氷解アイオン3
素人同然のインヴィディアの竜医師……。
それを聞いた補助竜医師たちが、むっとした顔でマクシミリアン様をにらんだ。
何度目かのオスカー様の叱責が飛ぶ。
「いい加減にしないか!」
「私はおかしなことを言ったつもりはありませんよ」
マクシミリアン様は不機嫌そうに言って、視線をそらした。
何度叱ろうとも態度を直さない彼に、オスカー様は困り果てたようにため息をついた。
その時、彼らの背後で、額に青筋を立てて剣の柄に手を添えているヘリアス様と、恐ろしいほどにこにこ笑っているラインさんの姿が見えて、思わずぎょっとなる。
(ヘリアス様たちが剣を抜く前に、何とかしないと!)
私は、不機嫌そうに腕を組んでいるマクシミリアン様に視線を戻した。
彼は根っからの帝国竜騎士といった感じで、かつては敵国だったインヴィディア王国の人間が気に食わないのかもしれない。
仕方ない……。私は手元にある木箱に視線を落とした。
元々興味もあったから、いい機会だ。
「では、確認させていただきますね」
「は?」
目を丸くしたマクシミリアン様の前で、私はその滋養強壮薬を手に取り、ペロリと舐めた。
舌を刺激する感覚に、ビクッと肩が震えた。
まさか舐めるとは思っていなかったのか、オスカー様とマクシミリアン様は呆気に取られた様子だった。
今まで黙って見守ってくださっていたヘリアス様が、いつになくあせった様子で言った。
「フィルナ、大丈夫なのか!? その薬は、人間も卒倒すると言われているのだろう?」
私はあふれるつばを飲みこんでから、あえて微笑んで見せた。
「大丈夫です。これくらいなら、人体に影響はありません」
影響はありませんが、不味すぎて吐きそうです。
私は平静を装いながら、内心ではその強烈な味にのたうち回りそうだった。
額に大量の汗が噴き出して、笑顔が引きつる。涙までにじんできた。
(うわぁぁぁぁ! まっっずい! 不味いよぉ……!)
強烈な苦味と甘味が交互に舌を刺激して、痛みなのか不味さなのかよくわからなくなってくる。
強がってはいるけれど、本当はかなりつらかった。
でも、ヘリアス様に情けないところを見られたくなくて、涙をぐっとこらえる。
オスカー様とマクシミリアン様は、「すごいなこの人」という顔で私を見ていた。
私は呼吸を整えてから、口を開いた。
「おおよそ、何が使用されているのかわかりました。やはり、興奮作用のあるハーブも使用されていますし、強いストレスを感じてるアイオンに与えるのは、やめた方がいいと思います」
「わ、わかりました。それにしても、においや味だけでそこまでわかってしまうなんて、さすがです……!」
目を輝かせるオスカー様の隣で、マクシミリアン様は苛立ちと困惑の入り混じった表情を浮かべて言った。
「なぜ舐めたのですか!? とんでもなく不味いでしょう! 気を失ったらどうするつもりなのですか!」
味を想像したのか、マクシミリアン様が顔をひきつらせる。
ああ、この人も舐めたことがあるんだな、と思うとちょっと笑ってしまう。
「氷竜のことを、何も知らないとおっしゃいましたから」
「私への当てつけのおつもりか!」
「いいえ。あなたがおっしゃった通り、私は氷竜について何も知らないのです。だから知りたかった。帝国が信頼する薬のことや、それがアイオンにどのような影響を与えるのかを」
私は、おふたりの顔を交互に見た。
「大切な家族のために他国に渡ったおふたりの覚悟を、私が裏切りたくありません。この竜医師になら大切な家族を任せてもいいのだと、安心してもらいたいのです」
マクシミリアン様は一瞬たじろいだ様子で、不機嫌そうに顔をそらした。
「マクシミリアン。フィルナ様がここまで身体を張ってくださったというのに、まだ不満なのか?」
「ですがオスカー様、彼女はインヴィディアの竜医師で……」
「私は国など関係なく、フィルナ様を信頼している。お前は私の判断が誤りだと、そう言いたいのか?」
オスカー様に冷たくにらまれ、マクシミリアン様は怯んだように口をつぐんだ。
けれど、彼の表情にはまだ不満がくすぶっている。
納得してもらうには、まだ時間がかかりそうだ。
◇◇◇
アイオンを迎えた初めての夜。
私は執務室でしばらく書類に目を通してから、敷地内にあるハーブ園に向かった。
アイオンのストレスを和らげる薬を調合し、明日はそれを試してみようと思ったからだ。
竜舎を出る前、私はオスカー様にアイオンのストレスについて心当たりはないかと訊ねてみた。
オスカー様は、少し考えた素振りを見せて答えた。
「ここしばらく、クリスタロス家が騒がしかったからでしょうか」
「騒がしかった……。差し支えなければ、どのように騒がしかったのか、教えてもらってもよろしいですか」
「そうですね。竜と竜騎士を多く迎えたので、それでアイオンも落ち着かなかったのかもしれません」
