妹とは存外取り扱いに困るものである 【1】
俺は生まれてから数年、一人っ子だった。 そして物心が付いた頃には真昼という妹が居て、中学二年のときに寝々が生まれ、俺たちは三人兄弟となった。
寝々に関しては、まだ物心さえ付いていないと思う。 だから俺と対等に話すのは真昼くらいのもので、家族内では俺と真昼は少々特別な間柄と言えなくもない。 変な意味ではなくてな。
家族内でも、兄や姉、弟や妹というのは親よりも特別な関係だと俺は思う。 年が近く、同じ屋根の下で何年も毎日顔を合わせ、喧嘩をすることもあれば一緒に遊ぶこともあり、一番言葉を交わす仲だ。 親と子の絆も特別かもしれない。 けれど、切ろうと思えば切れる。 だが、兄妹に関してはそれが中々難しい。 親は子供を捨てれば、その関係は切れたと言って良いだろう。 しかし兄妹に限っては不可能なのだ。 法律上、その縁を切ることはできない。
仲が悪ければ、一生会うことはないかもしれない。 仲が良ければ、数十年後も会うかもしれない。 そのどちらでも、縁は確実に繋がっている。 最早、一生ものと言って良い。
俺の上の妹。 真昼は頭は良いが、馬鹿だ。 基本的には俺よりも成績は良い。 パソコンなどの電子機器にも強いし、部活でやっているサッカーでもチームのエースだ。 けれど、基本的には馬鹿なのだ。
騙されやすい性格、と言った方が良いだろう。 ペーパーテストでは俺より断然良い点数を取るのに、頭を捻らなければ解けない問題では俺よりも断然悪いといった具合で。
褒められるのは真昼で、叱られるのは俺。 それが昔からの通例で、俺はそれが嫌で真昼に責任を押し付けたりをしている。 それでも最後には、真昼は褒められるのだ。
「お前は目を見て話を聞くな」とか「しっかり反省しているな」とか。 真昼は優秀な子で、俺は出来損ないなのだ。 両親は決して口にはしないけど、少なくとも父親の方はそう思っているだろう。 俺は別にそれで恨んでいるわけじゃないし、卑下しているわけでもない。 確固たる事実として、述べているんだ。
いつだったか、俺が真昼を騙しておやつを奪ったことがある。 それこそ、小学生のときのことだ。
で、真昼の奴は泣き出して家出をしたんだ。 夕方になって、外が暗くなっても帰って来なくて。 俺は嫌々渋々あいつを探しに行って。
ようやく見つけた真昼は、公園のジャングルジムの頂上で、ボーっと空を見ていたんだ。 声をかけたらあいつ、なんて言ったと思う?
ごめん、兄貴。 迷惑かけちゃった。
そう言ったんだよ。 悪いのは俺なのに、真昼はそう、俺に言ったんだ。
俺よりもよっぽど、できた妹。 俺よりもよっぽど、優秀な妹。 俺よりもよっぽど、優しい妹。
だから俺はあいつのことが――――――――嫌いなんだ。
「おっす兄貴、おはよう兄貴」
「おい蹴るな。 人が気持ちよく寝てるんだよ」
朝、本日は日曜日ということもあり、ソファーの上で気持よく寝転び、気持よく本を読んでいたときだった。 そのソファーを蹴りながら、真昼は俺に朝の挨拶をする。 朝の挨拶というよりは朝のいじめだな。
新年祭も終わり、俺の停学も解かれ、もう少しで二月に移り変わるという日。 一仕事を終えてからのだらけっぷりを発揮していたら、真昼に絡まれたといった具合だ。
「そりゃあれだよ、あたしが座りたいのに座れないからだよ。 兄貴の上に座って良い?」
「おう良いぞ。 俺は兄の鑑だからな、妹のためなら上に座られることくら……ぐぁ!」
話している途中、腹の上に真昼は乗る。 マジで乗るかよこいつ、遠慮とか躊躇とか皆無かよ。 びっくりだぞ本当に。
「重い重い重い! 死ぬから早くどけっ!!」
「ちぇ、腹筋鍛えないからじゃないの? あたしみたいに体を鍛えておけば、あんなの余裕だってのに」
軽く立ち上がり、真昼は俺に向かって笑う。 西園寺さんやクレアの笑い方とは違って、男らしい爽やかな笑顔だ。 無性に殴りたくなってきた。
「お前は暇さえあれば鍛えてるもんな」
