36.備品室
最初の十分ほどは、二人とも『すぐ誰か来るだろう』と思っていた。
だから他愛もない話をして時間を潰していた。
「そういえばセラちゃん。」
カイが積み上がった箱へ寄り掛かる。
「二学期始まってもう一週間だけど、どう?楽しい?」
「楽しいですよ。」
「へぇ?」
「ルームメイトが戻ってきて賑やかで。」
「いいなー。どっちかっていうと俺が賑やかにする方だから。」
二人で笑う。
そんな穏やかな時間が流れていた。
けれど。
ーー十五分。
ーー三十分。
ーー一時間。
誰も来なかった。
「……。」
部屋の中は少しずつ薄暗くなり始める。
窓から差し込んでいた夕日も、もう細い橙色の線しか残っていない。
(……遅い。)
胸の奥が少しだけざわつく。
「大丈夫?」
カイが私の表情を覗き込んだ。
「……少しだけ、不安になってきました。」
「そっか。」
カイは笑わなかった。いつもの軽い調子もなく、静かに頷くだけだった。
「じゃあさ。」
そう言って立ち上がる。
「もう一回やってみよ。」
扉へ向かい、肩をぶつける。
ガンッ。
鈍い音だけが響く。
もう一度。
ガンッ。
びくともしない。
「……だめか。」
肩を押さえながら苦笑した。
「大丈夫ですか!?」
「ん?」
「肩……。」
「あー。」
笑いながら肩を回す。
「ちょっと痛い。」
「無茶しないでください。」
「でも閉じ込められてる方が嫌でしょ?」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
「……ありがとうございます。」
「いいって。」
カイは照れ隠しみたいに笑った。
「俺、一応先輩だし。」
その笑顔は、いつもみたいに軽薄には見えなかった。
少しだけ頼もしく見える。
(……。)
でも。
(だめ。)
セラは心の中で小さく首を振った。
あの時、『好きだよ。』と笑っていた顔を思い出す。
今は以前ほど距離を詰めてこなくなったけれど、それでも油断していいわけじゃない。
変に期待を持たせるような態度は取りたくないし、セラも勘違いさせるようなことはしたくない。
だから。二人きりという状況に、少しだけ身構えてしまう。
「……。」
そんなセラを見ていたカイが、小さく笑った。
「そんなに警戒しなくても大丈夫。」
「え?」
思わず顔を上げる。
「顔に書いてあるよ。」
「……。」
「『二人きりだ……どうしよう』って。」
「そ、そんなに分かりやすいですか?」
「うん。」
あっさり頷かれてしまう。恥ずかしくなって視線を逸らした。
「安心して。」
カイは壁にもたれながら、いつものように笑う。
「こんな状況で口説くほど空気読めない男じゃないから。」
「……。」
「さすがに閉じ込められて不安な時にもっと気張ってほしくないし?」
冗談めかした口調。
でも、その声色はいつもよりずっと柔らかかった。
「今は先輩としているだけ。」
さらりと言って笑う。
「だから今日は安心して。」
その言葉に、張りつめていた肩の力が少しだけ抜けた。
「……ありがとうございます。」
「お。」
カイが目を丸くする。
「ちゃんとお礼言われた。」
「言いますよ。」
「いや、もっと『信用してません』って顔されるかと思ってた。」
「……そこまでは。」
小さく否定すると、
「じゃあ少しは信用してくれてる?」
にやっと笑う。
「そこまでは。」
今度はきっぱり言い切る。
一瞬の沈黙。
そして。
「あははは!」
カイが声を上げて笑った。
「手厳しいなぁ。」
「当然です。」
「ですよねー。」
頭の後ろで手を組みながら、大げさに肩を落とす。
その姿がおかしくて。
「ふふっ。」
思わず笑みがこぼれた。
「あ、笑った。」
「……つられただけです。」
「でも笑った。」
どこか満足そうな笑顔。その笑顔を見ていると、不思議と居心地が悪くない。
(……あれ。)
さっきまで感じていた警戒心が、少しだけ和らいでいる。
チャラくて。
距離が近くて。
何を考えているのか分からない人。
そんな印象しかなかったのに。
今のカイは、セラを困らせようとしているんじゃない。
むしろ。
(安心させようとしてくれているんだ。)
少しだけ。本当に少しだけ。
見方が変わった気がした。
安心したからだろうか。
『ぐぅ。』
静かな備品室に、小さな音が響いた。
