蒼き龍 【3】
「おーし、良いぞー!」
遥か下から聞こえる成瀬の声を合図に、私は砂袋を思いっきり前方に向かって投げる。 身体強化を使っているだけあり、一人分ほどある重さのそれも、右手のみでなんなく投げることはできた。
そして、勢い良く飛んで行く砂袋はある程度の距離までいったところで、垂直に落下する。 それからしばらくあとにまるで爆発音のような音が聞こえ、私はちょっと驚きながらも下を見ると、まるで霧のように舞っている砂埃が見えた。 そんな砂埃の中、手を丸にしてオーケーの合図を出す成瀬。 どうやら、実験は成功らしい。
「しかし、これで何が分かるんですかね?」
途中で垂直に落ちたのは、西園寺の重力操作の力によるもの。 確かに凄い力ではありますが……正直なところ、使いどころが難しそうな力です。 使いやすさでいえば、多分私の能力の方が便利でしょう。 しかし、それをこの上なく上手く使うのが……成瀬の凄い部分なのでしょうね。
次の相手である蒼龍の力は、前方にある物を消す力。 能力の危険度でいえば修善の方が上ですが、あの男の恐ろしいところは……戦うことに、躊躇いがないこと部分だ。 一切の躊躇いなく、私の腕を斬り落とした男。
一応は、修善の力を借りれば直接戦わずとも勝てそうだとは思ったのですが、生憎なことに事態はそう簡単ではありませんでした。 簡単に言ってしまえば、修善の能力では蒼龍を倒すことはできないんです。
蒼龍の力、消失。 それは能力にも、有効なのです。 自分自身に振りかかる能力をも、消す力。 つまり、蒼龍に対しての能力は意味を成さないのです。
私のような自己干渉型の力ならば問題はありませんが、成瀬や修善のような他者に干渉する力は、蒼龍の前では意味を成さない。 さすがに、一筋縄ではいきそうにない相手ですね。
「ごめんね、俺も何か手伝えれば良いんだけど」
「仕方ないですよ。 修善は、ここから動けませんし」
「それでも……何か、協力したいんだけどね」
無理なものは無理でしょうに。 それなのに協力してくれようとするこの人は、本当に悪い人ではない。 きっと、誰よりもこの世界を正したいという気持ちがあるんですね。
……問題はそれよりも、アライブの方たちが戦意を喪失してしまったことです。 あれから、ほぼ全ての人がここで一生を暮らそうと思っているのです。 ディジさんを除く全ての人、あの弥々見ですら、そう思わせてしまう出来事があったから。 全員といっても、今ではディジと王場と弥々見だけですが。 そうやって沢山が死に、少しが生きる。 私はもう、知っていること。
そんなことを思う私も、一旦は戦うのを止めようかと思いました。 でも、戦わないと終わらないんです。 一度始めてしまった戦いは、どちらかが消えるまで終わらないのです。
「ところでさ」
「はい?」
「今日は空がとても綺麗だ。 君もそう思うだろ?」
「……曇ってますよ、空」
口癖のようにそんなことを言う修善。 言いたいことはなんとなく分かりますけど、せめて曇っている日に言うのは止めて欲しいですね。 雰囲気台無しです。
「それよりも、あの刀はどうするつもりですか? 死眼の剣、でしたっけ」
「ああ、あれね。 あれは成瀬に持たせておく。 彼本人の希望だし、蒼龍に勝つためには必要になるかもしれないから。 ただし、また暴走したらそのときは頼むよ」
「……賛成は、できませんね」
あのときの成瀬は、まるで別人だった。 殺すことが何より楽しいように、人を傷付けることが一番の幸せのように、嬉しそうだったから。 あんな姿は正直、もう見たくはない。 思い出すだけでも、胸の奥がズキリと痛む。 この痛みはきっと、本物だ。
「成瀬は言ってたよ」
「なんて、ですか?」
「もしも俺がまたそうなったとしても、クレアが止めてくれるから大丈夫だって。 俺はそんな彼にさ、クレアに頼っているんだねって尋ねたんだけど……彼は「信用しているんだよ」なんて、返してきた」
「……重いですねぇ、その信用は」
重い、とても重いです。 もしも止められなかったらどうするんですか。 もしもそれで私が死んでしまったら、どうするんですか。 けど。
そこまで信用してくれるのは、とても嬉しいです。
「私が心配なのは、その後ですよ。 あの殺意の塊のような人格が、作られているわけですから」
「そうだね。 使い続ければ、新しい人格にもなり得る。 だから、自分で危ないと思ったら使わないようにとは言ってある」
やはり、危険なことには変わりない。 でも、修善がそう言っているのなら、成瀬も無理はしないですよね。 成瀬自身が一番、危険性を分かっているはずなので。
「さて、それじゃあ私は降りますよ。 作戦を詰めないといけないので」
「ああ、分かった。 頼んだよ、クレア」
そんな言葉を聞きながら、私は地面へと飛び降りる。 かなりの高さがある場所でしたけど、能力のおかげもあり、なんなく着地。 割りと便利な力ですよね、これ。
「ありがとな」
降りるなり、すぐさま成瀬は私に向けて言う。 それ自体はいつも通りの成瀬なんですけど、砂まみれですね……。
「それで、いつ戦うつもりですか?」
特にツッコミはせずに聞くと、成瀬が言ったのは予想外の返事でした。 私でも、全く予想ができない返事でした。 だって、成瀬は。
「ん、決まってるだろ。 今からだよ」
そう、言ったのですから。 そして、そんな予想外をしてくれる成瀬に付いて行くのが、とても楽しい。
「……とは言いましたけど、さすがに急すぎますよね」
