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サイコパスプリンス  作者: 山空
10/12

第10話「今度は私が」

 これは、白瀬くんの知らない私の物語。


 朝、目が覚めると、家の中は静まり返っていた。


 時計を見ると、まだ五時だった。


 私はベッドから起き上がり、制服に着替える。


 高校に入った頃から、家族の会話がほとんどなくなった。


 何がきっかけだったのかは分からない。


 ただ、いつの間にか、お父さんとお母さんは口をきかなくなっていた。


 お父さんが起きてくるのは、いつも六時半頃。


 同じ食卓にいても、誰も何も話さない。


 そんな時間が嫌で、私はお父さんが起きる前に家を出るようになった。


 今日も鞄を持ち、静かに玄関へ向かった。


 玄関の扉を開けると、ひんやりとした朝の空気が頬に触れた。


 外はまだ薄暗く、通りにはほとんど人がいない。


 私はいつもの道を歩き、駅へ向かった。


 学校に着く頃には、空もすっかり明るくなっていた。


 教室の扉を開ける。


 まだ誰も来ていない。


 私は自分の席に鞄を置き、窓の外を眺めた。


 誰もいない教室は静かだった。


 家にいるときも静かなのに、ここでは不思議と落ち着く。


 しばらくすると、廊下から足音が聞こえ始めた。


 私は窓から視線を戻し、教室に入ってくる友達に笑顔を向けた。


「おはよう!」


「花、おはよー!」


 教室に入ってきたのは玲奈だった。


「おはよう、玲奈!」


「今日も早いね。何時に来たの?」


「んー、結構前かな!」


「相変わらずだねー」


 玲奈はそう言いながら、自分の席に鞄を置いた。


「ねえ、昨日の宿題やった?」


「やったよ!」


「よかった! ちょっと見せて!」


「えー、自分でやりなよ!」


「お願い! 分かんないところだけ!」


「もう、しょうがないなー」


 私は笑いながら、鞄からノートを取り出した。


 玲奈と話しているうちに、教室には少しずつ人が増えていった。


 あちこちから挨拶や笑い声が聞こえてくる。


 私も友達の輪に加わり、いつものように話して笑った。


 そんなある日の放課後。


 廊下を歩いていると、掲示板に貼られた作文が目に入った。


 授業で書いた作文の中から、いくつか選ばれて掲示されているらしい。


 何気なく眺めていると、一枚の作文の下に書かれた名前が目に留まった。


 白瀬透。


「あ、白瀬くんだ」


 私は足を止めた。


 同じクラスだけど、ほとんど話したことのない人だった。


 どんな文章を書くのか少し気になって、私はその作文を読み始めた。


 題名は「家族について」。


 先日の国語の授業で、私たちが書いた作文だった。


 そこには、こんなことが書かれていた。


 家族と友達は、何が違うのだろうか。


 血がつながっているかどうか。それは確かに大きな違いだと思う。


 けれど、僕は人と人との関係という意味では、それほど変わらないと思っている。


 どれだけ長い時間を一緒に過ごしていても、相手の考えていることがすべて分かるわけではない。


 家族だから分かってくれる。友達だから察してくれる。


 そう思っていても、言葉にしなければ伝わらないことはある。


 相手が何を考えているのか知りたいなら、聞いてみるしかない。


 自分の気持ちを知ってほしいなら、伝えるしかない。


 家族も友達も、結局は自分とは違う一人の人間なのだから。


 私は最後の一文を読み終えても、しばらくその場を離れられなかった。


 家族だから、分かってくれる。


 私は、そんなふうに思っていたのだろうか。


 お父さんとお母さんが話さなくなってから、私は二人と顔を合わせる時間を減らすようになった。


 毎朝早く家を出るのも、そのためだった。


 でも、本当にそれだけだったのかな。


 私が朝早く家を出ていることに、二人は気づいているんだろうか。


 どうしてそんなに早く出るのか、聞いてほしかったのかもしれない。


 私は一度だって、二人にどうして話さなくなったのか聞いたことがない。


 なのに、いつか元に戻ってくれることを期待していた。


 もう一度、作文に目を向ける。


 自分の気持ちを知ってほしいなら、伝えるしかない。


「……そっか」


 小さくつぶやいた。


 今日、帰ったら聞いてみよう。


 何があったのか。


 どうして、前みたいに話さなくなったのか。


 ちゃんと、二人に聞いてみようと思った。


 その日の夕方、家に帰ると、お母さんがリビングでテレビを見ていた。


「ただいま」


「おかえり」


 私は鞄を自分の部屋に置き、制服から着替えた。


 いつもならそのまま部屋で過ごすところだけど、今日はリビングに戻った。


「お母さん」


「なに?」


「今日、お父さん何時に帰ってくる?」


「七時くらいじゃない?」


「そっか。ありがとう」


 私はソファに座り、時計を見た。


