第16話 消えた左遷官の噂
王都・主計局の廊下に漂う空気は、半年が経っても淀んだままだった。
香油で整えられた髭を撫で回しながら、主計局長バルツァー男爵は、豪奢な執務室の窓から秋の光が差し込む中庭を見下ろしていた。
「……まだ何の報告も上がってこないとは、どういうことだ」
机の前で平身低頭している監察補佐官が、脂汗をハンカチで拭った。
「は、はい。ノイラート郷へ派遣したレティシア・ファレル監察官ですが……半年が経過しても、死亡確認の報告書も、廃村登記の最終書類も届いておりません」
「あの死病の谷に入って半年だぞ。女一人、野垂れ死んで白骨化しているに決まっているだろう! なぜ現地からの死亡届が出ないのだ!」
「それが……境界の白石宿の宿主や馬車引きに問いただしたところ、彼女は確かに手荷物一つで境界石を越えて谷へ入ったとのことですが……」
補佐官は声を潜め、困惑したように続けた。
「このところ、周辺の商人たちの間で奇妙な噂が流れておりまして」
「噂だと?」
「白石宿の闇市場で、出所不明の『異様に純度の高い塩』や、王都の造幣局すら驚くほどの『耐火黒鉛』が取引されていると。その出所を辿ると、どうもあの立ち入り禁止のはずのノイラート郷の方角から出ているらしいのです。まさか、あの小娘が生き延びて、脱走兵どもと徒党を組んでいるのでは……」
「馬鹿を言え!」
バルツァーは机をバンと叩いた。
「あの谷には亡霊しかおらん! だが……万が一にもあの女が生きていて、何かを嗅ぎ回っているとすれば厄介だ。貴族院の兵站補給委員長からも『あの谷の採石権の払い下げを急げ』と急かされているのだ」
バルツァーは眉間に深い皺を寄せ、机の上の書類に乱暴に署名した。
「正規の査察小隊を二十名動員しろ。指揮は強硬派のベルンハルト卿の私兵隊長に任せる。名目は『行方不明の監察官の捜索、ならびに禁足地の不法占拠者の掃討』だ。……女が生きていたら、その場で処分しろ。死人に口なしだ」
秋風が、主計局の窓を冷ややかに吹き抜けていった。




