32.後日【エリアス視点】
エリアスは自分の研究室で、セラを待っていた。
(絶対にあれは偶然じゃない。)
黒板いっぱいに描かれた巨大な魔法陣。その中央には、一本だけ新しく書き加えられた補助線が鮮明に頭に蘇る。
(……あの修正は、おかしい。)
普通なら、誰もが右側へ目を向ける。自分でさえ、一瞬だけ判断を迷ったほどだ。それなのに。
(彼女は迷わなかった。)
教壇へ駆け上がると、当然のようにチョークを取り、中央へ一本の補助線を書き足した。
たった、それだけ。それだけで暴走しかけた魔法陣は嘘のように安定した。
偶然なら、あんな迷いのない手は動かない。まるで何度も同じ失敗を見てきた人間のように。何度も魔法陣を研究し、理解してきた者のように。
そこまで考えて、小さく息を吐く。
(……一年生に、そんな経験があるはずがない。)
あり得ない。
そう結論付けようとした時、不意に別の光景が脳裏をよぎった。
『まずは魔力の流れかな。』
隣で困っていたリリアへ、優しく語り掛ける声。
『ここからここへ流れて……。』
柔らかく微笑みながら、指先で魔法陣をなぞる姿。
(……。)
胸の奥がざわついた。
あの笑顔を。
自分は知っている。そして自分にだけ向けられていた。
そんなはずはないと頭ではわかっている。彼女は公爵家長女。子爵家次男の私では、学園以外で彼女に会えるわけがない。つまり、それ以前に接点など存在しないのだ。
なのに。
思い出そうとするほど、胸の奥へどろりとした何かが沈んでいく。
懐かしい?恋しい?
それもある気がするが、この感情を表すのに、適切ではない気がする。
もっと説明できない感情。
まるで、ずっと探していたものを目の前にしたような。
(私は……。)
その時だった。
コンコン、と控えめな音が部屋へ響く。
「失礼します。」
聞き慣れた声に、エリアスは我へ返った。
「どうぞ。」
扉が開き、セラが少し緊張した様子で入ってくる。
「お忙しいところ、ありがとうございます。あ、一応ドアは少し開けておいてくださいね。」
そういうと、思い出したようにドアに隙間を作る。
向かいの椅子を勧めると、セラは「失礼します」と小さく頭を下げて腰を下ろした。
一瞬だけ、静かな沈黙が流れる。先に口を開いたのはセラだった。
「先日はありがとうございました。」
「こちらこそ。」
エリアスは穏やかに微笑む。
「皆さんのおかげで、私も楽しく講義を進めることができました。」
「本当に分かりやすかったです。」
「そう言っていただけると安心します。」
少し照れたように笑う。
「初めての授業でしたので。」
そういうと、セラはニコッと笑った。
「全然そうは見えませんでした。むしろわかりやすかったです。」
(……ああ、懐かしい)
「…ありがとうございます。」
柔らかな空気が流れる。けれど、それも束の間だった。
エリアスは静かに姿勢を正す。
「さて。」
その一言で、空気が変わる。
「本題に入りましょうか。」
セラの肩が小さく揺れたように見えた。
「その授業の魔法陣ですが。」
「はい。」
「どうして、あそこが間違いだと分かったのですか。」
真っ直ぐな問いだ。責める口調ではない。
ただ純粋に知りたいという声音。それがかえって誤魔化しにくいのか、セラは口をどもらせる。
「えっと……。」
セラは視線を落とした。
「魔力の流れを見ていたら……なんとなく。」
「なんとなく。」
「はい。」
エリアスは小さく頷く。
「そうですか。」
穏やかな笑顔を保つ。
(……信じられない。)
セラは何かを感じて、目線を泳がせる。
「失礼ですが。」
エリアスは続ける。
「古代魔法陣について、以前から勉強されていましたか?」
「少しだけ、本で……。」
「本ですか。」
「はい。」
「どのような本を?」
そこまで聞かれるとは思わなかったのだろうか。『しまった』という顔をしている。
「えっと……家にあった入門書です。」
「なるほど。」
優しく微笑む。エリアスは少しだけ視線を落とし、静かに口を開いた。
「私が一年生だった頃でも。」
一拍置く。
「あの修正はできませんでした。」
「そんな……。」
「ですから。」
穏やかな声。
「あなたは、とても優秀なのですね。」
「……ありがとうございます。」
褒め言葉のはずだったつもりなのだが、裏を読んだのか、セラは素直に喜べていないようだ。
(やっぱり鋭い。前も………まただ…なんでこんなにもセラさんに既視感を覚えるのだろう。)
再び静寂が訪れる。その沈黙を破ったのは、エリアスだ。
「……セラさん。」
「はい。」
「もしよろしければ。」
少しだけ柔らかな笑みを浮かべる。
「これから時々、私の研究へ付き合っていただけませんか。」
「研究……ですか?」
「ええ。」
エリアスは頷いた。
「あなたは魔法陣を見る視点が、とても興味深い。」
その言葉に、セラはびくりと肩を揺らした。
(わかりやすいのも変わらな………一体いつの記憶なんだ?)
「もちろん無理にとは言いません。」
「……。」
「ただ、あなたと話していると。」
一瞬だけ言葉を止めた。
「不思議と、どこか既視感のような、新しい発見がある気がするのです。」
セラは思わず息を呑む。
その様子にエリアスは驚く。
(彼女は何か知っている…?もしくは彼女も感じているのか…?)
「……分かりました。」
セラは静かに答えた。
「私でお役に立てるなら。」
その返事を聞いたエリアスは、安心したように微笑む。
「ありがとうございます。」
セラが部屋を出ていき、扉が静かに閉まる。一人になった研究室で、エリアスはゆっくりと目を閉じる。
(……やはり。)
セラさんには何かある。魔法陣だけではない。
あの笑顔も。あの声も。こないだ初めて会ったはずなのに、どうしようもなく……
(ダメだ!こんなの生徒に向けていいものじゃない!)
ちょっと小話!
【セラ視点】
「不思議と、どこか既視感のような、新しい発見がある気がするのです。」
(…!エリアス先生も!やっぱりどこかで会ったことがあるのかな…?)
セラはエリアスと一緒にいると何かわかるかもしれないと答えた。
「……分かりました。」




