氷解アイオン4
隔離竜舎の中は、喉を刺すような冷気が満ちていた。
「これは……!」
声とともに吐き出した息が白い。
竜房の中がどこも凍りついている。
アイオンは苦しそうに唸り、顔を左右に振り回している。
そのわずかに開いた口から、ぽこんと小さな青白い玉が飛び出して、近くの壁にぶつかった。
玉が弾けると、瞬時に壁が凍りつき、パキパキと氷の枝が伸びていく。
(力が暴走している!)
鉄格子の近くには、補助竜医師の他にオスカー様とマクシミリアン様がいた。
オスカー様が悲痛な声で呼びかける。
「アイオン、落ち着いて! 大丈夫だから!」
「ギャア!」
アイオンはオスカー様の声が聞こえていないのか、地面に向かって叫び声を上げた。
口から吐き出された冷気で床が凍り、そこから鋭いトゲのようなものがいくつも伸びた。
「うわ!」
「オスカー様、下がって!」
私は彼を庇うように前に出て、竜笛を吹いた。
アイオンの動きがぴたりと止まり、こちらを見る。けれど、すぐに視線が別の場所へと向いてしまった。
竜笛の指示を聞かないほど興奮している。何か原因があるはずだ。
(このまま暴走がつづけば、アイオンの氷結化が進行してしまうし、怪我人が出る。早く落ち着かせてあげないと……!)
それに、氷属性に耐えられる竜房ではないから、このままだと竜舎そのものが崩壊してしまう。
私は補助竜医師たちに指示を出した。
「すぐに鎮静薬を散布してください!」
「わかりました!」
補助竜医師たちが鎮静薬を用意する間に、私はマシーシャさんに事情を訊ねた。
「それで、マシーシャさん。一体何が起きたのですか?」
「それが、様子を見にきたら、すでにこの状態で……」
「フィルナ様! これはあなたの責任ではないか!」
マクシミリアン様の怒号が飛んだ。
「これだからインヴィディアの竜医師は信用ならんのだ! あなたがアイオンに何かしたのだろう!」
「落ち着いてください。今はアイオンを鎮める方が先です」
「そうやって我々を言いくるめるおつもりか! 自分の責任だと認めたくないようだな!」
「違います」
「どうだかな! いいか、帝国竜の、それも『神竜』の位を持つアイオンが死ねば、あなたがその責任をすべて負うことを忘れるな! 我々は絶対にあなたを許しは――」
まだ何か言いかけようとするマクシミリアン様を、怒気を含んだヘリアス様の声がさえぎった。
「黙れ、喚くな」
「なっ!?」
鋭くにらまれ、マクシミリアン様は怯えたように後退りした。
「インヴィディアの竜医師が信用ならないらしいが、そもそもアイオンをここまで連れてきたのは、あなた方帝国竜騎士ではないか。竜騎士を名乗るのなら、己の行動に責任を持て」
「ぐっ……! しかし、アイオンを受け入れ、治療すると決めたのはフィルナ様でしょう!」
その時、すべての声をかき消すようにアイオンが叫び、氷の塊が弾丸のように飛んできた。
ヘリアス様は、驚いて硬直してしまったマクシミリアン様を突き飛ばし、火花をまとった剣で横に薙いだ。
氷は粉砕され、瞬く間に蒸発した。
「ひ、ひぃ!?」
マクシミリアン様が腰を抜かし、尻餅をつく。
アイオンの低い唸りとともに、今度は床に氷が広がった。
その氷は一直線に伸び、這うようにしてマクシミリアン様へと迫る。
「だめ!」
私は咄嗟に短剣を抜き、赤く輝くその剣先を迫る氷に突き立てた。
ジュッと音を立てて白い煙が上がり、氷の勢いが止まった。
(エアルの鱗を使った短剣に新調してよかった!)
ほっと息をつき、背後で呆然としているマクシミリアン様を振り返る。
「お怪我はありませんか?」
「あ……ありがとう、ございます」
マクシミリアン様は我に返ったようにまばたきして、ぎこちなくお礼を言った。
再びアイオンに視線を戻すと、喉に違和感があるのか、口を開けたり閉じたりしていた。
(もしかして、喉に何か詰まってる? それを吐き出そうとしているのかもしれない!)
