第20話 商圏の拡大と自治の宣言
翌月、ノイラート郷の跳ね橋を、一台の豪奢な馬車が渡ってきた。
乗っていたのは、白石宿の密貿易商ボリスではない。
北部一帯の交易を一手に束ねる「北方商業連合」の会頭、ヘンドリック氏その人だった。
白髪をきれいに撫で付け、金の懐中時計を下げた老紳士は、案内されたノイラート郷の光景を見て、感嘆のため息を漏らし続けていた。
「……信じられん。死病の谷と恐れられていた場所に、これほど美しく整備された製塩所と、煙一つ逆流しない石造りの町並みがあるとは」
旧領主館の会談室で、レティシアはヘンドリック会頭と向き合っていた。
卓上には、澄み切った純白塩の結晶と、鏡のように磨かれた高純度黒鉛のインゴットが並んでいる。
「ヘンドリック会頭。ボリス氏を通じて試作品をお届けしていましたが、品質にご満足いただけましたでしょうか」
「満足どころではありませんよ、ファレル監察官……いや、代表とお呼びすべきかな」
老会頭は眼鏡の位置を直し、身を乗り出した。
「王都の貴族連中が独占していた南方の岩塩よりも遥かに純度が高く、塩漬け肉の保存期間が二割も伸びた。黒鉛に至っては、王立造幣局の鋳造炉が絶賛し、従来の三倍の価格で買い取りたいと申し出てきています。……つきましては、連合として当郷との間に、年間を通した直接独占売買契約を結びたい」
提示された契約書には、莫大な金貨の支払額と、食糧・衣類・鉄鉱石の無制限供給の確約が記されていた。
「ただし」
ヘンドリックが声を潜めた。
「王都の主計局や貴族院が、この取引を黙って見過ごすとは思えませんがね」
「その点については、すでに手を打ってあります」
レティシアは、横に控えるキリアンに目配せした。
キリアンが一通の親書を机の上に置く。
「先日の査察隊長ヴォルフ大尉の自供調書に基づき、王都主計局の横領の全証拠を、貴族院と対立する第三王子派の重鎮監察官へ極秘裏に送付いたしました。今頃、王都では査察局による大規模な手入れが始まっているはずです」
ヘンドリックは目を見張り、それから愉快そうに声を立てて笑った。
「なるほど! 中央の権力闘争を利用して、自分たちに手を出せない状況を作り出したわけですな。……素晴らしい。実に堅牢な防壁だ」
「契約を締結しましょう」
レティシアは鉄ペンを走らせた。
「これにより、ノイラート郷は食糧、物資、資金のすべてにおいて完全な自立を達成します。もはや王都の施しも、配給も一切不要です」
調印が終わった瞬間、谷に高らかな鐘の音が鳴り響いた。
住民たちが広場に集まり、新しい交易契約の成立と、共同体の完全な自活を祝って歓声を上げていた。
第20話まで見届けてくださり本当にありがとうございます!物語もいよいよ終盤戦です。
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最終話まで駆け抜けますので、引き続きお付き合いください!




