第36話 一緒に歩いていたはずなのに
『おい! どこ行くんだよ!』
そう声を掛けても、彼女は振り返ることもせず前へと進み続ける。ボクはそれを必死に追い掛けて、追いつこうと走り続ける。
でもどうしてか、一向に距離が縮まらない。僕は彼女の隣にい続けたいだけなのに。
『どこにも行かないよ。ただ私は未来に向かい続けるだけ。そうしないと、ニドゥカが守ろうとしたこの世界が、消えちゃうから』
彼女が一歩刻む度に、周りにいる人々が膝を折り、倒れ伏していく。彼女の歩いた後には、屍だけが続いていた。
『ゴールなんて、ないから』
◆
背を向けてそう漏らす彼女の言葉がずっと、印象に残っていた。
ボクたちは、ずっと歩き続けている。百年前から、ボクたちが出会った時からずっと、一緒に歩き続けて、前へ進んでいる。
その先に何があるのかわからない。
けど、もうボクたちに退路はなかった。気がつけば二人ぼっちで、周りには誰もいなくて、それを正しいとか間違ってるとか、そう判断する人すらいない。
でも、ボクからすればギルハが全てだったから。
ただ全てを受け入れてきた。
荒廃した後の世界に、度々来訪してきた人たちを殺したのも、ギルハがそう願ったから。今を保つことを優先する彼女に、ボクは従って生きてきた。
それが彼女への恩返しだから。この世界を崩そうとする目的を持つ奴らを、排除しないといけない。
頭では、そう理解できているのに。
ボクは、この世界にやって来たギルハを殺せなかった。
別にギルハの見た目だから殺せないとかじゃない。ボクはボクを助けてくれたギルハのことを信じているし、心を許している。今だって役に立ちたいという思いはある。
にもかかわらず、ボクの思考は真っ白で、体も動こうとはしなかった。
ギルハはそんなボクのことを許してくれたし、理解も示してくれたけど、ボクはボク自身が許せなかった。ギルハへの忠誠はそんなものだったのか。ボクが彼女に抱く想いは、その程度だったのか。そう自問自答を繰り返すけど、結局この世界にやってきたギルハに、それ以上刃を向けられなかった。
「……」
地響きが絶えず階下から轟く。スライムで創られたニドゥカが暴れているようだ。ボクたちのいる上階が崩れるんじゃないかって、それほどに大きな振動が続くけど、ここはギルハの生やす根が支えてくれている。そう簡単には崩れ落ちないだろう。
「ルカは、どうしたいの?」
「……っ」
甘い声が、囁いた。この場には、ボクとギルハの二人だけ。樹と一体化した彼女は、ボクを柔らかい瞳で眺めながら、優しい口調でそう言った。
「ボクは、ギルハのために……」
「下の階にいるのも、私だよ?」
「……からかうなよ」
「ふふ、ごめんね」
彼女は、謝ってくれるけど、違う。
本当に謝らないといけないのは、ボクの方だ。目の前にいるギルハも、こっちの世界にやってきたギルハも、区別を付けられていないのは、他でもないボクで、それを言い訳にして逃げる方が余程、卑怯だと言えた。
再び沈黙が二人の間を繋ぐ。ボクと彼女との間に、最早言葉なんていらないはずだったけど、何故だか少し、この空間は居たたまれない。
「もっと、早くにルカに出会えていたならって、私は思うの」
「え?」
彼女は空を見上げて、願うようにそう呟いた。声は澄んでいて、上機嫌だとさえ思える。すぐそこに、これまでになかった脅威が迫っているというのに、ギルハの顔はどこか晴れやかだ。
「だって、会った時にはもう、私の心はそこになかったから」
「……」
思い出されるのは、初めて出会った時の、空虚に輝く虹色の瞳。一緒に行動していた時も、彼女は笑ったり感情を出したりしていたけど、そのどれもが空っぽで、なんというか寒そうだった。
「だから、もっと早くに出会えていたなら、何か変わっていたのかなって、そう思ったの」
「……そんなの関係ないよ。ボクとギルハは、きっとずっと一緒だ。どんな出会い方だったとしても、変わらない」
「ううん。私じゃなかったら――、初めてルカが出会ったのが、今ここに来ているあの子だったなら、もっと幸せだったと思うよ」
「――っ!! そんなこと言うなよ!!」
思考を介さず、そう叫んでいた。
ボクは、湧き上がってくるぶつけようのない怒りを、言葉に込めた。それを向けた先が、ギルハだってことも、わかっているけど。
ボクは、ボクが過ごした日々を否定されたような気がして、嫌だった。
ボクの好きなギルハを否定された気がして、目を背けたかった。
だってギルハはボクを助けてくれて、ボクのことずっと気に掛けてくれて、今もボクを想ってくれている。
どうして、彼女はそんなことを言うのか、理解に苦しんだ。
「ごめんね、ルカ。でも、私は私の道を間違ってるって、思うから。そんな道に連れてきてしまったあなたが、せめて幸せになってくれればって、ずっと思ってたの。全部、全部私が悪いから」
「違う――っ。違うだろ! ギルハは悪くない! ギルハはずっと戦ってた! ずっと前を見続けて、世界を守ってただろ!」
「……そんな大したこと、してないよ。私は、世界の敵になっただけ。ごめんね、ルカ」
「なんで……、なんでだよ――っ」
悔しい、悔しい悔しい。ギルハにそう思わせてしまったことが。ギルハが、まだボクを見ていないことが。
胸が痛い。呼吸するのも辛くて、苦しくて、咽せてしまう。
「私は前を向き続けないといけなかったけど、今のあの子はそうじゃない。ずっと隣にいてくれるし、後ろを振り返ってくれる。それから――」
空を見上げていた彼女が、ボクを見た。その瞳は、綺麗で透き通っていて。
やっぱり、空虚な虹色をしていた。
「ちゃんと、笑ってくれるよ。乾いた心じゃなくて、水のように純粋な笑顔を、ルカに向けるはず」
「――っ」
彼女の言葉に、心臓がイヤな音を立てた。
そう、そうだ。ボクはギルハに笑って欲しかった。ずっと前を向き続ける彼女を振り向かせて、心の底から安心した笑顔を見せて欲しかった。
そのために、彼女の理想のために生き続けた。力になりたくて、少しでも彼女の中に生きていたくて、追い掛け続けた。隣にいようとし続けた。
彼女の心が、いつか晴れることを信じて。
「もう、私はルカの希望にはなれないから」
「……そんなこと――」
「今ならまだ、間に合うかもね」
階下からの振動が止んだ。まさか、と嫌な汗が背中を伝う。殺された? でも、こっちの世界に来たギルハ、ボクのよく知るギルハの敵で。
でも、ボクはギルハがイヤな目に遭うことを、見たくなくて。
「――っ!!」
再度、振動が鳴った。最早、ボクの思考が平静を取り戻す時間的な猶予なんてない。
混乱が頭を付き纏う中、ボクの体は弾かれたように自然と、階下へと繋がる穴へと吸い込まれていた。
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