9.それは甘いチョコレート
ーー図書館の奥、人目に付かない資料スペース。
シオンはセラの腕を離すと、そのまま壁に手をついて彼女が逃げられないように退路を塞いだ。
所謂『壁ドン』の形だが、本人の表情は甘さゼロ。むしろ凍りつくほど冷ややかだ。
「……あ、あの、シオンさん?ちょっと顔が怖いんですけど……」
「ちょっと警戒心がなさすぎるんじゃないか?」
「……え?」
シオンは小さくため息をつく。
「どう考えても、ああいうタイプと付き合っていいことなんて一つもない。」
「ああいうタイプって……」
「距離の詰め方が異常だ。初対面であんなこと言うやつ、信用できると思うか?」
「だから、ちゃんと断ろうとしたって言ったじゃん。」
「それはそうだけど。」
シオンは少しだけ視線を逸らした。
「お前は立場ある人間なんだから、食べ物だって簡単にもらうな。何が入ってるかわかったもんじゃない。」
「いや、さすがに毒は入ってないでしょ……」
「そういう問題じゃない。」
しばらく睨み合うような沈黙が流れる。
やがてシオンは深く息を吐くと、壁から手を離した。
「……まあ、ちゃんと断るならいい。(……チョコくらい、俺だって手に入るのに。)」
「え?何か言った?」
「……なんでもない。」
耳だけを少し赤くしながら教科書を開く。
「勉強付き合ってくれるんだろ。今日は魔法史の解釈を終わらせる。」
セラは首を傾げる。
(……今、『俺だって買える』とか言おうとした?注意しておいて?……いや、まさか。)
♡ ♡ ♡
ーー翌朝。
セラがいつも座っている席に着こうとした瞬間、目に飛び込んできたのは、机の上に置かれた見覚えのあるロゴ入りの缶だった。
(……えっ。ゆめ…?)
頬をつねる。痛い。本物だ。
それは、昨日カイが言っていた最高級店『ショコラーデ』の、季節限定ミントブルー缶。入手困難で、王族でも予約が必要と言われている代物。
添えられたカードには、見事な達筆でこう記されていた。
『昨日はお邪魔が入っちゃったけど、これ、お近づきの印。放課後、生徒会でね♡ ーーカイ』
(…本物だ。本物のショコラーデのチョコだわ……!)
生きていられるのが一年というループを繰り返すセラにとって、このチョコはもはや伝説の秘宝に近い。
ゴクリ、と喉がなる。
(…ダ、ダメよセラ!これを受け取ってしまったらカイとそういう感じになっちゃうかもしれないのよ!どんなフラグが立つかわかったもんじゃないわ!)
そう考えつつも、自分の鞄に缶を突っ込む。
(……シオンがこれをみると昨日みたいに面倒な感じになるかもしれないから!とりあえず隠しただけだから!)
♡ ♡ ♡
ーー昼休み
セラは人気のない中庭のベンチに腰掛け、そっと缶を取り出した。
(よく考えたら、お近づきの印って言ってたし、『食べる=付き合う』じゃないもんね。ただ昨日みたいにシオンが面倒になるだけで……。)
缶を見つめる。
(……一粒だけ。)
誘惑に負け、震える手で蓋を開ける。ふわり、と濃厚なカカオの香り。
恐る恐る一粒口へ運ぶ。
次の瞬間。
(……おいしすぎる。)
舌の上でゆっくり溶ける甘さ。とろけるような甘美な味わいに、思わず両手で口元を押さえる。
(なにこれ……幸せ……。)
目尻が熱くなる。
何十年も食べられなかった憧れの味。
涙が出そうになるほど美味しかった。
♡ ♡ ♡
ーー放課後
生徒会室へ向かう途中。
(……あ。)
廊下の向こうからカイが歩いてくる。目が合った瞬間、ぱっと花が咲くように笑った。
「セラちゃーん。」
(げっ。)
逃げようかと一瞬考えたが、すぐに追いついてしまう。カイは軽い足取りで近寄ってきた。
「食べた?」
「……」
どう答えようか迷っていると、カイはくすっと笑う。
「その顔、食べたね。」
「……そんなに顔に出てました?」
「めちゃくちゃ。」
そう言って楽しそうに笑う。
「気に入った?」
「……すごく、美味しかったです。」
正直に答えるしかなかった。あれだけ美味しいものを前に嘘なんてつけない。
「そっか。」
その一言だけなのに、カイは自分のことのように嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、セラは少しだけ不思議に思う。
(……なんでそんな嬉しそうなの。)
「でも。」
セラは小さく息を吸う。
「昨日のお返事なんですけど。」
「あ、うん。」
カイは笑顔のまま頷く。
「やっぱり、お付き合いはできません。」
しっかり目を見て伝える。一瞬だけ沈黙が流れた。
(怒るかな。)
そう思った次の瞬間。
「そっか。」
カイは驚くほどあっさり笑った。
「やっぱし、昨日はいきなり過ぎたし。」
「ええ。本当に。」
「だから反省。」
(え、反省するんだ。)
「だから作戦変更。」
「……作戦?」
「まず仲良くなる。」
「いや、その必要は……」
「ある。」
即答だった。
「付き合う前に好きになってもらえばいいだけだから。」
(いやいやいや。違う違う違う。)
「先輩。諦めるって知ってますか?」
「なんで?俺、こんなに好きなのに」
セラはすんっと真面目な顔になる。
「たぶん、その好きって勘違いですよ。」
「え?」
「一目惚れって勢いもありますし。」
「あるね。」
「だから勘違いだったって思う日が来ます。」
「来ない。」
(なんで言い切れるの!?)
「だって、」
カイは少し笑う。
「俺、自分の気持ちくらい分かるし。」
その笑顔だけは、さっきまでの軽い調子とは違っていて、セラは言葉を失う。
(いや、分かってないから!何十周も見てきたと思ってんの?)
「だから。」
カイは悪戯っぽく笑う。
「覚悟してね、セラちゃん。」
「いや覚悟しませんけど!?」
「じゃあ覚悟させる。」
「日本語通じてます!?」
「ちゃんと通じてる。」
そう言ってカイはケラケラ笑う。そのまま軽く手を振ると、
「ほら、生徒会遅刻するよー」
と、先に歩き出した。
残されたセラはただ呆然と立ち尽くしていた。
(……え。終わってないの!?断ったよね!?なんで続行なの!?バグ!?これバグだよね!?)
ちょっと小話!
実はショコラーデのチョコをセラが食べたのは、二周目の最後のティータイムのスイーツとして出されて食べたのが最後だそうです!




