20.文化祭ー夜の部(後半)
(えーとなんて?)
セラはまさかこの場にふさわしくない単語の理解を拒否する。
「婚・約・者、だよ」
(……ノアってこっちが素なのかな…のんびりとした口調で癒しキャラだと思ってたけど……あっいけないいけない。現実逃避気味になってた……何か反論を…)
「……ノアさん。私は長女であなたは長男です。あなたは家を継がなければならなく、私は婿を取らなければなりません。」
セラは歴史が好きだ。それはなぜか。理由は教科として得意だからだけではない。
「しかも、現在、リィン公爵家の勢力が強まっており、均衡を保つため、王が権力を握るため、王族は私たちの婚約を是としないと思います。」
歴史はこれからどうなるか、未来の予測を容易にする手助けをするとセラは知っているからだ。
(どう?悪くはないんじゃない?)
「……確かに。」
(…勝った)
「でもそれはあくまで、今の状況下での話だ。」
(え?)
「ウィンドフォール公爵は亡き妻の残した一人娘をさぞ大事にしていると聞いたよ。君が頼み込めばそちらは問題ないだろう。僕の実家は権力に目がないし、王族の方はレオンに頼めばどうにでもなる。」
(…どうしてそこまでするの?)
言い募るノアに戸惑い、困惑した。ノアはそんな私が迷っていると判断したのか、とんでもないことを言い出す。
「ああ、それとも、バラして欲しいのかな?僕は寧ろ公表した方がいいと思っているし…そういえば万が一気絶してもいいように、録画装置を置いておいたんだった。これを知り合いの劇作家や吟遊詩人に渡したら、さぞ盛り上がるだろうね。光魔法を扱う少女とそれに助けられる少年。」
セラはそのとき、すごい速度で頭が冴え渡っていくのを感じた。
(この人がもう私を断罪しないことに賭けるしかないなら、ノアの婚約者の地位を得ることで、断罪を回避することができるかもしれない。それならウィンウィンじゃない?)
「……わかりました。」
心のどこかで『また私が勝手に希望を持っているだけだ』と叫んでいる。
(それでも。これは今までで一番大きな変化で、一番大きな希望だ。)
返事が夜の静寂に溶けた、その瞬間だった。
ノアがふっと笑う。
「セラ」
ついさっきまで光魔法への狂気を隠そうともしなかった人物とは思えないほど、その笑みは嬉しそうだった。
ノアは満足そうに目を細めると、まるで貴族が正式な婚約を申し込む儀式でも行うように、ゆっくりと片膝をつき、手を差し出す。
夜風が二人の間をすり抜け、木々の葉をさらりと揺らす。
「よろしく」
ノアが顔を上げる
「僕の婚約者。」
どこか芝居がかった台詞。なのに、彼に驚くほど様になっていて、レオンの従兄弟なのだと頭のどこかで考える。
差し出された手は、催促するでもなく、ただ静かにそこにあった。
セラはその手を見つめる。
セラは意図を読み、自分の手を重ねた。
重ねられた手を取ると、ノアはその甲へゆっくり顔を近づける。
(……わかっていたけど緊張する……)
息を呑んだ、その瞬間。
唇は触れる寸前で止まり、ノアは悪戯っぽく笑った。
「……冗談。」
(ドキッ)
遠くでは文化祭の歓声が風に乗って聞こえてくる。
笑い声。
演奏。
小さな掛け声まで微かに届いた。
賑やかな学園とは切り離されたこの場所だけが、時間を忘れたように静かだった。
「安心して。」
ノアが静かに口を開く。
「もう僕と君の秘密になったから。」
その声には、いつもの気の抜けた調子も、光魔法を語るときの熱狂もない。
ただ真っ直ぐで。
揺るがない意志だけが宿っていた。
(……。)
胸の奥が、小さく鳴る。
それは大きく心を奪われるような鼓動ではない。
ほんの一瞬。
水面に落ちた雫が波紋を広げるように、静かに心を揺らしただけ。けれど、シオンの笑顔やこの前のノアの指でおこった表面的なドキドキとは違う、もっと心の柔らかい部分を揺さぶられるような感覚。
(……ちょっとだけ、かっこいい。)
そんなことを思ってしまった自分に、少しだけ驚く。
でも。
その淡いときめきは、すぐに別の感情へと溶けていく。
(……これで。)
握られた手へ、自然と力がこもる。
(これで、断罪を避けられるかもしれない。)
何十回も繰り返してきた人生。
何度足掻いても変えられなかった結末。
けれど今、初めてその未来が少しだけ違う方向へ動き出した気がした。
夜空を見上げれば、文化祭の最後を彩る最初の花火が大きな音を立てて咲いた。
淡い光が二人の横顔を照らしては消え、また夜へ溶けていく。
その光を見つめながら、セラは胸の奥に芽生えた小さな希望を、そっと抱きしめた。
ちょっと小話!
実は録画装置はノアが一年A組からくすめ取ったものを使っています!




