第22話「小さな希望」
優は救急車で病院へ運ばれた。
その日の放課後、僕は担任の先生から、優が重い貧血で入院することになったと聞かされた。
原因について詳しく聞かなくても、僕には心当たりがあった。
……僕のせいだ。
優が何度も血を見せようとしてくれたとき、僕には止める機会があった。
それなのに、僕は自分の欲求を優先してしまった。
その事実が、頭から離れなかった。
翌日、僕は優の入院している病院を訪ねた。
病室の前まで来ると、なかなか扉を開けられなかった。
優は今、どんな状態なんだろう。
そう考えるだけで、胸が苦しくなった。
それでも、会わずに帰るわけにはいかなかった。
僕は意を決して、病室の扉を開けた。
「……優」
ベッドに横になっていた優が、僕に気づいて顔を上げた。
「あ、透。来てくれたんだ」
いつもと変わらない笑顔だった。
その顔を見た瞬間、少しだけ安心した。
「……体調はどう?」
「もう全然平気。先生にはしばらく休めって言われたけど」
「……そっか」
僕はベッドの横に置かれた椅子に腰を下ろした。
「……ごめんね、優」
「何が?」
「……僕のせいで、こんなことになって」
優は少し驚いたような顔をしたあと、笑った。
「なんだ、そんなこと気にしてたの?」
「……そんなことって」
「俺が勝手にやったことだし、透が謝る必要なんかないって」
優は何でもないことのように言った。
けれど、その顔色はまだ悪かった。
「それにさ、退院したらまた見せてやるから」
「……え?」
「だから、そんな顔すんなって。俺は大丈夫だからさ」
優はいつものように笑っていた。
その笑顔を見て、僕は何も言えなくなった。
……どうして。
どうして、そこまでしてくれるんだろう。
僕は優のことが大切だった。
優と話す時間も、一緒に笑う時間も、何より大好きだった。
だから、もう傷ついてほしくなかった。
それなのに。
ふと、優の腕に目が向いた。
点滴の管がつながれた、その腕。
針の刺さっている部分を見つめているうちに、僕は無意識に、その下を流れる血のことを考えていた。
……ああ。
僕は、何を考えているんだろう。
目の前には、僕のせいで入院した親友がいる。
それなのに、こんなときでさえ。
僕は自分の視線を無理やり逸らした。
「……透?」
優が不思議そうに僕を見つめていた。
その声を聞いて、ようやく決心がついた。
……もう、終わりにしないと。
僕たちは、きっとこのままじゃいけない。
「……優、話があるんだ」
「ん? どうした?」
僕は膝の上で両手を握りしめた。
「……もう、僕とは関わらないでほしい」
優の笑顔が消えた。
「……え?」
「もう、友達でいるのはやめよう」
「……何言ってんの、透」
優は困ったように笑った。
「俺、別に怒ってないよ? 透のせいだなんて思ってないし」
「……そういうことじゃないんだ」
「じゃあ、どういうことだよ」
僕は優の顔を見た。
「僕たち、このままじゃ駄目なんだよ」
「……なんで?」
「優がこんなことになっても、僕はまだ血のことを考えてしまう。きっと、これからも同じことを繰り返すと思う」
「……それでもいいよ」
「……え?」
「俺は透のこと、わかってるつもりだよ。それでも友達でいたいんだ」
優は必死に僕を見つめていた。
「だから、お願い……離れるなんて言わないでよ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
僕だって、そうしたかった。
優とくだらないことで笑い合って、何でもない毎日を過ごしたかった。
でも、もう自分を信用できなかった。
「……ごめん。それでも、僕は優から離れたい」
「……嫌だよ」
優の声が震えた。
「なんでだよ……俺たち、親友だろ?」
「……うん」
「だったら、なんでそんなこと言うんだよ!」
優の目から涙がこぼれた。
「俺、透と友達でいたいよ……」
僕は何も答えられなかった。
これ以上ここにいたら、きっと決意が揺らいでしまう。
僕は椅子から立ち上がった。
「……今まで、ありがとう。優」
「待ってよ、透……!」
優の声を背中に聞きながら、僕は病室の扉へ向かった。
「嫌だって……! お願いだから、行かないでよ……!」
扉の前で、一瞬だけ足が止まった。
振り返りたかった。
もう一度優の隣に座って、いつものように笑っていたかった。
けれど、僕は振り返らなかった。
そのまま扉を開け、病室を出た。
