蒼き龍 【2】
頭を撫でられたのなんて、何年振りだろう? もしかしたら、初めてかもしれない。 こんなにも、優しい気持ちになれるものなんだなって、私は知った。 成瀬が言う「知りたい気持ち」というのは、こんな感じなのだろうか?
もちろん、私にもそういう気持ちはある。 あるけど、成瀬ほどではないと思う。 それに私は成瀬ほど、頭が良いわけではないから。 本人の前じゃ負けた気がしてムカつくから、言いませんけど。
「すっかり暗くなっちゃったな」
横で、成瀬がそう言った。 私はそれに「はい」と返し、空を見上げる。 頬を撫でる風は冷たい。 頭も体も、すーっと冷えていく。 少しだけ火照った体には、そんな冷たい風は気持ちが良かった。
満天の星空……とまではいかないけれど、綺麗な星空がそこには広がっている。 あの星たちから見たら、私なんて本当にちっぽけな存在なのですかね。
「……そうだ。 思い出しました」
「ん?」
「私、見たことがあるんです。 この空を……すっごい昔に」
どうしてでしょうか。 どうして、私は今の今まで忘れていたのでしょうか? 場所は違っても、ここでも、私がかつて居た戦場でも、この世界ではなく元の世界でも、あの人狼の世界でも、空は絶対確実に……どこでも一緒だということを。
「そっか」
成瀬はいつものように、素っ気なくそういうだけ。 でも、私には少し分かる気がする。 成瀬のそれにも、様々な言い方があるんだって。 それを読み取れるようになってきたのが、最近ちょっと嬉しいんです。
「ええ、そうです。 すっかり忘れちゃってました」
思い出せたのは、多分成瀬がこうして横に居てくれたおかげ。 私はやっぱり、成瀬のことが好きなんだな。
……あ、いや、友達として。 当たり前じゃないですか。 今の思考読まれてないですよね?
そんな危機感から、成瀬の顔を私は見る。
「……いきなり睨むなよ、怖いな」
「どこをどう見たら睨んでいるように見えるんですか」
失礼な。 どちらかと言えば、見つめているというのが正しいのに。 ですよね? あれ、もしかして私って目付き悪かったりするんですかね?
「冗談だよ、怒るなって」
ああ、冗談か。 危うく一発お見舞いするところだった。 危ない危ない。 ま、それなら……良かったです。
「んじゃ、俺はそろそろ行くよ。 修善さんとか、他のみんなにも顔は見せないといけないし」
「分かりました。 私はもう少し、ここに居ます」
「そっか。 じゃ、また後で」
さて、どうしましょう。 こうして一人になると、なんだか寂しいですね。 前まではそんなことなかったのに、最近では特にそれを感じます。 繋がりを持つと弱くなる、一人で居ることが強くいるための最低条件。 ずっとそう思っていましたが……もしかしたらそれは、違うのかもなんて、思ったり。
「……トゥインクル、トゥインクル、リトルスター」
星を見ながら、歌う。 私が唯一、知っている歌を。 小さい頃、本当に小さい頃に私を育ててくれた人が、教えてくれた歌。 これもまた、思い出したことのひとつ。 その人の名前も顔も覚えていないけど、私のことを大事にしてくれていたのは少しだけ、覚えている。 その人がいつも歌っていて、私もそれを教えてもらって、いっつも夜になると空を見ながら一緒に歌っていたんだ。 和名は確か……きらきら星? でしたっけ。
「こんばんは……あれ? クレアちゃんだけ?」
「きゃっ!」
む……今日はなんだか、驚かされてばかりな気が。 成瀬の次は西園寺ですか、どこまで仲が良いんですかこの人たちは。
「あ、ごめんなさい。 驚かせちゃったよね」
西園寺は申し訳なさそうに笑って、頭を下げる。 そう言われてしまったら、もう許すしかないじゃないですか。 成瀬もこうやって手篭めにされたんですね……恐ろしい。 魔性の女西園寺、ここにあり。
「いえいえ、大丈夫ですよ。 座りますか?」
「えへへ、どうも。 じゃあ、お邪魔するね」
うーむ……うーむ! 大和撫子、といった感じですかね。 これを自然とやっているから恐ろしいです……。 同じ女の私でも、軽く惚れそう。
「クレアちゃんって」
「はい?」
横で口を開いた西園寺の方を見て、続きを聞く。 西園寺と二人で話すというのは結構あることですけど、西園寺の方から何かを言ってくるというのは珍しいんですよね。 それに、毒雨の一件からからこうやって話すのは初めてですし。
だから、何だろうと思ったんです。 多分、重要なことかもしれないから。 西園寺の言葉は時々、心に深く刻まれるんです。
「クレアちゃんって、歌うの上手なんだね。 えへへ」
「聞いてたんですかっ!?」
あー、思い出した! そう言えば、成瀬はよく「西園寺さんと話すときはあらゆる可能性を考えろ」と、言ってましたっけ。 こういうことでしたか……。
「あ、ごめんね。 聞こえちゃったの」
そして、西園寺は申し訳なさそうに両手を合わせて、私を見ながら首を傾げる。 うーむ、許そう! 許しましょう!
