第28話「好きだからこそ」
修学旅行二日目。
朝食を済ませた僕たちは、スキーウェアに着替えてゲレンデへ向かった。
外に出ると、目の前には一面の銀世界が広がっていた。
「いよいよスキーだな。楽しみだわ!」
隣を歩く悠真が言った。
「僕はちょっと不安かな」
「まあ、最初はみんなそんなもんでしょ」
成瀬くんが笑いながら答えた。
「お前ら、最初から転ぶこと考えてんのか?」
玲央が笑う。
「玲央は経験者だからそう言えるんだよ」
「まあな。でも、慣れたら結構楽しいぞ」
そんな話をしながら集合場所に着くと、朝倉さんたち三人が先に来ていた。
「おはよう、白瀬くん!」
朝倉さんが僕に気づき、笑顔で手を振った。
「おはよう、朝倉さん」
「おはよう、みんな!」
藤宮さんも元気よく挨拶した。
「じゃあ俺はあっちの班だから、またあとでな!」
玲央はそう言って、自分の班の集合場所へ向かっていった。
しばらくすると、僕たちの班を担当するインストラクターがやってきた。
「おはようございます! 今日から二日間、皆さんを担当する橋本です。よろしくお願いします!」
僕たちも挨拶を返した。
まずはスキー経験の有無を確認し、板の履き方や転んだときの起き上がり方から教わることになった。
そのあと、緩やかな斜面へ移動して、止まり方の練習が始まった。
初めて履くスキー板は思っていた以上に扱いづらかった。
足を少し動かすだけでも板が引っかかり、思うように進めない。
「板を持ち上げようとせず、雪の上を滑らせてみてください!」
橋本さんに言われたとおりに動かしてみると、少しずつ前へ進めるようになった。
「お、透。だいぶ慣れてきたんじゃない?」
隣にいた悠真が言った。
「うん。でも、まだ滑れる気はしないかな」
「俺も。思ってたより難しいな」
悠真は笑いながら足元に視線を落とした。
やがて、一人ずつ短い距離を滑ることになった。
経験者の朝倉さんたちは、さすがに慣れている様子だった。
僕も橋本さんに教わった姿勢を意識しながら、ゆっくりと斜面を滑り始めた。
……怖い。
思ったよりもスピードが出る。
慌てて板の先端を内側に向けると、少しずつ速度が落ちていった。
なんとか転ばずに止まることができた。
「白瀬くん、上手だったよ!」
朝倉さんが笑顔で声をかけてくれた。
「ありがとう。でも、結構怖かった」
「最初はそうだよね!」
朝倉さんはにっこりと笑った。
その後も何度か練習を繰り返した。
最初は止まることだけで精一杯だったけれど、少しずつ自分の思ったとおりに動けるようになってきた。
気づけば、滑ることへの恐怖よりも楽しさの方が大きくなっていた。
やがて、橋本さんから休憩の指示が出た。
僕たちはゲレンデの端に移動し、しばらく休むことになった。
「白瀬くん、お疲れさま!」
朝倉さんが隣にやってきた。
「お疲れさま。朝倉さんは全然疲れてなさそうだね」
「そんなことないよ! 私も結構疲れたもん!」
そう言って、朝倉さんは僕のすぐ隣に腰を下ろした。
……近い。
肩が触れそうなくらいの距離だった。
「でも、白瀬くん、だいぶ上手になったよね!」
「そうかな。まだ止まるだけで精一杯だけど」
「最初はそれで十分だよ!」
朝倉さんは楽しそうに笑った。
僕はその横顔を、つい見つめてしまった。
「……白瀬くん?」
朝倉さんが少し首をかしげ、僕の顔を覗き込んできた。
「なんか、ぼーっとしてる?」
「……ううん、なんでもないよ」
どうしてだろう。
今日は、いつもより朝倉さんが可愛く見える。
寒さでほんのり赤くなった頬も、僕を見上げる大きな瞳も。
それに、少し首をかしげて笑う仕草も。
朝倉さんは不思議そうにしながらも、にっこりと笑った。
その笑顔を見ていると、僕まで自然と笑顔になった。
休憩が終わると、再び練習が始まった。
今度は少し長い距離を滑ることになった。
さっきまでよりもスピードが出るものの、何度か繰り返すうちに落ち着いて止まれるようになってきた。
転んでしまうこともあったけれど、そのたびに起き上がって挑戦した。
初めてのスキーは、思っていた以上に楽しかった。
午前の講習を終えた僕たちは、昼食を取るためにレストランへ向かった。
六人で同じテーブルを囲み、食事をしながら午前中のことを話した。
「思ったより疲れたな」
悠真がそう言いながら水を飲んだ。
「でも、最後の方は結構滑れてたよね」
橘さんが言った。
「そう? じゃあ午後も頑張るか」
「うん!」
午後の講習では、曲がる練習が始まった。
橋本さんのお手本を見たあと、僕たちも一人ずつ挑戦していく。
午前中に止まり方は覚えたものの、思った方向に曲がるのはなかなか難しかった。
右へ曲がろうとしても、板がまっすぐ進んでしまう。
無理に体をひねると、今度はバランスを崩して転んでしまった。
「大丈夫ですか?」
橋本さんが声をかけてくれた。
「はい、大丈夫です」
僕は立ち上がり、もう一度挑戦した。
今度は教わったとおり、ゆっくりと体重を移動させてみる。
すると、板が少しずつ右へ向きを変えた。
……曲がれた。
そのまま反対側にも体重を移すと、今度は左へ曲がることができた。
「いいですね! その調子です!」
橋本さんに褒められ、思わず笑みがこぼれた。
何度も転んで、ようやくできるようになったことが嬉しかった。
その後も練習を重ねるうちに、少しずつ滑れる距離が伸びていった。
「白瀬くん、すごい! もう結構滑れるね!」
