祝福のエレスチャル11
平原の至る所に、イーリス教に関係する古代の建造物がそのまま残されている。
普段は竜の訓練所として使用されているけれど、観光名所でもあるため、逃げ惑う観光客の姿も見受けられた。
彼らの背後を、異常個体と思われるラドロンたちが狙っている。大型ラドロンの姿は見えない。
「助けて! こんなの聞いてない!」
聞き覚えのある悲鳴が聞こえ、そちらに視線を向けると、ドレスを振り乱しながら必死に逃げるシセラ様の姿があった。
「ドゥルキス」
ヘリアス様が合図を出し、ドゥルキスの背中から飛び降りた。
ドゥルキスは大きく口を開き、シセラ様に迫るラドロンたちを焼き払う。
ヘリアス様は空中で剣を抜き放ち、落下の勢いをそのままに、炎から逃れてシセラ様に迫っていたラドロンを刺し貫いた。
直後、地面を砕くような衝撃音が響き渡り、ラドロンは地面に埋まって絶命していた。
「お兄様? ああ、やっぱりお兄様!」
シセラ様が涙を流しながらヘリアス様に抱きついた。
ヘリアス様は嫌そうに顔をゆがませる。でも、怯える女性を邪険に扱うこともできず、やんわりと身体を引きはがしていた。
私はエアルを地面に降ろしながらその光景を見ていたけれど、嫉妬以前にヘリアス様に同情してしまった。
「シセラ、ここで何があった」
「わかりません! エレスチャルの訓練をしようと思っていたら、突然目の前に巨大な魔物が現れて……私、とても怖くて!」
シセラ様はポロポロと涙をこぼし、声を詰まらせながら説明した。
そして、怯えたようにヘリアス様の右腕に抱きつくと、甘えるように上目遣いに見た。
「でもお兄様なら、シセラを助けてくれると思っていました!」
「怪我がないならいい。剣を持つ手に触れるな、離れろ」
ヘリアス様が再びシセラ様を引きはがす。
あからさまな拒絶にも折れる様子のないシセラ様に、私は次第に恐怖を覚える。
(いえ、それよりも今は人命と竜の救助が先だわ。エレスチャルはどこに?)
私は地面に降り立ち、急いで周囲を見渡した。
視界の先には、翼の欠けた竜の銅像や、用途のわからない建造物ばかりが広がっていた。
どこにもあの美しい竜の姿はない。
「素敵ね」
竜騎士たちに避難誘導されている観光客の女性の声が聞こえてきた。
彼女はヘリアス様とシセラ様を見ていた。
「ねえ、あのふたり、恋人同士かしら? 竜騎士の恋人が駆けつけてくれるなんて羨ましいわ!」
「何だかお似合いね」
他にも似たようなことを言う人たちがいた。
彼らの視線に気づいたのか、シセラ様は先ほどより大きな声で泣き始めた。あえて注目を集めるかのように。
すごく嫌な気持ちが胸にあふれるけれど、今はそれを気にしている場合じゃない。
「シセラ様、エレスチャルはどこにいるのですか?」
「え? ああ」
シセラ様は今になってその存在を思い出したらしく、涙を拭いながら言った。
「あの子は、私を庇って魔物に立ち向かっていきました」
「魔物に立ち向かって!? 今どこにいるんですか!」
「えっと、あそこの倒れた塔の近くだったかしら?」
最後まで聞き終わる前に駆け出していた。
足元には、草を押し潰した大きな足跡がつづいている。
間違いなく、大型ラドロンがここにいた。
そして、私はようやくエレスチャルを発見した。
塔に寄りかかるように力なく倒れている姿を見て、心臓がドッと大きく跳ねる。
美しかった金色の長毛は血に染まり、細長いトゲのようなものが背中や肋骨の間にいくつも突き刺さっている。
「エレスチャル!」
ぐったりとしたその身体に駆け寄り、呼吸を確認する。息はある。そして、トゲは幸いにも心臓に達していない。
ただ、このままにしておけば命が危うい。
私はこちらに駆け寄ってくるマシーシャさんに向かって叫んだ。
「マシーシャさん、竜を呼んでください! アルトリーゼ家に運びます!」
「わ、わかりました!」
マシーシャさんはすぐに引き返し、指示笛を吹いて竜騎士たちに応援を頼んでくれた。
(その間に私はこのトゲが何なのか、毒を持っていないか、よく観察しないと)
本来、ラドロンにトゲはない。何か別の魔物と掛け合わされた種類なのかもしれない。
