第8話 弓の道
チャイムと同時に教室が騒がしくなる。次の体育の授業に向けて女子が着替えを始めるので、男子は急いで教室から出ないといけない。
去年は女子の方が着替えに時間がかかるから教室で、男子は着替えが速いから別の場所、という事だったが、どうやら今年もそうらしい。
正直言って移動が面倒くさい。
たまには交代して欲しいのだが、口に出して言える訳もなく。大人しく更衣室に向かう。
「三峰ー。はよしろー。」
「はいはい。」
四ツ谷と体育の授業というとテニスが思い浮かぶが、今回の選択はバドミントンか弓道だった。
四ツ谷の事だから、バドミントンを選ぶだろうと思いきや、弓道を選択すると言っていたので、自分もそれに合わせてやった事もない弓道を選択している。
他の男子生徒はいつも使っている近場の更衣室に向かうが、四ツ谷は全然違う方向に進んでいく。
「四ツ谷?着替えないの?」
「こっちにも更衣室あるんだよ。」
解せないまま四ツ谷に着いていくと、弓道場の中にこぢんまりとした更衣室があった。
四ツ谷は勝手知ったる様子でロッカーを開けて準備を始める。頭の上に疑問符を浮かべていると、ようやく説明してくれた。
「俺、弓道部だから。...そこのロッカー誰も使ってないから使っていいよ。」
そう言って、四ツ谷はさっさと着替え始めた。意外な一面だなぁ、と服を脱いでいる四ツ谷を眺めていると衝撃的な光景が目に入る。
「四ツ谷!腹筋やばっ!」
「あ?...あぁ、筋トレしてるから。」
腹筋が見事にシックスパックに割れている。だからといって厚みがあり過ぎる訳ではなく、いわゆる細マッチョといった感じだ。
思わず至近距離でまじまじと見てしまい、四ツ谷は恥ずかしくなったのか身じろぎしている。
「...見過ぎ。」
急に視界が暗くなったが、どうやら手で目を覆われたようだ。
「あっ、ごめん。」
素直に引き下がり、三峰も着替え始める。腹筋が全く割れていない自分の体が視界に入った。
(俺も筋トレするか...)
体操着に着替えると、四ツ谷はそのまま道着を慣れた手つきで着け始める。
あっという間に支度が整うと、今度はちょいちょいと手招きをされた。
「卒業した先輩が置いてったやつあるから、これ借りよ。」
ロッカーから引っ張り出してきた道着を着せられる。少し埃っぽいが着れなくはない。
「ありがと。でも俺着け方分かんないよ?」
「それくらい教える。...くそっ!やっぱりこのサイズがピッタリなのかよ...」
でけぇな、とぶつぶつ言いながら着付けしてくれる。
服を着せてもらうことなど普段無いので、今度は三峰が恥ずかしくなる番になってしまった。
距離が近い上に、先ほど上裸を観察してしまった。さらに檜のようないい匂いが四ツ谷からしてくるので、無駄にドキドキする。
なんとか気持ちを落ち着けようと天を仰ぐ。
「おい。聞いてんのか。」
どうやら着せ終わったらしい。途中から全く説明を聞いてなかったのがバレたのか、不機嫌そうにしている。
「...俺には難しかった。」
「あっそ。何回かやったら覚えるから。次も着せてやるよ。」
そう言い捨てて弓道場に行ってしまった。丁度チャイムも鳴ったので、慌てて追いかける。
弓道場はそこまで広く無いが、バドミントン選択の方が圧倒的に多いので、こちらの人数は少なく丁度いい塩梅だ。
弓道部は四ツ谷ともう1人居るらしく、道着を着用している。他の生徒は体操着なので、完全に自分だけ浮いている。
「あれ?三峰のその道着って...」
「日吉先輩の貸した。」
「あぁ、なるほど。日吉先輩のなら実質四ツ谷の物だもんな。」
四ツ谷は苦虫を噛み潰したような表情をしている。部内者にしか分からない話題なので、何故四ツ谷がそんな顔をするのか見当もつかなかった。
「始めるぞ。」
先生がやってきて授業が始まる。
「先生と、四ツ谷と、相澤と...三峰は違うか。3人で他の人を教えていくから、3人ずつ射っていくように。」
道着姿なので先生にも一瞬弓道部員だと間違われた。
「なんだよ。教えるだけかよ...」
四ツ谷はあまり練習が出来ない事が分かり残念そうにしている。不貞腐れたまま三峰の方に来る。
「しゃーねーな。三峰!立派な弓道部にしてやるよ。」
にやりと笑うと、厳しい指導が始まった。
「姿勢が悪い!もっと引き絞れ!集中しろ!」
「......」
「返事は?」
「はい!!」
ここだけ完全に別世界だ。もう1人の弓道部、相澤に教えてもらいたい。
他の人もそう思ったのか、四ツ谷の所には来ないので、結果マンツーマンの指導になってしまった。
熱血指導がうるさくて他の人の集中を妨害していると、苦笑いした先生に注意された。
「四ツ谷ー。友達が一緒で嬉しいのは分かるが、もっと静かにな。」
「はぁぁ?!ちげぇよ!こいつが下手過ぎるのが悪いんだよ!」
「...教え方が悪いんじゃないのか?」
教え方にケチをつけられ、ムッとした四ツ谷がしゃがみこんだ。そのまま三峰の足をグイグイと動かす。
次は腰を掴み角度を調整する。肘の高さ、手首、顔の向きなど、下から順番に整えられる。
「これが基本。覚えて。」
近い距離で囁かれてドキッとする。落ち着いている時に出す低い声は妙な色気があって困る。
耳元じゃなかったことが唯一の救いだ。危うく新たな扉が開くところだった。
(今だけ身長差に感謝だな...)
だが、その後もずっと至近距離で丁寧な指導が続いた。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、足の力が抜けて座り込む。緊張でいつも以上に疲れてしまった。
他の生徒は全く疲れた様子もなくさっさと教室に戻っていっている。
「こんなんでへばってたら弓道部になれないぞ。」
そういって手を差し伸べられた。
(誰のせいで疲れたと思ってんだ!)
思うところはあるが、次の授業もあるので四ツ谷の手を取り更衣室に向かった。