彼の表情に嘘はないけれど、すべて答えてくれたわけでもなさそうだった。
(竜と竜騎士を多く迎えたということは、近々戦いが起きるということかしら。帝国側の事情は、簡単に教えられないということね)
戦いの気配がストレスの原因だと考えられなくもないけれど、私には別の理由があるように思えた。
「とりあえず、アイオンのための薬を調合しないと」
私はハーブ園に足を踏み入れた。
ガラスで囲まれた温室の中には、夜光石の柔らかな光が満ちている。
昼には生き生きと輝いていたハーブは、夜になると、まるで眠っているように静かに影を揺らしていた。
ミントのようなすっきりとした香りや、花の甘い香りに包まれて、心が落ち着く。
しばらく目を閉じて、心地よい香りに包まれていると、背後から声が上がった。
「今から薬の調合か?」
「ヘリアス様!」
振り返ると、そこには軽装姿のヘリアス様が立っていた。
念のためか、腰から剣を下げている。
「アイオンのストレスを気にしていたが、そのための薬か」
「はい! 身体に負担のかからないものを作っておきたくて」
「そうか。アイオンの状態はどうだ?」
「あまりよくありません。食事をするのも億劫なようなので、明日状態を確認して、氷管の穿刺を行うか判断します」
「そうか、わかった」
わずかな沈黙が流れて、そこでふと、ポケットに入れたままになっている竜笛のことを思い出した。
「記憶の件、延期になってしまいましたね」
「そうだな。さすがに帝国の竜騎士たちの滞在中には行えない。それにもし私の記憶が混乱してしまったら、あなたにもアイオンにも迷惑をかけてしまうだろう。しばらくはこのままだ」
そう言って、彼は私の隣に並んだ。
その横顔に恐れの影はなく、またあせりも感じない。
「本当にあの竜笛で記憶が戻るか怪しいものだが、今はその竜笛以外に記憶を戻す手がかりはない」
「そうですね」
「……不安か?」
私ははっとして、ヘリアス様を見つめた。彼は労るような眼差しでこちらを見ている。
「竜笛を使うと決めてから、どこか思い詰めた顔をしている」
「申し訳ありません……。ヘリアス様に何かあったらと考えてしまって」
私の脳裏に、記憶を失った瞬間のヘリアス様の姿が浮かび上がる。
完全に脱力した身体に、固く閉ざされたまぶた……。
彼を永遠に失ったと思ったあの時の衝撃と悲しみがよみがえり、背筋が寒くなる。
(大丈夫。記憶を戻すだけ)
そう言い聞かせて、早まった鼓動を落ち着かせる。
(しっかりしなきゃ。大変な目に遭っているのはヘリアス様の方なのに、私は自分のことばかり考えてる)
私は微笑みを浮かべて、震えそうになる声を抑えて言った。
「弱音を吐いてしまって、すみません。私なら大丈夫です。もし竜笛で、今度は記憶をすべて失うようなことがあったとしても……私は何度だってあなたに――」
「フィルナ」
言葉をさえぎるように手を取られ、両手で包みこまれる。手袋をしていない温かい手が心地よくて、肩から力が抜けた。
「あなたは、この世界が幸せなことばかりではないと知っている。だからこそ、『何かあったら』と考える。『私は大丈夫だ』と、自分に言い聞かせる」
心を直接包みこむような優しい声に、かすかに視界がにじんだ。
「だからこそ誓おう。私は必ず、あなたのもとに戻る」
「ヘリアス様……」
「戻るという言い方はおかしいか? だが、たとえすべての記憶を失ったとしても、心配しなくていい。あなたへの想いをつづった手紙を、私宛てに用意しておいた」
「え!?」
驚いて声を裏返らせた私を見て、ヘリアス様は一瞬優しく目を細め、それから真剣な顔をして言った。
「だからといって、あなたの不安や悲しみをすべて消し去れるとは思わない。不安ならば何度でも言葉を交わそう。愛した竜と愛した人たちに会いにいこう。あなたのそばには、あなたの涙を拭ってくれる者たちがたくさんいる」
あなたはひとりではない。そう慰めるように、彼の指が優しく私の目元を拭う。
私は彼の手に、自分の手を重ねた。
「わがままを言っても許されるのなら……不安や悲しみを抱えることになったとしても、この涙を拭う手はヘリアス様であってほしいです」
「フィルナ」
ヘリアス様は目を見張った。
支えてくれる人がいることは、とても幸せなことだ。
それでも、私の心の一番弱い部分を見せる相手は、ヘリアス様でありたい。
だから、必ず目覚めて戻ってきてください。そう伝えるように、私は彼の目を見つめた。
その時、遠くから、マシーシャさんの叫び声が聞こえてきた。
「フィルナ様! どこですか!」
「私はここです! 何かあったのですか?」
急いでハーブ園から出ると、マシーシャさんは息を切らしながら私に駆け寄った。
「た、大変なんです! アイオンの様子が突然おかしくなって……!」
マシーシャさんの言葉を聞き終わる前に、私は駆け出していた。
次回更新は1/21です。