「だよね? わたしも、びっくりしちゃった」
成瀬の作戦通り、私と西園寺、そして成瀬といった感じで別行動中。 唐突に始まったのには理由があって、ディジに来られると正直足手まといにしかならない、という理由だそうです。
そんなことを口では言っても、成瀬はこれ以上彼女たちに悲しい思いをさせたくないんじゃないでしょうか。 私の直感がそう告げているような気がして、なんだか笑いそう。
「それにしても、時間までは随分ありますね。 というかそもそも、戦闘向けの能力がある私と西園寺が一緒で、大丈夫なんですかね?」
戦力的には、私と成瀬が一緒に行動するのが恐らく最善のはず。 成瀬はいくら刀があるといっても、能力的には戦力外ですし……。 それに、私は今片腕がないので、この三人の中で一番戦えるのは西園寺、ですかね。 使うタイミングの難しい力ですが、成瀬の指示さえあれば殆どチートですしね。
私たちの頭が成瀬だとするならば、私と西園寺は腕といった感じでしょうか。 成瀬の考える策ならば、私も西園寺も疑うことはせずに乗ることができる。 それくらいの信用を私もしないといけません。
「大丈夫だよ。 成瀬くんには、成瀬くんの考えがあるんだと思う。 だから平気だよ」
薄暗い住宅街。 このエリアEは、珍しく元の世界の形を殆ど保っている場所で、海が近くにあるエリア。 そしてそんな住宅街を抜けた先には船着場があり、その近くにあるコンテナ置き場。 そこに私たち二人は居る。 修善のニャンコとワンコによると、蒼龍は未だにこのエリアに居るらしいとの事前情報はあるので、先手を打たれる前に打つといった感じですね。
「ええ、そうですね。 それはそうと、西園寺に聞きたいことがあるんです」
「わたしに? なんだろ?」
コンテナの影に隠れ、並んで座っている横で、西園寺は首を傾げて私の方を見る。 一々仕草がぐっときますね……私も今度、成瀬を驚かすためにやってみましょうか。
「えーっとですね、その……西園寺は成瀬のこと、どう思っているのかなと」
「成瀬くんのこと?」
私の質問に、西園寺は「うーん」と言い、唇に人差し指を当てる。 実はこれ、西園寺が考えごとをしているときの癖らしいです。 私も成瀬から聞いただけなんですけどね。 そんな細かいところまで見ているんだと考えると、ちょっと気持ち悪いです。
「意外と優しくて、頼りになるよ。 それにね、成瀬くんって結構おっちょこちょいなんだ。 えへへ、それが面白いなぁって、わたしは思うの。 たまに酷いことを言うけど、最後は絶っ対に優しいんだ。 それにね、成瀬くんって意外にも……あ、ごめん」
「いやいや、良いですよ。 大切な友達ということは良く分かりましたから」
なんだろう。 最後に何かを言おうとして、それを隠した気がする。 雰囲気と、勘からして……何かを口止めされている? 感じですかね。 まぁ、そうならば私も深入りはしない方が良いでしょうね。
「そっかぁ、良かった。 あ、でもね。 クレアちゃんも、大切な友達だよ?」
「それは……どうもです」
正面からそう言われては、結構恥ずかしい。 でも、それが西園寺の良いところでもあるんですよね。 成瀬が惹かれるのも、無理はありません。
そんなとき。 遠くの方から、大きな物音が聞こえてきた。 まるで、爆発音のような音で……どうやら作戦スタートってことですね。
「行きましょう。 始まったみたいです」
「……うん、クレアちゃん、頑張ろうね」
西園寺は私の手を握り、そう言う。 たったそれだけのことなのに、たったそれだけだ。 私は頑張れるような、そんな気がした。
さてと、やりますか。
私は目をゆっくりと閉じ、そして開ける。 視界が冴え渡り、体中に力が溢れる。 いくらこうして能力で強くなっても、成瀬には勝てそうにないけれど。
それでも、絶対いつか勝ってやる。 そんな想いが届く日を願って。
それから、私と西園寺は別行動。 西園寺はコンテナの間へ、私はコンテナの上へ。
辺りを見回すと、遠くの方で火が上がっているのが見えた。 火が見えるということは、第一段階はクリア。 かと言って、安心するのは早そうですね。
「行きますか」
呟き、私は駆ける。 コンテナの上から、コンテナの上へと飛び移りながら、予定通りの位置へ。
未だに上がっている火は段々と近くなり、体を包むような熱気と、人の気配。 一人はよく知ったもので、成瀬のもの。 そしてもう一人は、私の片腕を斬り落とした相手のもの。 二人の距離は……そこまで離れていない、ようですかね。
私は最後のコンテナに飛び移ると、体を伏せて下を覗き込む。 見えて来たのは、対峙している二人だった。
「久し振り……ってほどでもないか? この前は世話になったな、嘘吐き野郎」
「驚いたな。 エリアが解放されたからまさかとは思ったが、生きていたとは」
落ち着け、落ち着け。 気持ちを落ち着かせて、無にするんだ。 私の存在が気付かれては、作戦そのものが破綻してしまう。
息を吸い、気持ちを真っ白に。 成瀬なら、大丈夫。 今必要なのは、彼を信用すること。 成瀬の策を信頼すること。
……よし、後はこのまま、待機。 そのときが来るまで、何があっても待機です。 計算外の動きは邪魔にしかならない。 今はとにかく、平常心で待つのみ。
息を吐くと、気持ちは落ち着いた。 目の前にある光景全てが鮮明に見えて、二人の声だけが私の耳へと届く。 こんなところで、昔の経験が役に立つなんて……皮肉ですね。




