氷解アイオン7
フロリアンさんはゆっくりと私の周りを歩きながら、疑わしげな口調で言った。
「それに、あなたにはセイレニア教と通じているのではないかという疑惑が浮上しております」
「私がセイレニア教と?」
「ええ。大型ラドロンが現れるところには必ず、あなたがいる。何らかの繋がりを疑うのも当然でしょう?」
私は胸の前で、きゅっと右手をにぎった。
(私を心理的に追い詰めて、反応を見ているんだ……)
容疑者扱いをされて、胸の奥でさざ波が立った。
ここで挑発に乗れば相手の思う壺だ。
そう心を落ち着けて、私は平静な声で答えた。
「私にやましいことなど何ひとつありません。調査を受けることで私の潔白が証明されるのなら、むしろありがたいことです」
求めていた反応が得られなかったからか、フロリアンさんは苛立った顔をして言った。
「ずいぶん余裕そうですね。これだから、竜医師という連中は……」
「調査団員というだけで、ずいぶん強気に出ますねぇ。法の執行者気取りですか?」
皮肉っぽく笑いながら、ラインさんが現れた。
彼は私を庇うようにして、間に割って入った。
「そもそも、あなた方の調査に公平性が保たれているのか疑問に思いますよ」
「どういう意味ですか」
「ルネ・レーゲンホルツ男爵がエレスチャルを虐待していたと判断した調査団員は、虐待を告発した貴族から莫大な賄賂を受け取っていたことが判明し、逮捕されたというではありませんか」
痛いところを突かれたというように、フロリアンさんが視線をそらした。
「我々を調査する調査団員が、すでに何者かに買収されている可能性があると思うと、こちらは不安で仕方がありません。我々を調査する前に、まずは自らの潔白を証明してもらえませんか?」
ラインさんの刃のように鋭い声に、フロリアンさんは一瞬怯んだ様子を見せ、そのまま無言で去っていった。
ラインさんはその背中を愉快そうに見送ってから、こちらに向き直った。
「奥様、ご不快な思いをさせて申し訳ありません」
「いえ、そんな! ラインさんが謝ることではありませんよ。むしろ、私がアルトリーゼ家に迷惑を……」
「奥様が自分を責める必要は、まったくありません」
ラインさんはこちらを労るように、優しく微笑んだ。
「ここには、奥様がセイレニア教と繋がっているなどと考える者はひとりもいませんし、迷惑をかけられているなんて誰も思いません。だから、ひとりで戦おうとなさらないで。俺たちがお支えしますから」
彼の心強い言葉に、強張った身体から力が抜けていく。
「……ありがとうございます、ラインさん」
「いえいえ。今の俺、最高にかっこよかったですね」
「ふふ! ええ、とても」
「奥様に笑顔が戻ってよかったです」
明るく笑っていたラインさんは、すぐに申し訳なさそうな顔をした。
「というか、奥様は本当に何も悪くないどころか、完全にとばっちりだと思います」
「どういうことですか?」
「元々うちは、『メルキオール』の件で調査団に目をつけられているんです。セイレニア教云々は嫌がらせの口実ですよ、まったく」
ラインさんは肩をすくめた。
メルキオール。ヘリアス様のお父様、オリアス・アルトリーゼに仕えた三賢者のうちのひとりが騎乗した竜の名前だ。
五年前の反乱で、相棒を守るために亡くなった竜と言われていて、安全装置の名を世界に広めた竜でもある。
(ルクスリア帝国にもその名は伝わってるはず。だからこそ、オスカー様も安全装置のことを知っていた)
どんな竜だったのだろう。そして、その場に居合わせたヘリアス様たちは何を見て、何を思っただろう……。
「奥様」
ラインさんの声で、深く沈みそうになった思考が途切れる。
「ヘリアス様の執務室へ向かう途中ですよね。俺もご一緒させてください」
「もちろんです」
私たちは、ヘリアス様の執務室に向かって歩き始めた。
これからも調査団がやってくるのなら、いつかメルキオールの話を聞く機会があるかもしれない。
今はアイオンの治療を優先しないと。
執務室に入ると、ヘリアス様が報告書から顔を上げた。
アイオンのことを報告する前に、ラインさんが先ほどの出来事を報告した。
「フィルナが治療に失敗し、戦争が起きる? セイレニアと通じているだと?」
ヘリアス様の目が鋭さを増し、バキッとペンが折れた。
とても怒っていらっしゃる。
ひとりで慌てている私の隣で、ラインさんは生き生きとした表情で言った。
「ええ、ずいぶん偉そうにしていましたよ。ですが、奥様にやり返されて、悔しそうに帰っていきました」
「それは、ラインさんが助けてくださったからですよ」
「いやいや、奥様の言葉で弱っていたところを追撃しただけです。あの時の奥様、かっこよかったですよ」
ヘリアス様は私たちの話を聞き終えると、「……そうか」と小さくつぶやいた。
「嫌な思いをさせてすまなかった。だが、私もあなたの活躍をこの目で見てみたかった」
「いえ、活躍というほどのことは、何も……」
ヘリアス様は優しく目を細めたあと、真剣な表情になって言った。
「セイレニア教の件はもちろん、戦争の件も気にする必要はない。やつら、調査団を名乗っているくせに何も知らないからな」
