第16話「すれ違い」
夏休みが明けて、しばらく経った。
朝倉さんとは、ほとんど話さなくなっていた。
教室で顔を合わせれば挨拶はする。けれど、それ以上の会話は、できるだけ避けていた。
朝倉さんは以前と変わらず話しかけてくれたけれど、僕が短く返事をすると、それ以上は何も聞かなかった。
そんなある日の放課後、帰り支度をしていると、朝倉さんが僕の席にやってきた。
「白瀬くん、今日の放課後、少しだけ時間作ってもらえないかな?」
「……何かあった?」
「うん。ちょっと伝えたいことがあって」
朝倉さんはいつものように微笑んでいた。
僕は少し迷ってから、頷いた。
「……うん。少しなら大丈夫だよ」
教室に残っていた生徒たちが、次々と帰っていく。
やがて、教室には僕と朝倉さんだけが残った。
「……それで、話って?」
「うん。あのね、白瀬くんにお礼が言いたくて」
「……お礼?」
「実は前に、廊下に飾ってあった白瀬くんの作文、勝手に読んじゃって……」
「……僕の作文?」
そういえば、以前先生に作文を廊下に飾ってもいいかと聞かれたことがあった。
廊下に飾ったところで、誰も読まないだろう。
そう思って、特に気にせず了承したんだった。
「うん。それでね、あの作文を読んで、私、気づいたことがあったの」
「……気づいたこと?」
「私ね、家族なんだから、みんな私のことをわかってくれてるって思ってたんだ」
朝倉さんは少し俯いてから、続けた。
「でも、本当の気持ちは、ちゃんと言葉にしないと伝わらないんだって。白瀬くんの作文を読んで気づいたの」
僕は黙って話を聞いていた。
「それで、お父さんとお母さんにちゃんと話してみたんだ。そしたらね、今までずっと仲悪かったのが嘘みたいに、また仲良くなれたの」
朝倉さんは嬉しそうに話していたけれど、少しだけ表情が曇った。
「……だから、白瀬くんには本当に感謝してるんだ」
そう言って、朝倉さんは小さく笑った。
「ありがとう」
その笑顔は、いつもより少しだけ寂しそうに見えた。
「……そっか。良かったね」
僕は鞄を持ち上げた。
「……じゃあ、僕は帰るね」
「……うん。またね、白瀬くん」
「……またね」
僕は朝倉さんに背を向け、教室を出た。
教室を出てからも、朝倉さんの言葉が頭に残っていた。
朝倉さんが伝えたかったことは、何となくわかっていた。
作文への感謝だけじゃない。
僕の言葉に救われたから、今度は自分が僕の力になりたい。
きっと、そう伝えたかったんだと思う。
その気持ちは嬉しかった。
けれど、だからこそ、これ以上近づくわけにはいかなかった。
朝倉さんがどれだけ優しくても、僕自身が変わったわけじゃないのだから。
九月も半ばに差しかかった頃、文化祭の出し物を決めるホームルームがあった。
「劇とかどう? 去年、隣のクラスがやってて結構盛り上がってたし」
「いいね! でも何の劇する?」
「白雪姫とか?」
「それならみんな知ってるし、やりやすそう!」
いくつか案が出たものの、最終的に僕たちのクラスは『白雪姫』を上演することになった。
続いて配役を決めることになり、黒板に役名が書き出されていく。
「白雪姫、誰がやる?」
「花がいいと思う!」
橘さんが真っ先に声を上げた。
「えっ、私!?」
「絶対似合うって!」
「いやいや、私、演技なんてしたことないよ!」
「大丈夫だって! ねえ、みんなもそう思わない?」
橘さんの言葉に、周りの生徒たちも賛成し始めた。
「朝倉さん、いいじゃん!」
「似合いそう!」
「あはは! ちょっと待ってよ! みんな勝手に決めないで!」
朝倉さんは笑いながら困ったように両手を振っていた。
「……でも、誰もやりたい人がいないなら、やってみようかな」
「やった! 決まり!」
「もう、玲奈ったら!」
教室に笑い声が広がった。
こうして、朝倉さんが白雪姫を演じることになった。
僕はその後の係決めで、大道具係を選んだ。
劇の準備なら、朝倉さんと話す機会も少ないだろう。
九月の終わり頃から、放課後の教室では本格的な準備が始まった。
「白瀬くん、こっちの段ボールも使っていい?」
「うん。まだ余ってるから大丈夫だよ」
「ありがとう。小人の家って、屋根も作るんだっけ?」
「そうみたい。設計図だと三角になってるね」
「うわ、結構大変そうだな……」
同じ大道具係の男子生徒が、机に広げた設計図を見ながら苦笑した。
「とりあえず、壁から作ろうか」
「そうだね。俺、段ボール切ってくるわ」
僕は定規で寸法を測り、壁になる部分に線を引いていった。
教室の反対側では、出演する生徒たちが台本の読み合わせをしていた。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」
「……あれ、次って私だっけ?」
「花、まだ出番じゃないよ!」
「あはは! ごめん、間違えた!」
朝倉さんの声に、何人かが笑った。
僕もつられて少しだけ笑いそうになったけれど、そのまま手元の作業を続けた。
「白瀬くん、ここ押さえてもらっていい?」
「うん、いいよ」
隣の生徒が段ボールを立て、僕が端を支える。