私は苦しげに呼吸を繰り返すエレスチャルに触れて、優しく声をかけた。
「大丈夫だよ、エレスチャル。すぐに助けるからね」
エレスチャルの身体は怯えたようにぶるぶると小刻みに震えていた。
戦闘訓練の経験がないエレスチャルは、きっと応戦することができなかったはずだ。
(すごく怖くて動けなかったはず。属性攻撃を撃てたのは奇跡だわ)
すると、エレスチャルは私の方を見て、祈るように前足を合わせると何度も上下に動かした。
その動きに、私は息を飲んだ。
「これは、何を伝えようとしている?」
ヘリアス様は、私の隣に片膝をつきながらそう訊ねた。
「おそらく、芸を見せてくれているのだと思います」
「芸を?」
竜調教師は、竜を美しく歩かせたり、芸を仕込んだりするのが主な仕事だ。
だからこれは、竜調教師に教えられた芸のはず。
「きっと、褒めてもらいたいのです」
怖くて、痛くて、苦しいはずなのに、エレスチャルは芸を披露しながら、真っ直ぐな瞳で私を見つめていた。「頑張ったよ」と訴えるように。
健気なその姿に、目の奥が熱くなる。
私はその前足にそっと触れた。
「頑張ったね。えらいね。怖かったけど、シセラ様を守ったんだね」
「お前は勇敢な竜だ。本当によくやった」
ヘリアス様もそう声をかけて、労うようにエレスチャルの身体をなでた。
すると、エレスチャルは嬉しそうに目を細め、「キュルキュル」とか弱く喉を鳴らした。
「あともう少しだけ頑張って。絶対に助けるからね」
「お兄様! 置いていかないでください!」
そこへ、シセラ様が息を切らしながら走ってきた。
彼女は負傷したエレスチャルには見向きもせず、ヘリアス様の方へ近づこうとする。
「シセラは魔物に狙われているのですよ? 私のそばでずっと守って――」
「おっと! ここは危険ですよ、シセラ様」
ラインさんがふたりの間に割って入ると、シセラ様は不満そうな顔を隠しもしなかった。
その様子に怒りが湧き上がり、心臓が痛いほど脈打った。
「あなたは、大事な竜がつらい目に遭っているというのに、何も感じないのですか?」
怒りのあまり声が震えた。
非難めいた私の言葉に、シセラ様は心外そうに眉を跳ね上げる。
「もちろん、可哀想だと思ってますよ。でも、フィルナ様はとっても優秀な竜聖医なのでしょう? だったらすぐに治せますよね?」
唇の端を吊り上げて、挑発的に笑う。
どうしてこんな時に私を試そうとするの? どうして笑えるの?
「エレスチャルは」
怒りに任せて叫びそうになり、一度だけ呼吸を挟む。
「あなたにたった一言、褒めてもらいたかった。そのために、怖くても魔物に立ち向かったのです」
シセラ様はきょとんとして、
「何をおっしゃっているの? 竜が人間の言葉を理解できるはずがございませんわ」
絶句する私を見て、シセラ様は「まあ、怖い顔」とわざとらしく怯えて見せた。
「どうしてそんな目で私を見るのですか? まさか、ご自慢の銃で私を撃つおつもりで?」
「……あなたは撃つ価値すらありません」
「は!? どういう意味ですか!? まさか、弾丸がもったいないとでも言うつもりですか!」
「もういい、黙れ」
ヘリアス様の鋭い声が響き、シセラ様は口をつぐんだ。
彼は眉間に皺を刻んで、深くため息をつく。
「ライン、彼女を避難させろ」
「了解しました。さ、行きましょうか」
ラインさんがにこにこと笑顔を浮かべながら、有無を言わさずシセラ様の背中を押した。
「ちょっと、この私に触らないでくださる? ではお兄様、またあとで。フィルナ様、エレスチャルをお願いしますね?」
「あなたに治せるならね」と含んだ笑いを残して、彼女はラインさんに連れられて去っていった。
入れ替わるように、空からたくさんの竜が舞い降りてきた。
「フィルナ」
ヘリアス様の気遣うような表情に、私は「大丈夫です」とうなずいた。
今は悔しさも怒りも、ノイズにしかならない。この感情は不要だ。
私は弱々しく「キュウ、キュウ」と鳴くエレスチャルをそっとなでた。
少しでも痛みが和らぐように……。
「大丈夫だよ、エレスチャル。絶対に助けるから」
次回更新は12/8です。