言いながら俺は起き上がる。 ソファーの隅までそのまま移動すると、真昼はすぐ真横に腰をかけた。 なんで敢えてそこなんだよ……あっちいけよこの野郎め。 めちゃくちゃスペースあるのに、何故俺の隣に腰を掛けるんだ。
「いざというときのためだよ、いざというときの。 人生、何が起きるか分からないし」
「……まったくだな」
本当に、何が起きるか分からないよ。 本当にな。 ため息出ちまう。 いろいろなことを思い出し、俺は呟くようにそう言った。
「それよかさ、兄貴。 今日は出掛けないの? 夢花さんとかクレアさんとか雀さんと」
「特に用事もないしな。 今日は久し振りにのんびりできる日だ」
真昼は、意外にも西園寺さんたちとたまに遊んでいるらしい。 前の俺の誕生日の一件でクレアとは知り合ったし、この前の新年祭で柊木と知り合ったのだ。 女子同士、話が合うというのもあるのだろう。
「ふーん。 んでさ、兄貴はあの三人の誰と付き合ってるわけ? 前々から興味あったんだよね!」
そんな馬鹿げたことを、真昼は俺に向けて言う。
「誰とも付き合ってねえよ……。 なんですぐにそっち方向に考えが行くんだよ」
「いやぁ、だってそりゃそうっしょ? まぁ付き合ってないのは残念だけど……好きな人は?」
ウザい。 これだから妹はウザい。 真昼に限った話かもしれないけれど、すぐに恋愛沙汰に捉えるのは面倒だ。 聞かれても答えに困るような内容の質問を平気でしてくるからな。
「いねえよ」
まぁ、そうは言っても西園寺さんのことは好き……だったかもしれない。 今ではそれもただの憧れだったのだと気付いて、特に意識はしていない。
「てかさ、そういうお前は好きな人とかいるの?」
「うん、居るよ」
居るのかよ。 そうツッコミでも入れようとしたとき、真昼は続ける。
「あたしが好きなのは兄貴だけだ! 昔からずっと!」
「あっそ。 俺はお前のこと嫌いだけどな」
「うっわ適当な返事……」
事実を述べたまでだ。 真昼がいくら俺のことを好きだとしても、俺はこいつが嫌いだ。 多分この先、それが変わることもない。 というかだな、兄妹間の「好き」と他人や友達に対しての「好き」は意味合いがそもそも違うだろうが。
「でも、それはなんとなく知ってるよ。 兄貴ってあたしと話すとき、いっつもつまらなそうだもんね」
「……別にそういうわけじゃないけど。 ただ、面倒だなって思うだけ」
「それ一緒じゃん! まあさ、兄貴は基本的にツンとデレの割合が一対九くらいだからなぁ」
「デレ九回の内、ツンが一回って感じか?」
「いや逆に決まってるでしょ。 むしろ普段の態度がデレなら、あたしはツンが来たときどうすれば良いんだよ……」
と、真昼とそんな益体のない会話をしていたときだった。 テーブルの上に置いていた携帯が揺れる。 多分「私も居るんだよお兄ちゃん!」と訴えているのだろう。 我が愛しのハンドフォンは、それくらい妹っぽいのだ。
「悪い、妹だ」
「妹? 兄貴、なに言ってんの? 頭打った?」
なんて酷いことを言う奴だ。 やっぱり俺の妹はお前だけだよマホちゃん。 紹介しよう、スマートフォンを略してスマホ、それを更に略してマホ。 俺の可愛い妹だ。
「もしもし陽夢お兄ちゃんでーす」
『……ごめんなさい、間違えたみたいです』
「おい待て、クレアか。 全然間違えてないから安心しろ」
『ええ……いや知りませんよ。 私にそう呼ばせようとしているんですか、変態ですか。 それより成瀬って、妹好きだったんですか?』
ドン引きだ。 クレアさんドン引きである。 俺もふざけすぎたと思っているんだから、そこまで引かれたら涙出るぞ。
「嫌いに決まってるだろ。 けど、リリアならありだな……。 ああいう妹なら欲しい」
『その発言が既に危ないですよ……』
いやいや、お前も俺の家に住めば分かるって。 真昼という最悪の妹がどれほどのものか。 マジで取り換えて欲しいよ俺は。
「でもさクレア。 お前も姉なら分かるだろ? 下の奴にそう呼ばれたいって気持ち」
『私は「おねえ」って呼ばれてますし。 それに私からしたら、成瀬が「兄貴」と呼ばれるのが羨ましかったりするんですよ』