「お、いい感じじゃん。これなら間に合いそうだね」
「まだ屋根もあるけどね」
「それ言わないでよ」
僕たちは小さく笑い合った。
そんなふうに、放課後の時間は過ぎていった。
十月に入ると、劇の練習も少しずつ本格的になっていった。
教室の後ろには完成した大道具が並び、放課後になると机を端に寄せて、舞台を想定した練習が行われるようになった。
「白瀬くん、ちょっといい?」
小人の家の屋根に色を塗っていると、朝倉さんが声をかけてきた。
「……うん。どうしたの?」
「あのね、小人たちの家に置く椅子って、もう使える?」
「うん。あそこに置いてあるよ」
「ほんと? じゃあ、練習で借りてもいい?」
「もちろん。まだ塗装してないから、気をつけなくても大丈夫だよ」
「あはは! そこは気をつけるよ!」
朝倉さんは笑ったあと、少しだけ黙った。
「……白瀬くん、準備は順調?」
「うん。予定どおり進んでるよ」
「そっか。よかった!」
「……うん」
朝倉さんは何か言いかけたように口を開いたけれど、すぐに閉じた。
「じゃあ、椅子借りるね。ありがとう!」
「うん」
朝倉さんは椅子を持って、練習している生徒たちのところへ戻っていった。
僕は筆を持ち直し、塗り残していた屋根の端に色を重ねた。
その翌週の放課後、僕たちは完成した大道具を使って、舞台の配置を確認することになった。
「白瀬くん、そっちの家、もうちょっと右に動かせる?」
「このくらい?」
「うん! あ、もうちょい……そこ!」
大道具係の生徒に言われるまま、小人たちの家を動かした。
「これ、客席からちゃんと見えるかな?」
「一回、後ろから確認してみようか」
僕たちは教室の入り口まで下がり、並べた大道具を眺めた。
「おお、結構それっぽくなったじゃん!」
「うん。あとは背景が完成すれば大丈夫そうだね」
「よし、じゃあ今日はここまでにしよう!」
片付けを始めると、練習を終えた出演者たちも集まってきた。
「わあ! 小人のお家、完成したんだ!」
朝倉さんが完成した大道具を見て声を上げた。
「すごいね! 本当に森の中みたい!」
「でしょ? 白瀬くんが結構頑張ってくれたんだよ」
隣の生徒がそう言うと、朝倉さんは嬉しそうに笑った。
「そうなんだ! 白瀬くん、ありがとう!」
「……ううん。みんなで作ったから」
「でも、すごく助かるよ! 本番が楽しみ!」
「……うん」
朝倉さんはもう少し何か話したそうにしていた。
けれど、僕が再び作業に戻ると、小さく笑って他の出演者たちのところへ戻っていった。
僕は使い終わった道具を箱にしまった。
朝倉さんが何を言いたかったのか、聞かなくても何となくわかっていた。
それでも、気づかないふりを続けた。
十月も下旬に入り、文化祭まであと一週間となった。
放課後の教室では、本番に向けた通し稽古が行われていた。
「はい、そこまで! 今の場面、もう一回やろう!」
「えー! また最初から?」
「違う違う、白雪姫が倒れるところから!」
「あはは! よかった!」
朝倉さんの声に、教室から笑い声が上がった。
僕たち大道具係も、場面に合わせてセットを動かす練習をしていた。
「白瀬くん、次って森の背景だよね?」
「うん。今の場面が終わったら入れ替えるよ」
「了解。じゃあ俺、反対側持つわ」
何度か位置を確認しているうちに、通し稽古は無事に終わった。
「お疲れさま! 今日はここまで!」
出演者たちが台本を片付け始め、僕も使った道具を元の場所に戻した。
鞄を持って教室を出ようとしたとき、後ろから声が聞こえた。
「……白瀬くん、ちょっといい?」
振り返ると、朝倉さんが立っていた。
「……うん。どうしたの?」
「文化祭の日って、空いてる時間ある?」
「……少しはあると思うけど」
「じゃあ、一緒に回らない?」
朝倉さんは少し緊張した様子で、僕の返事を待っていた。
「……ごめん。やめておくよ」
「……そっか」
朝倉さんは小さく頷いた。
僕が帰ろうとすると、もう一度声をかけられた。
「……ねえ、白瀬くん」
「……何?」
「私って、そんなに頼りないかな?」
思いがけない言葉に、足が止まった。
「……白瀬くん、最近ずっと私のこと避けてるよね」
朝倉さんは少し俯いた。
「何か隠してるんでしょ?」
顔を上げた朝倉さんは、まっすぐ僕を見つめていた。
「……私には話せないことなの?」
僕は何も答えられなかった。
「……ごめん。無理に聞きたいわけじゃないんだ。ただ……」
朝倉さんは少し寂しそうに笑った。
「私、白瀬くんの力になりたいんだよ」
「……朝倉さんが頼りないわけじゃないよ」
少し間を置いて、言葉を続けた。
「僕自身の問題だから。……ごめんね」
「……そっか」
朝倉さんは寂しそうに笑った。
「……わかった。無理に聞いたりしないよ」
「……ありがとう」
僕は鞄を持ち直した。
「じゃあ、帰るね」
「……うん。また明日」
朝倉さんの声を背中に聞きながら、僕は教室を出た。
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