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灰谷の墓守 〜王都を追われた監査官、呪われた禁足地で「死者の村」を登記する〜  作者: しの


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第19話 キリアンの独占欲

査察隊の尋問が終わり、自供書への署名が完了した深夜。


執務室で一人、王都への告発状を整理していたレティシアの元へ、キリアンが入ってきた。

手には、湯気を立てる薬草茶の入ったマグカップが二つ。


「……まだ起きていたのか」


「この供述書を清書しておかなければなりません。明日の便で白石宿の豪商へ託す手はずですから」


レティシアがペンを止めずに答えると、キリアンは机の上にマグカップをトンと置いた。

しかし、そのまま部屋を出ていく気配はない。彼は机の脇に立ち、書類を睨みつけるように見下ろしていた。


「……王都へ、これを送るのか」


「ええ。これでバルツァー局長と不正貴族たちの息の根は止まります。彼らが失脚すれば、私の濡れ衣も晴れ、この谷に対する不当な介入も法的に阻止できます」


「お前の濡れ衣が晴れる、か」


キリアンの声が、不自然なほど低く沈んでいた。


レティシアが訝しんで顔を上げると、キリアンは銀灰色の瞳を険しく細め、じっと彼女を見つめていた。その瞳の奥には、抑えきれない焦燥と、暗い焔のような感情が渦巻いている。


「濡れ衣が晴れれば……お前は王都へ戻るのか?」


「……はい?」


「お前は優秀な監察官だ。総監たちの汚職を暴いた英雄として、主計局に返り咲くこともできるだろう。中央の華やかな席でお前の能力を使えば、引く手あまただ」


キリアンが一歩、間合いを詰めた。

机に手をつき、レティシアの顔を覗き込むように身を乗り出す。その巨躯が落とす影が、彼女をすっぽりと覆い隠した。


「こんな泥と煤にまみれた穴倉で、死人どもの世話を焼く筋合いなど、最初からお前にはないはずだからな」


「キリアン様、何を——」


「渡さんぞ」


キリアンの手が、机の上の書類を掴むレティシアの手首を、痛いほど強く掴んだ。

荒々しい、だが微かに震えている指先。


「誰にも渡さん。王都の貴族どもにも、主計局にもだ。お前をこの谷に捨てた連中が、今さらお前の価値に気づいて連れ戻そうとしたところで……俺がお前を囲い込んで、絶対に外へは出さん」


「……息が詰まります」


レティシアは手首を引こうともせず、静かに彼の目を見つめ返した。


「痛いですし、何より論理的ではありません。私が王都に戻るなどと、一言でも言いましたか?」


キリアンが息を呑み、ピタリと動きを止めた。


「私はすでに、この谷の住民台帳の筆頭に自分の名前を記入しました。この地の水利、畑、鉱脈、そして百二十名の生活基盤……これらすべてを数値化し、構築したのは私です。自分が一から立ち上げた事業の黒字化を見届けずに、他人の腐りかけの組織に戻るなどという非合理な選択を、私がするとお思いですか?」


「……レティシア」


「それに」


レティシアは視線を落とし、彼の手首の脈を指先で測るように軽く触れた。


「貴方のその古傷の経過観察も、まだ半年分しか記録していません。担当者を途中で変えることは、医療記録の管理上、重大な過失となります」


キリアンはぽかんと口を開けた。

それから、力なく苦笑し、彼女の手首を掴んでいた力を緩めた。

だが、手は離さず、そのまま彼女の指先をそっと包み込んだ。


「……まったく、どこまでも計算づくの女だな」


「ええ。ですから、無駄な心配で血圧を上げるのはおやめください。それに、お茶が冷めます」


キリアンは小さく笑い、彼女の手を名残惜しそうに離すと、マグカップを手に取った。

二人の間に流れる夜の空気は、張り詰めた緊張から、深く甘やかな安らぎへと溶けていった。

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