蒼き龍 【4】
「無駄だな」
火が上がる中、何事もないように男はそこから現れた。 さすがに消失の力は伊達じゃないってわけかよ。 手をかざした方向にある物を全て消し去る力……この男の身体能力だけでも相当なのに、更に規格外れの能力が加わって、まさしく化け物ってやつだな。
「お前の努力も、希望も、策も、全てが無駄だ。 私の前では全てが無になり、虚になる」
「それは全部終わってから言うんだな。 俺を殺すそのときに、そのセリフをもっかい言ってみてくれ」
「そうか。 なら、そうしよう」
蒼龍は言い放ち、膝を曲げる。 動いてからでは遅い。 あいつが地を蹴るその瞬間に、回避行動だ。 当然のことながら、蒼龍の思考は読めない。 つくづく役に立たない能力だよな、俺の力は!
「……」
風が吹き、潮の匂いが混じった海風が頬を撫でる。 ピリピリとした空気が肌を包み、やがて――――――――爆ぜた。
「っ!」
突き抜けたのは、豪風。 俺が先ほどまで居たその場所をまるで銃弾のように、蒼龍は突き抜ける。 空気は歪み、風の流れは一瞬で変わった。
……おいおいマジか。 たったそれだけの行動であれだけの威力だなんて、想定外すぎるぞ。
「ほう、反応できるのか」
「余裕だ、余裕」
全然余裕じゃないけどな。 ギリギリも良いところだ。 クレアの助言がなければ、俺はきっと死んでいただろうさ。
敵全体の動きを見るのではなく、その敵を可動させる部分を見ろ。 さっきの場合なら、見るべき場所は足だ。 関節の動き、指先の動き、筋肉の動き、それら全てを観察し、判断する。 通常、クレアが戦う場合はそれらを見ながら、更に反撃法まで一連の動きを頭に思い浮かべるという。 勿論、俺にはそんな芸当は真似できないので、回避行動のみに集中しているけども。
「なるほど。 ならば、刀を抜かないのもその余裕があるということか?」
蒼龍は言うと、俺の腰にある刀へと視線を向けた。
「いいや、これはとっておきだからな。 まだ使わないだけさ」
「ふむ。 まぁ良い、せめて使うことなく死なないように気を付けろ」
さぁ、どうだか。 俺としては、この刀を抜けばそれが既に死んだようなものだ。 だから、本当に後がなくなった場合しか抜かないだろうよ。 それこそ全員が殺られて、俺だけ残ったそのときくらいだ。 その最悪の場合になる前に、終わらせるのが俺のやることだ。 加えて言えば、俺の頭にあるのは回避のみで、反撃ではない。 余裕がないってのもあるし、今はそれで良いんだ。
「……ふんっ!」
蒼龍は再び、地を蹴る。 蹴られた地面はヒビが入り、砕けていた。 それだけの力で攻撃されたら、身体強化すらない俺ではひとたまりもないだろう。
「くっ……!」
今度は、頬が少し風で切り裂かれた。 チクっとした痛みを感じ、少量の血が流れるのを肌で感じる。 風だけで肌を裂かれるか……いや、それよりも。
速度が、上がった? 今の攻撃は明らかに最初のそれよりも早かった。 同時に、威力も確実に増している。 まさか。
「ほう、避けたか。 しかし、なるほどな。 貴様が見ているのは――――――――足か」
バレた? 俺の、視線で気付いたのか? やはりこいつ、相当の手練れだ。 下手をしたら……クレア以上か? だが、問題はないはず。 例え、俺が何を見て動いているのだとしても、それがバレたところで問題はない。
しかし、蒼龍の強さはその程度ではなかった。 俺は、こいつの強さを安く見積りすぎていたのだ。
「ならば、これでどうだろう?」
蒼龍は俺に向け、手をかざす。 なんだ? こいつは一体……いや待て。 こいつは何を消そうとしている? 手をかざすというのは、能力発動のトリガーになっていると思われる。 それならば、蒼龍が今消そうとしているのは。
瞬間の出来事だった。 先ほどまでは薄暗い中、月明かりによって見えていた蒼龍の姿が忽然と消えた。 違う、蒼龍だけではない。
ありとあらゆるものが、見えなくなったのだ。 視界が全て、遮断された。
「な……」
「私が消したのは、光だ」
すぐ真横で、蒼龍の声がする。 しかし、姿は依然として見えない。
光を……消しただと? この辺り一帯にある光をか? だが、それならば何故こいつは動ける? 俺と同条件のはずなのに、こいつはどうして。
そんな思考も、脇腹に走った激痛によって遮られる。 真っ暗な中、俺の体は軽々と吹き飛び、やがて何かにぶつかった。 どう飛んだのか、何にぶつかったのか、殴られた場所はどうなっているのか、その全てが見えない。 分からない。
「かっ――――――――はっ!」