「何も知らない、というのは?」
「帝国はこちらに戦争を仕掛ける余裕はない。内乱で手一杯だ」
「内乱……」
ヘリアス様によると、ルクスリア帝国の現皇帝は高齢であり、現在は寝たきり状態となっているという。
けれど、皇帝には後継となる男児がおらず、娘たちが嫁いだアストロモロス公爵家とクリスタロス侯爵家のいずれかから、次代の皇帝が選ばれることとなった。
「皇帝はアストロモロス公爵家を選んだと言われている」
「その決定に、クリスタロス侯爵が反発した……」
「そうだ」
ヘリアス様は複雑そうな顔をして、静かにため息をついた。
「皇帝は『政治を思い通りに操り、皇帝を蔑ろにしたクリスタロスを討伐せよ』と、公爵に勅命を出す。クリスタロス侯爵も退くつもりはないらしい」
「だから、インヴィディア王国と戦争を起こしている余裕がないのですね」
「ああ。両家は姻戚関係のはずだが、権力に目が眩むと、何も考えられなくなるようだ」
オスカー様が、「竜と竜騎士を多く迎えた」と言っていた意味がわかった。
権力争いのために、人や竜が駆り出される。
無意識に、拳をぎゅっとにぎっていた。戦いによって、血が流れる。命が失われる。
私が治療しているアイオンも、いつか……。そう思うと胸が苦しくて、私の中の正しさが揺らぎそうになる。
(悩んで立ち止まってはいられない。氷結化はアイオンの命を蝕んでいる。私は竜医師として、必ずアイオンを助ける)
心の中で改めて決意し、私は顔を上げた。
「これから戦いが起きるから、クリスタロス侯爵はアイオンの治療を許可したのですね」
「そういうことだ。一頭でも多く強い竜を確保しておきたいのだろう」
「強い竜を……」
その言葉が引っかかった。
内乱になると考えたなら、どの家も強い竜を確保したいと考えたはず。
いや、違う。強い竜じゃなくて、今いる竜を強くしようと考えた。
「まさか……!」
「どうした?」
「氷結化の原因がわかったかもしれません!」
ヘリアス様とラインさんが目を丸くした。
「本当か!」
「え? 何がきっかけで!?」
「ヘリアス様のおかげです!」
ヘリアス様は不思議そうに首を傾げた。
「私は何も言っていないが」
「いえ、ヘリアス様のおかげなのです! ありがとうございます!」
「そうか」
ヘリアス様は満足そうにうなずいた。
それを見て、ラインさんがあきれた口調で言った。
「いや、そこは聞きましょうよ」
「フィルナが嬉しそうだ。役に立てて嬉しい」
「だめだ、この人」
ふたりのいつも通りのやりとりに、私は小さく笑った。
内乱の話で張りつめていた心が、少しずつほぐれていく。
その後、調合室に向かった私は、薬の材料を次々と作業台に並べた。
色とりどりのハーブや鉱石の粉末が、所狭しと作業台を埋めていく。
「クリスタロス侯爵やアストロモロス公爵は、以前から内乱を想定し、氷竜をより強い竜にしたいと考えたはずです」
「そうだろうな」
ヘリアス様はうなずき、ラインさんも静かに話を聞いている。
私は作業台に、オスカー様からお借りした木箱を置いた。
「強い氷竜にするにはどうすればいいのか……。彼らはきっと、新しい滋養強壮薬を作ろうと考えたはずです」
「まさか、その新しい薬が氷結化の原因なのか?」
私は大きくうなずいた。
「オスカー様は、今年に入って体調を崩す竜が多くなったと言っていました。恐らく、その新しい薬を摂取したことにより氷管に影響が出て、属性攻撃を撃てなくなったり、氷結化を発症したりしたのでしょう」
「そういうことか……」
私は木箱の蓋を開けて、中の薬に視線を落とした。
「家ごとにアレンジが加えられているとしても、元は同じ薬です。どの家も同じことを考え、結局は似た配合になる。公爵家でも氷結化が発症しているのは、新しい薬が原因だと思います」
「なるほどな。氷結化の原因がその薬なら、薬の摂取をやめさせれば治るということか?」
「これ以上、悪化することはなくなると思います。ただ、薬の成分が体内に蓄積している可能性がありますから、どの材料が氷結化の原因になっているのか調べなければなりません」
材料が判明すれば、蓄積された成分を排出する方法もわかってくる。
私が木箱に手を伸ばすと、その手をヘリアス様につかまれた。
「まさかとは思うが、その薬をまた舐めるつもりか? 竜の身体を害した薬を」
すうっと目を細めて怖い顔をするヘリアス様に、私は慌てて首を横に振った。
「も、もう舐めません! においを参考にしようと思いまして!」
「そうか。竜のためとはいえ、決して口にしないように」
「わかりました!」
ヘリアス様はじっと私を見つめてから、そっと手を離した。
心配をおかけしたことを申し訳なく思いながらも、何だか嬉しくなってしまう。
私はヘリアス様の視線を感じながら、木箱を鼻に近づけた。
そして、テーブルの薬瓶を手に取り、使用されているものを選んでいく。
しばらくして、私はひとつの薬瓶を手に取った。
中には黒い粉末が入っている。不思議と、粒がひとつひとつキラキラと輝いて見えた。
「……見つけた」
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