53.光魔法
セラの言葉が落ちた瞬間。周囲の空気が、凍りついた。
「……君が?」
教師の一人が、戸惑ったようにセラを見る。
「はい」
「しかし、君は――」
「光魔法を使えます」
静かな声だった。けれど、その一言は競技場にいる者たちへ十分すぎるほど届いた。
「……光魔法?」
「彼女が?」
「でも、風属性じゃなかったか?」
ざわめきが広がっていく。セラはその声を聞きながらも、視線をニナから逸らさなかった。
今さら隠しても遅い。ここまで言ってしまったのなら。
「治癒できます」
そう続けた。
「ニナを、治せます」
「待ってください」
ノアがすぐに口を挟んだ。
「セラ、駄目だ。」
「ノアさん」
「君が治療する必要はない」
「でも、ノアさんでも無理だった」
「……」
ノアの表情が固まる。
「なら、私がやるしかないんじゃないですか?」
「それは――」
「じゃあ、他に誰がいるんですか?」
ノアは答えられなかった。教師たちも同じだった。
光魔法そのものが希少なこの国で、高度な治癒魔法を扱える者は限られている。
そして、今ここにいる中で。四肢に及ぶこれほど大きな損傷を治せる可能性があるのは――。
「……私だけなんでしょう?」
セラの問いに、誰も否定できなかった。
「ですが、あなたは本当に治癒魔法を?」
教師が尋ねる。
「使えます」
「どの程度だ?」
「……分かりません」
「分からない?」
「これほど大きな怪我を治したことがないので」
セラは正直に答えた。
そもそも、自分の治癒魔法がどれほどのものなのかなんて考えたこともない。
小さな傷なら治せる。
多少の怪我なら問題なく治せる。
でも、それ以上は――。
「ノアより上手く使えるとは思っていません」
その言葉に、ノアが目を見開いた。
「セラ……」
「だから、できるかどうかは分からないですけど、」
それでも。
「やってみます」
セラはニナへ視線を戻した。
さっきまで笑っていた。手を振っていた。頑張って、と言ったら嬉しそうに笑ってくれた。
そんなニナが、今は目を閉じたまま動かない。
「……お願い」
セラは小さく呟いた。
「治って」
教師が周囲の安全を確認し、ゆっくりと道を開ける。セラはその中へ入った。
「セラ!」
背後からノアの声がする。
「待って!」
セラは足を止めた。
「……何?」
「本当に、やめてくれ」
ノアの顔には、隠しきれない焦りが浮かんでいた。
「君がどれだけの治癒魔法を使えるのか、僕には分からない」
「私もーー」
「だったら――」
「でも」
セラはノアを見る。
「このまま何もしない方が嫌なんです!」
ノアは言葉を失った。
「ニナを助けられるかもしれないのに、怖いからやらないなんて……私は嫌なんです!」
「……」
「それに」
セラは自分の手を見る。
「ノアさんも言ったじゃないですか。」
「……え?」
「助けたいと思うことが大事だって。」
「それとこれとは話が違う。」
ノアの声は低かった。
「治癒魔法は、傷を治すだけじゃない。損傷した身体を元に戻すために、大量の魔力を使用する。」
「……。」
「途中で魔力が尽きたら?」
「その時は……」
セラは少し考えた。
「その時は、やめる」
「そんな簡単に――」
「大丈夫」
セラは微笑んだ。
「ちゃんと無理だと思ったらやめるから」
ノアは何か言いたそうに唇を開いた。
けれど、結局何も言わなかった。
ただ、苦しそうに拳を握る。
「……絶対に無茶しないで」
「分かった」
セラは頷き、ニナの前へ膝をついた。
そして、そっとその手に触れる。
「……冷たい」
さっきまであれほど元気に走り回っていたのに。今は、指先さえ動かない。セラは小さく息を吸った。
大丈夫。まだ、生きている。
なら。
ーー治せる。
目を閉じる。
体の奥へ意識を沈める。風とは違う。
普段は決して人前で使わない、もう一つの魔力。胸の奥で、それが静かに揺れた。
「……」
セラが魔力を解放した瞬間。
淡い光が、指先から零れた。
それは炎のように燃え上がることもなければ、雷のように激しく弾けることもない。
ただ。
夜の湖に、月が溶けていくように。静かに。どこまでも静かに。光が広がっていった。
「……綺麗」
誰かが、呆然と呟く。
セラの指先から溢れた光は、細い糸のように伸びていく。それはニナの身体を包み込むと、まるで無数の星が降り積もるように、その身体へと沈んでいった。
一つ。二つ。三つ。