ぶつかったのは……コンテナ、か? くそ、何も見えない所為で、受け身すらまともに取れねえ。 さすがにこの状況は、マズイ。
「終わりだな」
見上げると、ようやく蒼龍の姿が見えた。 能力を切ったのか、視界は元に戻っている。 いや、頭も軽く打った所為で視界はぼやけているものの、見えるようにはなったってところか……。
「他愛もない」
言い、俺の真上で蒼龍は拳を振り上げる。 その姿を見て、俺は痛む体をなんとか引き起こし、蒼龍の腕へとすがり付く。
「まだ、だろ……俺は、死んじゃいねえ」
「諦めろ。 貴様では私に勝てやしない。 だから言っただろう? 全てが無駄だと」
「ちげえよ。 ちげえ、お前の能力が分かった時点で、俺たちの勝ちだ」
「……そんなのは初めに言ってある。 私の力は」
違う。 こいつの本当の能力は、全く違うものだ。 こいつの力は消す力ではない。 生み出す力だ。
「幻覚、だろ」
全てが、幻だ。 視界が見えなくなったのも、この痛みも、蒼龍の強さも、ひょっとしたら姿さえも、幻覚だ。
「くく、面白い。 どう転んでも貴様は死ぬ運命だ。 聞いておこう、何故そう思う?」
蒼龍は俺に腕を掴まれたまま、笑う。 今のその台詞、そっくりお前に返しておいてやるよ。 死ぬのは俺じゃねえ、お前だ。
「俺が最初に仕掛けた起爆性の罠、それにお前はかかった振りをしたんだ。 本来なら、全然違う場所に居たのにな。 俺にお前の姿という幻を見せ、あたかもお前の周りだけ火が消えているように錯覚させた」
恐らく、こいつは常に自分の幻覚を体一つ分ずらし、出現させている。 だから、こいつに攻撃が当たらないのだ。 そしてそれが、動きが早く見えるタネだ。
「さっきの光もだ。 あの暗闇は、俺にしか見えていなかった。 同じ条件であるお前には、俺の姿はしっかりと見えていたんだろ? 本当に光を消失させていたのなら、不可能なことなんだよ」
それが、蒼龍の本当の力。 こいつの言う消失は、言わば偽りの力でしかない。 見せかけの力で、見せかけの能力。 そしてこいつが手にするのは、見せかけの勝利でしかない。
「なるほど。 だが、もしも仮にそうだったとしてだ。 だからどうした? 貴様が死ぬことには変わりなく、そして私に勝てる者もまた、存在しない。 私の力は、誰にも負けないのだよ」
「だったら、一緒に死のうぜ。 ドローだ」
俺は言い、続ける。 ありったけの声で、どこかに隠れているであろう仲間に向けて。
「西園寺さん今だッ!! やれッ!!」
俺が言った直後、体にまるで錘でも乗せられたかのような圧迫感があった。 骨の軋む音、そして地面へ吸い込まれるような重力が襲いかかる。
「ぐっ……なるほど、あの女の能力か。 そして私と共に潰れて死ぬ気ということか。 だが、少なくとも虫の息の貴様と私とでは、それも叶わぬな」
蒼龍は言うと、一歩動く。 さすがにその足取りは重いが、この状態でもこいつは動けるのか……?
だけど。
「それ、じゃ。 間に、合わねえ、よ」
必死に空気を取り入れて、俺は蒼龍に向けて言い放つ。 そうだ、それじゃあ、遅すぎる。 絶対に間に合わない。
「何を」
俺の方へちらりと視線を向けた蒼龍に、俺は指で上をさす。 そこにある物は。
「……コンテナ?」
この辺りに積まれている物よりも、一回りほど大きなコンテナだ。 クレーンによって吊るされているそれは、今にも落ちてきそうなほどに悲鳴を上げている。 当然、俺たちの真上にあるということは……この加重の影響を受けているということだ。
西園寺さんの力は、縦方向に限ってはほぼ無制限に伸びている。 それは今日、実験によって証明された。 距離が伸びても緩むことはなく、永続的に同じ力が伸び続けている。 一見、使い勝手の悪そうな能力ではあるが……俺に取っては、この上なく使い勝手の良い能力なんだよ。
「間に、合わねえよ。 逃げることは、できない」
俺の言葉通り、コンテナはぐらぐらと揺れている。 クレーン自体が、重みに耐え切れていないのだ。
「くく、そうか。 なるほど……確かに、間に合いそうにはない。 貴様がさっき言ったように、私の能力は幻覚だ。 だがな」
そして、コンテナを吊るしていたワイヤーは、ぎちぎちと不快な音を立て、やがて……ぷつりと、切れた。
コンテナの重さは、約二トン。 単純に考えてそれが五倍、つまりは十トンのコンテナが落ちてくるようなものだ。 頭上にあるコンテナからここまでの距離は約十メートル、今日の実験から分かったことの一つは今試される。