朝倉さんが嬉しそうに言った。
「うん。朝倉さんにはまだ全然かなわないけどね」
「そんなことないよ!」
朝倉さんはにっこりと笑った。
少し離れたところでは、藤宮さんが成瀬くんに何かを教えていた。
成瀬くんは時々言い返しながらも、真面目に練習しているようだった。
悠真も何度か転んでいたけれど、午後の終わり頃にはだいぶ慣れてきた様子だった。
僕も最後には、緩やかな斜面ならほとんど転ばずに滑れるようになっていた。
初めてのスキーだったけれど、また明日も滑りたいと思えた。
やがて、橋本さんが僕たちを集めた。
「皆さん、お疲れさまでした! 今日はここまでです。最後に明日の講習について説明しますね」
僕たちは橋本さんの前に集まり、話を聞いた。
そのとき、隣に立っている朝倉さんが目に入った。
……可愛い。
声も、仕草も。その一つ一つに胸が躍る。
もっと朝倉さんと話したい。
もっと朝倉さんの笑顔が見たい。
もっと朝倉さんの血が見たい。
……あ。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
……だめだ。
そんなこと、考えたくない。
でも、見たい。
朝倉さんの血が。
……早く、離れないと。
橋本さんが何かを話している。
でも、言葉がまったく頭に入ってこなかった。
やがて橋本さんの話が終わり、解散になった。
「……白瀬くん?」
朝倉さんの声が聞こえた。
「……ごめん」
それだけ言って、僕はその場を離れた。
朝倉さんの顔を見ることもできなかった。
ただ、少しでも遠くへ行きたかった。
人のほとんどいない場所まで歩き、ベンチに腰を下ろした。
……苦しい。
朝倉さんから離れたはずなのに。
さっきから、頭の中に朝倉さんの姿が浮かんでくる。
笑った顔。
僕を見上げる瞳。
……血。
……やめて。
考えたくないのに、どうしても頭から離れなかった。
しばらくすると、朝倉さんがやってきた。
何も言わずに僕の隣に座り、そっと背中をさすってくれる。
いつもなら、それだけで少しずつ落ち着けるのに。
今日は、なかなか苦しさが消えてくれなかった。
朝倉さんは背中をさする手を止めると、僕をそっと自分の方へ引き寄せた。
僕は、そのまま朝倉さんの肩に頭を預けた。
しばらくすると、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。
遠くから聞こえる人の声。
雪を踏みしめる足音。
そして、頬に伝わる温もり。
朝倉さんは何も言わず、ただ隣にいてくれた。
……朝倉さん。
しばらくして、ようやく体を起こした。
さっきまでの苦しさが、少しずつ薄れていた。
朝倉さんは僕の顔を見て、小さく微笑んだ。
「……行こっか」
「……うん」
僕たちは立ち上がり、ホテルへ戻った。
ホテルに戻った僕たちは、それぞれの部屋へ向かう廊下まで歩いた。
「じゃあ、ここで」
「……うん。またあとで」
朝倉さんと別れ、僕は一人で男子部屋へ向かった。
歩きながら、今日のことを考えていた。
朝倉さんは、スキーウェアを着ていた。
肌なんて、ほとんど見えていなかったのに。
それでも、あんなに血が見たくなった。
朝倉さんを好きになればなるほど、血を見たいという気持ちは強くなっていく。
今日だって、あんなに苦しくなってしまった。
これ以上、朝倉さんを好きになったら、どうなってしまうんだろう。
……怖い。
でも、僕は今日、思ってしまった。
朝倉さんと付き合いたい。
ただ一緒にいるだけじゃなくて、恋人として隣にいたい。
……だけど。
もし、この先もっと血を見たいという気持ちが強くなったら。
いつか、朝倉さんを傷つけてしまうかもしれない。
それだけは、絶対に嫌だ。
……どうすればいいんだろう。
今まで、こんなことを誰かに相談したことはなかった。
ずっと、一人で抱えてきた。
でも、このまま一人で悩んでいても、何も変わらない。
……誰かに、相談してみよう。
*
白瀬くんと別れたあと、私はしばらくその場から動けなかった。
……私、どうしたらいいんだろう。
白瀬くんに、私のことを好きになってほしい。
できることなら、付き合いたい。
でも、白瀬くんは誰かを好きになるほど、血を見たいという気持ちが強くなってしまう。
もし、白瀬くんが私を好きになってくれたら……。
私は、それを素直に喜んでいいのかな。
今まで、白瀬くんを支えたいって思ってた。
苦しいときは、そばにいてあげたいって。
でも……。
本当は、白瀬くんを支えている自分に満足していただけなのかもしれない。
白瀬くんのためだと思いながら、自分の気持ちばかり優先していたんじゃないかな。
今日だって、あんなに苦しそうだったのに。
私は、どうしてあげればいいのか分からなかった。
……それでも。
白瀬くんのことが好き。
もっと一緒にいたいし、もっと近づきたい。
でも、それが白瀬くんを苦しめることになるなら……。
……。
やっぱり、白瀬くんには幸せになってほしいな。
第28話を読んでいただき、ありがとうございます!
好きだからこそ、もっと近づきたい。
でも、好きだからこそ、相手を苦しめたくない。
今回は、そんな透と花、それぞれの葛藤を描きました。
二人がこれからどんな答えを出すのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回もよろしくお願いします!