廊下に出てからも、優の泣き声が耳から離れなかった。
……ごめんね、優。
僕は優のことが、本当に大切だった。
それなのに、最後まで傷つけてしまった。
もう、こんな思いはしたくない。
誰かを大切に思うほど、その人の血を見たいという欲求は強くなってしまう。
だったら、最初から誰とも親しくならなければいい。
……もう、友達は作らない。
「……だから僕は、あの日から誰とも深く関わらないようにしてきたんだ」
僕は朝倉さんの顔を見た。
「……これが、僕がずっと隠してきた秘密だよ」
朝倉さんは何も言わず、僕の話を聞いていた。
「……だから、朝倉さんとも、もう関わらない方がいいと思ってる」
「……ごめん、ちょっと聞いてもいい?」
朝倉さんは少し考えるようにしてから、口を開いた。
「その優くんって人は、白瀬くんが血を見たいって言ったから、自分の血を見せるようになったの?」
「……うん」
「……それって、何の解決にもなってないじゃん」
「……え?」
「だって、白瀬くんは血を見たいと思ってしまうけど、本当はそんな自分が嫌なんでしょ?」
「……うん」
「それに、白瀬くんって、自分の秘密を知った人は、離れていくか、優くんみたいに血を見せてくれるか、その二つしかないと思ってない?」
「……それは」
「優くんとはそういう関係になってしまって、ほかの友達とも疎遠になってしまったけど、だからって、みんながそうなるわけじゃないと思うよ」
朝倉さんは僕の目をまっすぐ見つめた。
「私だって、どっちも選ぶつもりはないもん」
「……でも、僕のことが怖くないの?」
「……驚いたよ。正直、まだ全部理解できたわけじゃない」
朝倉さんは少し考えてから、続けた。
「でも、だからって白瀬くんと関わるのをやめたいとは思わないよ」
「それに、白瀬くんはこれからもそうやって、誰とも深く関わらずに生きていきたいの?」
「……それは」
答えようとしたのに、言葉が出てこなかった。
本当は、朝倉さんともっと一緒にいたかった。
優と過ごしていた頃のように、何も気にせず誰かと笑い合いたかった。
「……そんなわけ、ないじゃん」
「……それにね、白瀬くん」
朝倉さんは少し考えてから、続けた。
「観覧車で私の手を傷つけちゃったとき、白瀬くん、血なんて気にしてないように見えたけど……」
「……それは、朝倉さんが痛がってることに気づいて、そのことしか考えられなかったから……」
「そっか。じゃあ、あのときは血のことより、私のことを考えてくれてたんだね」
「……うん。それに、あのとき朝倉さんの温もりを感じたら、少しだけ気持ちが落ち着いたんだ」
「……そうなんだ」
朝倉さんは少し考え込んでから、僕を見た。
「もしかしたら、誰かの温もりを感じることで、少しは落ち着けるのかもしれないね」
「……でも、もしそうだったとしても……」
「まだわからないけど、試してみる価値はあると思うよ」
「……それって、朝倉さんが否定した優と同じことにならない?」
「……白瀬くんって、意外とお馬鹿さん?」
「……え?」
「だって、全然違うでしょ。優くんは白瀬くんのために自分を傷つけてたんだよ?」
朝倉さんは少し呆れたように笑った。
「私はそんなことしないよ。ただ、白瀬くんのそばにいたいだけ」
朝倉さんは少し間を置いて、続けた。
「だから、無理のないところから始めてみない?」
そう言って、朝倉さんは僕にそっと手を差し出した。
差し出された手を、僕はしばらく見つめていた。
「……本当に、いいの?」
「うん。でも、今度は優しく握ってね」
朝倉さんは少し冗談めかして笑った。
僕は恐る恐る、その手を握った。
朝倉さんの手は、温かかった。
けれど、それだけで僕の欲求が消えたわけじゃない。
また傷つけてしまうかもしれないという恐怖も、まだ残っていた。
それでも、今はこの手を離したくなかった。
「そうだ、白瀬くん。今度のお休み、空いてる?」
「……うん、空いてるけど」
「じゃあ、私とショッピングモール行こ!」
「……え?」
「今まで全然一緒に遊べなかったんだから、今度は付き合ってよ!」
朝倉さんは少し得意げに笑った。
花と透が話さなくなってから、作中でもかなりの時間が経ちましたが、ようやく二人が向き合うことができました。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。お疲れ様でした!
次回はショッピングデートです!