そう考えた私は、竜舎内にある調合室に向かい、そこの棚から小さな青い玉状の薬を手に取った。
刺激玉と言って、直接竜に飲ませる催吐薬と違って効果は弱いけれど、竜房に入ることなく竜の嘔吐を誘発することができる薬だ。
「みなさん、離れて! 嗅いだら吐きますよ!」
そう警告し、私は刺激玉をアイオンの足元に叩きつけた。
刺激玉は簡単に割れて、中から青い煙が上がる。
すると、アイオンが身体をびくりと震わせ、ごぽっと音を立てて口から丸い氷を吐き出した。
ゴトンッと音を立てて転がった氷は、薄く茶色に濁っていた。
鉄格子の間を転がり抜けてきた氷を拾い上げ、鼻に近づける。
血かと思ったけれど、これは……。
「滋養強壮薬のにおい?」
そうつぶやくと、「あ」と背後で声が漏れた。
振り返ると、マクシミリアン様が真っ青な顔でこちらを見ていた。
「マクシミリアン。お前、まさか……」
オスカー様が驚愕した様子でマクシミリアン様を見ると、彼は慌てて首を横に振った。
「違います! 滋養強壮薬を与えたわけではありません!」
「では、なぜ怯えた顔をしているんだ。お前は、私がここに来る前に何をしたんだ」
オスカー様がそう訊ねると、マクシミリアン様は声を震わせて語り始めた。
「アイオンは喉が渇いている様子でした。水の入った桶は設置されていますが、環境が違うからか、そこから飲もうとしませんでした。ですので、我々が持ってきていた桶に水を入れて飲ませたのです」
「その桶は、もしかして……」
マクシミリアン様はぎこちなくうなずいた。
「はい。普段から、滋養強壮薬を入れて飲ませていた桶です。洗っていなくても、大丈夫だろうと、思って……」
彼は声を詰まらせながら、そう告白した。
私は手の中の氷玉を見下ろし、それからアイオンに視線を向けた。
まだ落ち着かない様子でうろうろしているけれど、喉の異物を吐き出してスッキリしたのと、鎮静薬を散布されたことで、先ほどまでの暴走状態は収まったようだ。
「アイオンは、桶に残った少量の薬が効いて興奮状態になってしまった。そして、水を飲んだ時に一部が氷結化の影響で固まって、パニックになってしまった……そういうことですね」
私はマクシミリアン様に視線を向けた。
「竜舎を出る前に説明しましたが、竜房内に設置している水には、飲んだものが完全に喉で凍らないように薬が入っています。アイオンの異変を見つけたら、今度からは補助竜医師や私に声をかけてください」
私の説明を聞き終えると、ヘリアス様は、かっと眉を跳ね上げ、マクシミリアン様に向けて雷鳴のような怒声を響かせた。
「マクシミリアン、貴様……その耳は飾りか! 今まで何を聞いていた!」
「ひぃっ!? も、申し訳ありません! 薬を与えるつもりではなかったのです!」
「やかましい! あれほどフィルナに注意されていたというのに竜を危険にさらすなど、何を考えている!」
「うぅ、返す言葉もありません……」
「マクシミリアン」
オスカー様の、静かな怒りを宿した声が響いた。
マクシミリアン様はびくびくと怯えながら、オスカー様を見た。
「私は……私はアイオンを助けたいから、インヴィディアまで来たんだ。お前も私と同じ気持ちだと思っていたのに……違ったのか?」
怒りよりも深い悲しみに満ちたその表情に、マクシミリアン様は言葉を失い、それからうなだれた。
怒鳴られるよりも、悲しまれる方が堪えたのだろう。
「オスカー様。私のアイオンを助けたいと思う気持ちは本物でございます。信じてはもらえないでしょうが……」
重苦しい沈黙が流れる。
追い打ちをかけるつもりはないけれど、私は深くうなだれているマクシミリアン様に言った。
「今のアイオンは、滋養強壮薬ですら毒となります。私が嫌いでも構いませんから、指示には従ってください。アイオンの命を守るために」
「は、はい。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした……」
彼は私に反論することもなく、悄然とうなずいた。