西園寺さんの重力を増加させるというのは、言わば重力加速度を増加させているのだ。 物体の質量自体が変わるわけではなく、変化しているのは重力なのだから当然と言えば当然だ。 そして、二トンのコンテナの重力加速度が五倍となり、ここまで到達する速度。 それは――――――――僅か一秒にも満たないのだ。
一瞬で、コンテナは目前まで迫る。 しかし、それでも俺の目の前の蒼龍は笑っていた。
「甘いな」
何が、起きた。 こいつの能力は幻覚で、消失ではないはずだ。 なのに、どうしてコンテナが俺たちに当たる直前、姿を消したんだ? 一体、何が。
「私の力は幻覚だ。 しかし、ただの幻覚ではない」
蒼龍は不敵に笑う。 そして、続ける。
「私の幻覚は、実際に起こるのだよ。 消えた物は消える、傷は癒える、架空の事実も真実も、私の能力は全てを現実とさせるのだ」
そうか。
だから、クレアと一緒にこいつと遭遇したとき、瓦礫は消えたのか。 思えばそうだ、そんな簡単に気付くことはできたのに。
……なんてな。
「知ってたよ、そんなことはな。 だけど蒼龍、お前が唯一消せない物があるだろ?」
「……私が?」
「人だよ。 もしも人が消せるのなら、最初に俺たちと会ったとき、わざわざ武器を使う必要なんてなかった。 ただ手をかざし、俺たち自身を消せば良いんだからな。 でも、お前はそれをしなかった。 いや……しなかったんじゃなくて、できなかったんだ」
クレアと俺が実際に体験し、分かったこと。 仮に能力が幻覚ではなく、本当に消失だったとしてもだ。 こいつは人である俺たちを消せなかった。 それは、確固たる事実だ。
「生物って言い換えた方が良いか。 だから、言ったろ? 俺たちの勝ちだって」
俺の、じゃない。 俺たちの、だ。 後は任せたぞ、クレア。
「仲間……まさかッ!?」
蒼龍は慌てて視線を上へ再度向ける。 だが、手遅れだ。 コンテナの上へ乗り、隠れていたクレアの対処をするのはもう、間に合わない。
「……ここまで、計算済みか」
「馬鹿、言ってんな。 ここまでじゃ……ねえ、よ。 どこまでも、だ」
頼れるからこそ、安心できる。 信じられるからこそ、策を練ることができる。 俺に取っての二人は、そういう存在だ。 ろくでもない俺に付き合ってくれる最高の仲間だ。
「腕の恨みッ!! 忘れたとは言わせませんからねッ!!」
おう、思いっきり、ぶつけてやれ。 俺の分もしっかり込めとけよ。 なんて思いながら、目を閉じる。 さすがに限界だ……潰されそうな圧力で、最後にふっと肺から空気が押し出されるのを感じた。
薄っすらと最後に見た光景は、五倍もの重力を受け、クレアが天から蒼龍を殴り付ける様子だった。 まるで、本当の天罰のように。 朦朧とした意識の中、空から金色の髪を靡かせながら舞い降りる姿は、天使のようにも見えていた。
「――――くん、成――くん」
「ん……」
西園寺、さんだ。 この声を俺は知っている。 でも、何でだろう? なんだか、とても懐かしい匂いがしたんだ。 それは、知っている匂い。 知っている空気。
「成瀬くんっ!!」
「……西園寺さん」
痛いくらいに、体を抱き締められていた。 正直その所為で意識がまたぶっ飛びそうだったけど……引き離す言葉も行動も、取れるわけがない。
俺にも、これだけ大切な友達ができたんだなって、そう実感できるようなこと。 それも今は。
「いてて……あの、少しは私の心配もしてくださいよ。 まぁ、能力のおかげで余裕ではあるんですけど」
クレア、クレア……クレアだ。 いや、うん、クレアなんだけど、なんていうか。
「ん? どうしたんですか、成瀬。 そんな恥ずかしそうに顔を逸らすって……ああ、西園寺に抱き着かれているのを見られたのがってことですか?」
指をくるくると回して、クレアは言う。 そんなことを言っている場合じゃないと思うけど。
「いや、それもそうなんだけど……西園寺さん、西園寺さんちょっとクレアに言ってくれ。 頼む」
「へ? クレアちゃんに……きゃ!」
「一体なんですか……私、なんかおかしいですか?」
「う、ううん。 そうじゃなくてね、あのね……クレアちゃん、服が」
西園寺さんが言うと、クレアは自身の体に視線を向ける。
きっと、蒼龍がコンテナを消失させたときに、同時にクレアのところまでそれは届いていたのだろう。 クレアが着ていたヒラヒラした服は、ものの見事に「消失」していたのだから。 要するに、クレアは今、一糸まとわずというわけで。
「……へ、あ……きゃ、きゃああああああああああああああああ!!」
そんな甲高い叫び声と一緒に、理不尽に落とされた足。 俺の意識を再度刈り取るには、十分な威力だった。