「い、良いですよ別に。 気にしないでください」
「うん、ありがとう」
日本人は礼儀正しいとは良く聞きますが、ここまで礼儀正しい人も中々居ませんよね。 少なくとも、成瀬はこれっぽっちも礼儀正しくないですし。 むしろあいつは、常に人を騙すことしか考えてなさそうですし。
……と、思っていたんだけどなぁ。 ここに来て、成瀬も成瀬で色々悩んでいるんだなって、思い知りましたよ。 私から見たら完璧超人にも見える成瀬ですけど、人並みに悩んだりしているんだなって。
この前の毒雨のことだって、多分そう。 私の前でこそ平然としていましたけど、悩んでいるんだと思います。 雰囲気で、勘で、そのくらいは分かります。 私の勘は良く当たるんです。
「そう言えば、残りの一人のことですけど」
「……うん。 そうだね、それも考えないと。 わたし、全然二人の力になれてないから……頑張らないと、いけないよね」
「そんなことないですって! 西園寺には、居てくれるだけで雰囲気が良くなるので、全然大丈夫ですよ。 むしろ、居てくれないと困ります!」
「クレアちゃんって優しいよね。 えへへ」
そんなこと、ないですないです。 ふふ、でも照れますね、なんか。
「成瀬は……まだちょっとあれですけど。 二人でも少し話を進めてみましょうか。 もしかしたら、そっちの方がしんぽするかもですし」
「……あ、う、うん。 そうだね」
なんだろう? 急に、西園寺の歯切れが悪くなったような。 気のせいですかね?
「よーし、じゃあ頑張りましょう!」
なんだか、やる気の出てきた私! 今の調子なら、成瀬の策よりも良いのが浮かぶかも! なんて思いながら、立ち上がったときでした。 西園寺が横で、言いづらそうに。
「あの、クレアちゃん」
「はい?」
「……もしかしたら、なんだけどね。 さっきの「しんぽ」って「進捗」の間違いかなって」
……マジですか! ずっとしんぽって読んでましたよ私は!
「……お、覚えておきます」
というか、というかですね。 確かこの前、成瀬の前でも同じことを言ったような気がするんですが……あいつ、あのとき何も言わなかったじゃないですか! 絶対気付いていて、あのとき頭の中で笑ってたってことですか!? 今度会ったらしばくしかなさそうですね、これ。
「いって! なんだクレアか……。 お前、いきなり頭叩くとかどういうことだ」
「自分の行いを省みて見れば分かりますよ」
それから、しばらくの間、作戦会議と称した雑談を西園寺として、外も寒くなってきたので家……とは言えない廃墟の中へと戻った私たち。 まず最初に、座って修善と話をしていた成瀬の頭を挨拶代わりに引っ叩く。 仕返しオーケーですね。
「もう、いきなり叩いたら駄目だよ? クレアちゃん」
「う……はい」
西園寺に叱られるというのはこういうことでしたか。 成瀬はたまに言ってますけど、確かに怒られるというよりかは叱られるというのが正しいですね、これは。 それに、独特な雰囲気の所為で言い返せない……。
「ちゃんと、理由を言ってからね?」
そういう問題でしたか。 理由を言えば叩いて良かったんですか。 ならムカついたから叩きます。
「……そういう問題なのか? ムカついたら叩かれるじゃんそれ」
そして、私と同じことを思っていた成瀬。 成瀬が言うには、このどこかズレた感じも西園寺さんの良いところらしいです。 べた惚れですねこの男は。
「はは、みんな元気みたいで良かったよ。 今さ、成瀬と蒼龍のことについて話していたんだ。 君らも、一緒に戦うだろ?」
言うのは修善、そしてその内容は……。
「話していたって、成瀬は」
「だから俺は大丈夫だって。 なーに人のこと心配してんだよ」
やっぱり、強いな。 私よりも強い。 私の頭にぽんと置かれた手からは確かな強さを感じた。 前を向いて、歩く強さ。 それがどれだけ勇気のいることなのか、どれだけ恐ろしいことなのか、私はよく知っている。 なのに、成瀬は。
「……泣くなよ。 あー、くそ」
あれ、私……また泣いているのか。 なんで、だろう? なんで泣いているんだろう。 こんなことで、泣くなんて。 私も随分、弱くなっちゃたのかな。
「うるっさいです! 泣いてないですっ!」
「はいはい」
子供扱いされているようで、腹が立つ。 でも、涙は止まらなかった。
「酷いなぁ、女の子を泣かせるなんて」
「……成瀬くん、酷い」
「俺の所為か!?」
言い合いを始める三人。 それがなんだか面白くて、私は泣きながらも笑ってしまう。 きっと、この涙はみんなの優しさの所為なんだ。 こんなに人に優しくされたのもまた、久し振りのこと。 そして、懐かしいもの。
戦場に立てば、私は戦う。 でも、普通にこうしてみんなと一緒に居るときくらいは、弱さを見せても良いかもしれない。 ほんのちょっとだけ、そう感じた。
「良いから! 良いから早く作戦を考えますよ! 成瀬、当然良い考えがあるんですよね!?」
だけど、いつまでも私が会話の中心になるのは少々恥ずかしい。 だから私は、無理やり話を元に戻す。 みんな、私がそういう気持ちになっていることには気付いていたみたいだけど。
「……あるには、あるよ。 けど、あまり良い案じゃない。 それにそのために、試したいことがあるんだ。 クレア、ちょっと手伝ってくれ」
成瀬の考える妙案に期待して。 それと、その案が一体どんなものなのかが私は気になって、その頼みを素直に聞くことにしました。