「そういうもんかね。 てか、お前ってやっぱり男になりたい願望あったのか?」
『はぁ!? そんなわけないじゃないですかっ!? 私が言っているのはそういう呼ばれ方が良いなってことです!!』
うるさ。 いきなり大声出すなよ……マホちゃんが壊れたらどうするんだ。 何をそんなに怒っているんだこいつ。
「悪かった悪かった。 俺が悪かったから落ち着けよ」
『……成瀬がやっぱりとか言うからですよ。 私だって一応は女の子ですし、妹っぽいところもあるんです』
自分で言うのかよそれ。 というか、自分で「一応」って言っちゃったよこいつ。 まぁだけど俺も悪く言い過ぎたかな。
『成瀬だって、私のこと妹っぽく思うことありませんか?』
「いやねえよ」
どちらかと言うと、姉って感じだ。 腕っ節が必要な場面だと滅茶苦茶頼りになるし。 もしもクレアが妹なら、地球上に住む全ての女性は妹でなければならない。 というか、なんで俺は日曜の朝っぱらからこんな妹話をクレアとしているんだ。
『そんなことないです! 私、とっても妹ですよ!』
何を必死になっているんだ。 クレアが妹っぽいかどうかの話なんてどうでも良いぞ。 俺が認める妹はリリアだけだ。 あいつ以外は全部妹じゃない。
「それはないだろ……。 それを言うなら」
言うなら、誰だろう。 俺らの中で、一番妹っぽい人は。
「西園寺さんじゃないか?」
『西園寺は母親って感じじゃないですか』
……それもそうだな。 あの人は母親っぽい。 悪いことをしたときに叱ってくる姿とかまさにそれだ。 というか、同級生に叱られる俺とクレアが惨め過ぎる。
「あーだな。 けど、お前が妹っぽいってのはないから安心しろよ」
『まだ言いますか。 本当に妹っぽいところもあるんですよ』
ふむ。 そこまで言われたら仕方ない。 ここは一つ、クレアが本当に妹っぽいかどうか試させてもらおう。
「じゃあさ、試しに「陽夢お兄ちゃん」って言ってみろよ。 妹ならできるだろ?」
『嫌ですよそんなの。 成瀬は成瀬です』
「なら俺の中で妹はリリアだけだ! お前はただの金髪女だ!」
『言い方に悪意を感じますね……はぁ、分かりました。 一回だけですよ』
え、マジで言うのかよ。 確かにそう呼んでくるクレアを見たいという気持ちもなくはないが……こいつはどれだけ妹属性が欲しいんだ。 いつもなら適当に流れていそうな話なのに、やたら引っ張ってくるな。
そんなことを考えている内に、電話口からごにょごにょ声が聞こえてくる。
『よ……陽夢……お兄……ちゃん』
恥ずかしそうに言うなよ!? こっちまで恥ずかしくなるじゃねえか!?
「お、おう……」
どうするんだ、この空気。 すっげえ気まずいしすっげえ恥ずかしい。 なんなんだ、今日は。
『……陽夢お兄ちゃん』
「待て、ちょっと一回やめろクレア」
危ない。 もう少しで俺の中の何かが目覚めるところだった。 クレアのお兄ちゃん呼びは相当な威力だ。 いつもとのギャップがでかいんだろうな。
『どうしたんですか? 陽夢お兄ちゃん』
そして一回言ったら照れくささがなくなったのか、これぞ好機とばかりに呼んでくるクレア。 俺の思いに気付いたのか、電話越しでも勘が鋭い奴だな……。
「ど、どうもしない。 マジで、どうもしない」
『またそんなこと言って。 陽夢おに――――――』
あぶねえ……。 危うくクレアを妹として見るところだった。 そしてナイスだマホちゃん、ここで電波を遮断するとはさすが我が妹だ。 まぁ、俺の家は電波が悪いだけなんだけど。
「……ふう」
拷問のような時間が終わり、深いため息と共にソファーに深く腰をかける。 全身の力を抜いて目を開けると、視界の片隅に真昼が映った。
「兄貴キモいな」
「……は、はは」
存在を忘れてたよ。 実妹の前で妹話で盛り上がるとは、クレアの奴め……。 おかげで心底軽蔑したような視線を浴びる嵌めになったじゃねえか。
あれ? というかそもそも、クレアの用事はなんだったんだろう?
「ま、いっか」
そうして俺は再び、本の続きを読むのだった。




