから!」
安心させようと言葉を重ねるほど、オスカー様は困ったような顔をした。
すると、マクシミリアン様が静かに訊ねた。
「なぜ、あなたはそこまでしてくださるのですか?」
警戒しているわけではなく、彼は純粋な疑問からそう問いかけたようだ。
私は少しの間考える。
アイオンがエアルで、オスカー様が私だったら。
竜医師が、「無理だ。治せない」と言ったとしたら、私はきっと絶望するだろう。
こんな胸の痛みや苦しみを、誰にも味わってほしくない。
「すべての竜と、その家族を救う竜医師でありたいから……でしょうか」
そう答えると、オスカー様とマクシミリアン様が息を飲んだ。
無理だ、綺麗事だと笑われたとしても、私はそんな竜医師でありたいと願っている。
オスカー様がふわりと微笑んだ。彼の感情の高まりを示すように、目元がほんのりと染まっている。
「そんなことを言ってくれる竜医師は、初めてです」
「ええ、本当に」
「マクシミリアン、お前……泣いているのか?」
あふれた涙をこらえるマクシミリアン様の姿に、その場にいる全員がぎょっとした。
「フィルナ様のお言葉に、か、感激してしまって!」
「はは! お前の気持ちもわかるよ。こんなに寄り添ってくれる人はいなかったものな」
オスカー様が優しく声をかけて、マクシミリアン様の肩に触れる。
マクシミリアン様はぐずぐずと鼻をすすりながら、何度もうなずいた。
よくも悪くも、自分の感情に素直な人なのかもしれない。
「不気味な光景だ」
ヘリアス様が嫌そうな顔でつぶやくので、ちょっと笑ってしまった。
「フィルナ。私も今日はここで眠ろう」
「え? ヘリアス様もですか?」
「あなたがきちんと仮眠を取っているか、そのための監視だ」
「監視!?」
「あなたは放っておくと無茶をしそうだ」
「だ、大丈夫です! きちんと眠ります! 以前、ヘリアス様と約束しましたから」
「だろうな。私ならきっと約束させる」
ヘリアス様は、なぜか得意げにうなずいた。
私が彼の忠告を聞かずに徹夜をしたことは、覚えていないはずなのに……。
無茶をする人だと思われているのなら、これから気をつけないと。
「私はきちんと休みますので、ヘリアス様もお休みください。ヘリアス様だってお疲れなのに」
「あなたも同じだろう。それに、一日二日の徹夜で倒れるほど柔な鍛え方はしていない。迷惑でなければ、そばにいさせてくれ」
「迷惑だなんて、そんなことはありません! むしろ心強いです」
「そうか」
ヘリアス様が優しく目を細めた。
彼の後ろで、ラインさんが手を上げて言った。
「当然、俺もお供しますよ。氷の掃除でも何でもお手伝いします」
「ラインさん! ありがとうございます、助かります!」
「いえいえ! あ、ちょっと、ヘリアス様……お前はいらないって顔しないでくださいよ」
「していない」
ヘリアス様はむすっとしたように視線をそらした。
そこへ、オスカー様も控えめに手を上げて言った。
「私もお供してもよろしいですか? 寒さには慣れておりますし、少しでもアイオンのそばにいたいのです。マクシミリアン、お前はどうする?」
「もちろん私もお供します。ただ、その前に」
マクシミリアン様は片膝をついて、私に向けて頭を下げた。
「まずは、数々のご無礼を謝罪いたします。申し訳ありませんでした!」
「顔を上げてください、マクシミリアン様、あなたの謝罪はすでに受け取りましたよ」
マクシミリアン様は頭を下げたまま、首を横に振った。
「あなたは、帝国の竜騎士である私たちや帝国の竜にも、分け隔てなく手を差し伸べてくださいました。私も、そのお心に報いたい」
彼はようやく顔を上げた。
「どうか何なりとお申し付けください、フィルナ様。力には自信がありますので!」
と、彼は目を輝かせた。
オスカー様は苦笑し、ヘリアス様は嫌そうに顔をゆがめた。
「言っておくが、たとえフィルナが許しても、私は許していないからな」
「もちろんです!」
「返事だけはいいが……」
ヘリアス様は小さくため息をついて、オスカー様をじろっと見やった。
「オスカー殿、あなたはどうなんだ。自分の竜にこの男を関わらせていいのか。私なら絶対に近寄らせないが」
「マクシミリアンのやったことを許すつもりはありません。アイオンにも、そしてフィルナ様たちにも迷惑をかけましたから。それでも……」
オスカー様はマクシミリアン様を見て、申し訳なさそうな顔をして言った。
「アイオンのために、私について来てくれた男です。彼の罪を、私も一緒に背負います」
「あなたがそう言うのなら、これ以上何も言わない」
短くそう告げて、ヘリアス様はこの話題を終わらせた。
その後、ヘリアス様は一度城に戻ると言って、ラインさんとともに竜舎を出ていった。
マクシミリアン様もオスカー様に声をかけて、防寒具を取りに外へ出た。
補助竜医師の数も少なくなり、静けさが訪れる。
すると、背後からアイオンの鳴き声が上がった。
狼が遠吠えをするように、天を仰いで悲しげに鳴いている。
子竜が母親を呼ぶ声とよく似ていた。
「たくさん不安なことがあったから、安心するためにオスカー様を呼んでいるのでしょうね」
オスカー様はアイオンを見つめたまま、黙っていた。
「オスカー様?」
「フィルナ様。アイオンの安全装置を解除できませんか?」
「え……」
安全装置とは、竜が必ず人を守るように訓練することを指す俗称で、実際にはそのような仕掛けは取りつけられていない。
それほど特別な訓練ではなく、子竜の時から一緒に過ごし、深い信頼関係を築くことで、竜は自然と相棒を守るようになる。
または、人を優先的に守るように訓練を施す家もある。
「アイオンの安全装置を解除したいのですか?」
つまりそれは、アイオンとの絆を断ち切ると言ってもいい。
オスカー様は迷いなくうなずいた。
「はい。いざとなれば私を捨てて、自分の命を優先してほしいのです」
「それは……」
竜騎士の中には、自分よりも竜の命を優先する者たちがいる。
その気持ちは痛いほどわかるけれど……。
「申し訳ありません。安全装置を解除する方法は、わからなくて」
そもそも、解除しようと思ってできるものではない。
竜の心を操ったり、それこそ記憶を操らなければ無理な話だ。
ふと、ルイス様から貰った竜笛を思い出す。教会なら、そういった術を知っている可能性はあるけれど。
「そうでしたか。すみません、変なことを言って。どうか、このことは忘れてください」
オスカー様は寂しげに微笑み、それから竜房に近づいた。
「おいで、アイオン。私はここにいるよ」
そう声をかけて、鉄格子の間から手を差しこみ、アイオンへ伸ばす。
アイオンはようやく鳴くのをやめて、オスカー様の手にすりすりと頭を擦りつけた。
「ごめん。ごめんよ、アイオン。私はここにいるよ」
「キュウゥ……」
オスカー様の謝罪が、凍りついた竜舎内に寂しく響く。
いざとなれば……。彼にそんな時が迫っているというのだろうか。
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