小さな光の粒が、傷ついた場所へ集まっていく。その光は、傷を覆うだけではなかった。
傷口の奥へ入り込み、壊れた場所を探すようにゆっくりと揺らめく。
そして。ふわり。
淡い光の花びらのようなものが舞った。
「……!」
ニナの腕の上。小さな光が集まって傷ついていた部分が少しずつ元の形へ戻っていく。
まるで、壊れた身体を一つずつ祝福するように。
セラはその光景を見ている余裕すらなかった。
「……もっと」
もっと。戻って。
元の身体へ。ニナの笑った顔へ。いつもの元気な姿へ。
願うたびに、光が強くなる。今度は、無数の光の粒が舞い上がった。
まるで夜空いっぱいに散らばる星のように。競技場の天井まで届いた光は、ゆっくりと降りてくる。
その一粒一粒が、ニナの身体へ吸い込まれていく。
腕。脚。肩。
そして、身体の奥へ。
光が触れるたび、傷ついた組織が淡く輝いた。折れていた骨が、光の中で静かに繋がっていく。
傷ついた筋肉が戻る。裂けた皮膚が、時間を巻き戻すように閉じていく。
そのすべてが、痛みを感じさせないほど穏やかだった。
「……これは……」
教師の一人が言葉を失う。
ノアも何も言わない。ただ、目の前の光景を見つめていた。ノアが知っている治癒魔法とは違う。
同じ光魔法。同じ治癒。それなのに。
セラの光は、まるで生きているようだった。
傷を治すというより。
失われたものを、あるべき場所へ導いている。
「……セラ」
ノアが小さく名前を呼ぶ。
けれど、セラには聞こえなかった。ただ目の前のニナだけを見ている。
「お願い……」
光がさらに強くなる。セラの髪が、魔力の余波でふわりと浮かんだ。
足元にはいつの間にか、淡い光の魔法陣が広がっている。その中心から無数の光の線が伸び、まるで夜空の星々を繋ぐ星座のようにニナの身体を包んでいく。
そして。
ぱあっ、と。
光が弾けた。競技場いっぱいに、無数の光の粒が舞い上がる。それは天井近くまで昇ると、ゆっくりと降り注いだ。
まるで、夜空から星が落ちてきているようだった。誰も声を上げない。
ただ、その幻想的な光景を見つめている。やがて。
一つ。また一つ。
光が消えていく。
最後の一粒がニナの頬へ触れた。すると、その光も小さく弾けて消えた。
「……」
静寂。
セラはゆっくりと目を開いた。
ニナを見る。
傷はない。
折れていたはずの四肢も、元通りになっている。
「……治った」
セラが呟く。
その声を合図にしたかのように、競技場がざわめき始めた。
「……ありえない」
「ノア君でも治せなかった損傷だぞ……?」
「それを、一度の治癒で……」
「しかも、魔力の乱れがほとんどない」
「完全治癒なんて見たことがない。」
セラはそんな声を遠くに聞きながら、ぼんやりと自分の手を見つめる。
指先には、まだ小さな光の粒が一つだけ残っていた。それはしばらくの間、蛍のように淡く明滅して。
やがて。ふっと消えた。
「……あ」
その瞬間、身体から一気に力が抜けた。
膝が崩れる。
「セラ!」
ノアが咄嗟に身体を支えた。セラはその腕の中で、ぼんやりとニナを見つめる。
「……よかった」
それだけ言って。セラは小さく息を吐き、安心したように笑った。その笑顔を見て、ノアは何も言えなくなる。腕の中のセラは、明らかに疲弊している。それでも、ニナが助かったことだけを喜んでいた。
「……本当に、君は」
ノアは小さく息を吐く。
その声には呆れと安堵と、隠しきれない心配が混じっていた。
けれど。次の瞬間。
「……待って」
教師の一人が呟いた。
その声に、周囲が静まる。
「今の治癒魔法……」
「……」
「これほどの損傷を、完全に……?」
誰も答えられない。
そして。観客席からも、ざわめきが広がっていく。
セラはゆっくりと顔を上げた。
観客席。教師たち。生徒たち。
そして、こちらを見つめるノア。全員の視線が、自分に集まっている。
セラはその声を聞きながら、ゆっくりと顔を上げた。自分が何をしたのか。今さらのように理解する。隠すつもりだった。できるだけ。知られないようにしていた。
けれど。もう遅い。
セラは小さく息を吐いた。
「……バレちゃった」
その呟きに、ノアの腕が僅かに強くなる。
ノアは何も言わなかった。
ただ、セラを支えながら。目の前に広がっていく騒ぎを、苦い表情で見つめていた。
ちょっと小話!
実はセラは自分の光魔法が強いとは知りませんでした!独学なのと、他人に見せたことがないからです!