「……。」
「……。」
二人とも固まる。
そして次の瞬間。
「あははははっ!」
カイが堪えきれず吹き出した。
「ち、違います!」
慌ててお腹を押さえる。
「お腹が空いただけです!」
「知ってる知ってる。」
肩を震わせながら笑っている。
「そんな必死に否定しなくても。」
「笑わないでください……。」
「ごめん、ごめん。」
そう言いながら、全然笑いが止まっていない。
「……ほんとにごめん。」
ようやく笑いが落ち着いた頃、カイはポケットを探った。
「はい。」
差し出されたのは、ショコラーデの一口チョコだった。
「え!?いや!いいんですか!?」
「いつも持ち歩いてるからー。」
「そういうことじゃなくて!?いや、持ち歩いてるのもすごいですけど!」
遠慮するが、グイグイ押し付けてくる。
「俺、よく授業サボ……じゃなくて。」
「今何て言いました?」
「何も?」
しれっと笑う。
「待ち時間長い時とか、お腹空くから。」
「……。」
「本当だって。」
その言葉が妙に可笑しくて。
「ふふ。」
笑ってしまった。
「とにかく、今はセラちゃんが食べるべきだよ。」
「……ありがとうございます。」
包みを開け、チョコを口へ入れる。どうやら期間限定のブドウ入りのようだ。甘酸っぱい味が、少しだけ緊張を溶かしてくれた。
「落ち着いた?」
「……はい。」
「よかった。」
それから二人は、少しずつ言葉を交わした。
生徒会で起きた失敗談。
文化祭の準備で一番大変だったこと(セラは言葉を濁した)。
好きな甘い物の話。
最近見つけた学園の穴場スポット。
他愛もない話ばかりだった。
でも、不思議だった。
最初は「二人きりなんて気まずい」と思っていたのに、気付けばその緊張はどこかへ消えて、笑う回数の方が多くなっていた。
どれくらい時間が経っただろう。
窓の外はすっかり夜になり、備品室は月明かりだけが差し込む薄暗い空間へ変わっていた。
その時だった。
「誰かいるか!?」
廊下から大きな声が聞こえる。
「います!」
叫んだ瞬間、全身から力が抜けた。
(助かった…)
そう思った途端、今まで張りつめていた緊張が一気に切れて、その場へ座り込みそうになるが、
「セラ!」
カイに支えられ、どこか暖かい気持ちになる。
「すみません。大丈夫です。」
カイを安心させるように笑うと、カイは照れたような顔になった。
「ここです!」
外が急に騒がしくなる。
「動かないです!」
「もう壊そう!」
聞き慣れた声が重なる。
「二人とも扉から離れて!」
レオンの声にすぐ扉から離れる。
「{バーン}」
『ブワッ』
大きな音と共に炎が扉を包み、扉が焼失した。
光が差し込む。
「セラ!」
一番に飛び込んできたのはリリアだった。目を真っ赤にしている。
「ごめんね、ごめんね……!」
「え?」
「生徒会室にいなくて、頑張ってみんなで探したんだけどこんなに時間かかちゃって」
涙ぐみながら何度も謝るリリア。
「大丈夫だよ。」
私は慌てて首を振る。
「怪我もしてないから。」
その後ろでは、シオンが安堵したように息を吐き、ノアは青ざめた顔でこちらを見つめていた。ノアは駆け寄ろうとして、一歩踏み出したところで止まる。
レオンも珍しく険しい表情をしている。
(みんな、本気で心配してくれていたんだ。)
ふと後ろを振り返る。
そこには少し離れた場所で、みんなを見守るように立つカイがいた。
視線が合うと、カイは軽く手を振って笑った。
いつも通りの笑顔。
それを見て、なぜか少しだけ安心する。
(……あれ。)
どうして安心したんだろう。
(……さっきまで一緒にいたからかな…?)
一方、セラに手を振った後。
カイは誰にも気付かれないよう、焼け焦げた扉の蝶番へ視線を落とした。
蝶番の裏側には、小さく削られた金具が一つ。
炎で黒く焦げ、形もほとんど残っていない。
それを指先で摘まみ上げると、そっと制服のポケットへしまった。
「……これで大丈夫。」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
そして何事もなかったように、いつもの笑顔を浮かべてみんなの後を追った。
ちょっと小話!
実はこの後ノアに二人ともリカバリーをしてもらいました!リリアはまだ十分なリカバリーができないので見学です!