 何から聞こう。


 いざ話そうと思うと、少し緊張してきた。


 七時を少し過ぎた頃、玄関の扉が開く音がした。


 お父さんが帰ってきた。


「おかえり」


「ああ、ただいま」


 お父さんは上着を脱ぎ、リビングに入ってきた。


 お母さんはテレビを見たまま、何も言わなかった。


 いつもと同じ光景。


 私は一度息を吸って、二人に声をかけた。


「ねえ、お父さん、お母さん」


 二人がこちらを向いた。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」


「どうした?」


 お父さんが尋ねた。


「二人ってさ……なんで最近、全然話さないの?」


 お父さんとお母さんは、一瞬だけ顔を見合わせた。


「前は普通に話してたよね。何かあったの?」


 しばらく沈黙が続いた。


「……そんなに話してないか?」


 お父さんが気まずそうに口を開いた。


「話してないよ。もうずっと」


 私がそう言うと、お母さんは小さくため息をついた。


「だって、お父さんが謝らないんだもの」


「まだその話をするのか?」


「まだって何よ。そっちが悪いんでしょ」


「だから、あれは知らなかったんだって」


 久しぶりに二人が会話している。


 でも、何の話をしているのか全然分からなかった。


「……何があったの?」


 お母さんは少し迷ってから答えた。


「冷蔵庫に入れてたプリン、覚えてる?」


「……プリン?」


「私が楽しみに取っておいたのに、お父さんが勝手に食べちゃったのよ」


「名前も書いてなかっただろ」


「そういう問題じゃないでしょ!」


 私は二人の顔を交互に見た。


「……え、それだけ?」


「それだけって、花!」


「いや、だって……」


 思わず言葉に詰まった。


「そんなことで、ずっと話してなかったの?」


 二人は黙り込んだ。


「私、二人が離婚するんじゃないかって思ってたんだよ」


 口にして初めて、自分がそんなことまで考えていたのだと気づいた。


「朝も家にいるのが嫌で、ずっと早く学校に行ってたのに……」


 お母さんが驚いたように私を見た。


「花、そんなふうに思ってたの?」


「……うん」


 お父さんも、困ったように頭をかいた。


「それは……悪かったな」


「私も、花にそんな思いさせてたなんて……」


 お母さんはお父さんの方を向いた。


「……プリンのことは、もういいわ」


「いや、今度買ってくるよ」


「同じやつ、もう売ってないのよ」


「じゃあ、似たやつ探す」


 私は思わず笑ってしまった。


「もう、ほんとに何やってるの、二人とも」


 お父さんとお母さんも、少し照れくさそうに笑った。


 久しぶりに見る、二人の笑顔だった。


 その日の夕食は、久しぶりに三人で食べた。


 お父さんとお母さんは、まだ少しぎこちなかったけれど、ぽつぽつと言葉を交わしていた。


 それだけで、いつもの食卓とはずいぶん違って感じられた。


 翌朝、目が覚めると、時計は五時を指していた。


 いつものように制服に着替え、出かける準備をする。


 階段を下りると、お母さんがキッチンにいた。


「花、おはよう」


「おはよう!」


「今日もこんなに早く行くの?」


「うん! 朝の空気、好きなんだよね」


「そう。気をつけてね」


「行ってきます!」


 玄関を出ると、いつものひんやりした空気が頬に触れた。


 家にいるのが嫌で始めた早起きだったけれど、いつの間にか、この静かな朝の時間が好きになっていた。


 駅へ向かいながら、昨日読んだ作文を思い出す。


 白瀬くんには、いつかお礼を言いたいな。


 そう思った。


 それから数日後、ホームルームで体育祭実行委員を決めることになった。


 立候補する人がいなかったので、じゃんけんで決めることになった。


 結果、私と白瀬くんが負けて、実行委員になった。


 私は白瀬くんの方を向いた。


「白瀬くん、よろしくね!」


「うん、よろしく」


 こうして、白瀬くんと初めて話すことができた。


 でも、作文のお礼はまだ言えていなかった。


 体育祭の準備を通して、私たちは少しずつ仲良くなった。


 白瀬くんは思っていたより話しやすくて、一緒にいると楽しかった。


 でも、ときどき気になることがあった。


 楽しく話している途中で、ふと何かを考え込むような表情をする。


 最初は気のせいかと思ったけれど、そんな姿を何度も見ているうちに、私は確信した。


 白瀬くんは、何か悩みを抱えている。


 何に悩んでいるのかは分からない。


 本人が話してくれない以上、無理に聞くつもりはない。


 でも、もし私にできることがあるなら、力になりたい。


 あの日、白瀬くんの作文が私の背中を押してくれたように。


 今度は、私が白瀬くんの力になれたらいいな。


 そう思っていた。

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