第21話「大きな絶望」
放課後になり、僕は朝倉さんの席に目を向けた。
昨日、橘さんに約束したことを思い出す。
……もう、逃げるわけにはいかない。
そして、申し訳ないけれど、修学旅行で同じ班になる話も断らせてもらおう。
朝倉さんには悪いけれど、これ以上一緒にいるわけにはいかない。
僕は席を立ち、朝倉さんのもとへ向かった。
「……朝倉さん、ちょっといいかな」
僕が声をかけると、朝倉さんは少し驚いたように顔を上げた。
「白瀬くん、どうしたの?」
「……少し、話したいことがあるんだ」
「うん、いいよ。ここで話す?」
「できれば、二人きりで話したいんだけど……」
「……わかった。じゃあ、どこで話す?」
「誰もいない教室がいいかな」
朝倉さんは小さく頷くと、鞄を持って立ち上がった。
僕たちは廊下を歩き、空いている教室を見つけて中に入った。
朝倉さんは近くの椅子に腰を下ろし、僕の方を見た。
「それで、話って何?」
「……まず、最近ずっと避けてしまって、ごめん」
朝倉さんは少し驚いたようだったけれど、何も言わずに僕の言葉を待っていた。
「今日は、その理由をちゃんと話そうと思ってるんだ」
「……うん。ちゃんと聞くよ」
僕は少し息を整えてから、自分の本性について話し始めた。
幼い頃から人の血を美しいと感じ、見たいという欲求を抱えていたこと。そして、親しくなった相手ほど、その欲求が強くなってしまうこと。
誰かを傷つけたいわけではないのに、その気持ちを抑えられずに苦しんできたことも伝えた。
さらに、中学生の頃、親友の優にその秘密を打ち明けたことも話した。
「……最初は、優も怖がってたんだ。でも、僕のことを理解しようとしてくれて……」
あの日の光景が、今でも鮮明に蘇る。
最初に優が自分の血を見せようとしたとき、僕は必死に止めた。
けれど優は、僕が思っていたほど深刻には受け止めていないようだった。
「大丈夫だって。透が少しでも楽になるなら、俺は気にしないよ」
「……でも、優が傷つくのは嫌だよ」
「透は心配しすぎなんだって」
そう言って笑う優を見て、僕はそれ以上、強く止めることができなかった。
止めなければいけない。そう思っているのに、血を見たいという気持ちが、僕の言葉を鈍らせた。
初めて優の血を目にしたとき、僕は思わず息を呑んだ。
目を逸らさなければいけないとわかっているのに、その赤い色から視線を離せなかった。
そんな僕を見て、優はどこか安心したように笑った。
「……少しは楽になった?」
優にそう聞かれて、僕はすぐに答えられなかった。
罪悪感はあった。それでも、心のどこかで満たされたような感覚があったことを、否定できなかった。
「……うん。少しだけ」
僕がそう答えると、優は嬉しそうに笑った。
「そっか。よかった」
その笑顔を見て、胸が痛んだ。
優は僕を助けようとしてくれている。でも、僕が楽になるために優が傷ついているなんて、間違っている。
そう思っていたはずなのに、あの日を境に、僕たちの関係は少しずつ変わっていった。
最初は、優の方から声をかけてくるだけだった。
「透、今日も見たい?」
「……いや、いいよ」
「遠慮すんなって。俺たち親友だろ?」
優はいつも、何でもないことのように笑っていた。
僕も最初のうちは断っていた。けれど、何度も繰り返されるうちに、断ることが少なくなっていった。
優の血を目にすると、不思議と気持ちが落ち着いた。
その一方で、見終わったあとには、決まって罪悪感が押し寄せてきた。
……もう、やめよう。
何度もそう思った。
それなのに、翌日になると、また優の血を見たいと思ってしまう。
そして、いつしか僕は、優から声をかけられるのを待つようになっていた。
ある日、優がいつものように僕の隣に座った。
「透、最近ちょっと元気になったよな」
「……そうかな」
「うん。前より笑うようになった気がする」
優は嬉しそうだった。
その言葉を聞いて、僕は何も言えなくなった。
僕が笑えるようになったのは、優が傷ついてくれているからなのだろうか。
けれど、優が何も言い出さない日は、落ち着かなくなっていた。
今日は見せてくれないのかな。
そんなことを考えている自分に気づくたび、嫌悪感が募った。
それでも、僕は優との関係を断ち切れなかった。
優と過ごす時間は、本当に楽しかったからだ。
くだらないことで笑い合ったり、放課後に寄り道したり、何でもない話をしたり。
血のことなんて関係なく、僕は優と友達でいたかった。
けれど、いつの間にか、その楽しい時間の中にさえ、血への期待が入り込むようになっていた。
そして、変わっていったのは僕だけではなかった。
「透、今日も元気なさそうだな」
「……そんなことないよ」
「俺にはわかるって。無理すんなよ」
優は以前よりも、僕の表情を気にするようになった。
少し黙っているだけで心配し、僕が何も求めていなくても、自分から血を見せようとすることがあった。
僕が断ると、優は少し残念そうな顔をした。
「……俺じゃ、役に立てない?」
「違うよ。そういうことじゃないんだ」
優は僕に必要とされることを、嬉しく思っているようだった。
僕も、そんな優の優しさに甘えていた。
しばらくすると、優は以前より疲れた様子を見せるようになった。
授業中に机に伏せていたり、体育のあとに息を切らしていたり。
「……優、最近疲れてない?」
「ん? ちょっと寝不足なだけだよ」
「本当に?」
「大丈夫だって。透は心配しすぎ」
そう言って笑う優の顔は、以前よりも少し青白く見えた。
僕は気づいていた。
優が無理をしていることも、僕たちがこのままではいけないことも。
それなのに、優が笑って「大丈夫」と言うたび、僕はその言葉に甘えてしまった。
そして、ある日のことだった。
授業中、突然、教室の後ろの方で大きな音がした。
振り返ると、優が床に倒れていた。
僕は一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「……優?」
椅子を倒す勢いで立ち上がり、優のもとへ駆け寄った。
何度名前を呼んでも、優はすぐには答えてくれなかった。
いつかこうなるかもしれないと、心のどこかではわかっていた。
それでも、実際に倒れた優を目の前にして、僕は何も考えられなくなった。




