↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰谷の墓守 〜王都を追われた監査官、呪われた禁足地で「死者の村」を登記する〜  作者: しの


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/29

第13話 死者たちの初収穫

塩と黒鉛の交易によって、集落には大量の鉄製農具と、寒冷地用の麦の種、そしてカブの種子がもたらされた。


しかし、谷底の土地は痩せた頁岩と粘土ばかりで、作物が育つような土壌ではない。


「こんな岩だらけの土じゃ、麦の芽すら出ねえよ」


集落の男たちが、ツルハシで硬い地面を叩きながら弱音を吐いた。


「土がないなら、作ればよいのです」


私は採石坑道の奥、オンドルの煙道の底を指差した。


「煙道に溜まった木炭の灰と、生活排水の沈殿池から出る有機質の泥、そして石灰岩の粉末を混ぜ合わせます。木炭灰のアルカリ性が土の酸性を中和し、多孔質の構造が空気と水分を保持します」


住人総出での「土作り」が始まった。


かつて近衛兵だったキリアンが泥まみれになって大八車を押し、針子のマリアが石灰の粉をふるいにかけ、子供たちが川から腐葉土を運んでくる。


誰一人、不満を漏らす者はいなかった。

自分たちが手を動かせば動かすほど、生活が目に見えて良くなっていくことを、彼らはこの数週間で骨の髄まで理解していたからだ。


谷の日当たりの良い南斜面に、石を積んだ段々畑が作られた。

冷たい風を遮るための石垣を背にし、オンドルの排気熱を通した地下道の上に作られた畑——いわば「温室の段々畑」だ。


種を蒔いてから四十日。


初雪が谷の尾根を白く染め始めた朝、段々畑に緑の絨毯が広がっていた。


寒さに強い黒カブが、丸々と太った紫がかった白い肌を土の上に覗かせている。

隣の区画では、青々とした冬麦の若葉が、霜に負けることなく力強く天を突いていた。


「……抜けた! 母ちゃん、見て! カブが抜けたよ!」


四歳のトマが、自分の頭ほどもある大きなカブを両手で抱え上げ、泥だらけの顔で笑った。


あちこちで、歓声が上がった。

次々と土から引き抜かれる、瑞々しいカブの群れ。

葉を千切ると、ピュッと新鮮な水分が飛び散り、甘い大地の匂いが冷たい空気に広がった。


「収穫だ……! 俺たちの手で、飯が作れたぞ!」


老いた石工のゴードンが、泥のついたカブを胸に抱きしめ、子供のように肩を震わせて泣いていた。


三十年間、施しと略奪、そして泥水ですすり泣いていた亡霊たちが、自らの大地から命を刈り取った瞬間だった。


その日の昼、広場には巨大な鍋が据えられた。

採れたてのカブと、密貿易商から買い取らせた上質な豚肉、そして純白の塩だけで煮込んだシンプルなスープ。


透き通ったスープの中で、柔らかく煮崩れたカブが黄金色に輝いている。


「レティシア様、最初の一杯を」


マリアが、湯気の立つ木椀を両手で私に差し出した。


周囲の住人たちが、固唾を呑んで私を見つめている。

私は木椀を受け取り、匙で熱いスープとカブの小片を口に運んだ。


柔らかい。

噛む必要すらないほど滑らかに解け、上品な甘みと、大地の滋味が口いっぱいに広がる。


「……糖度、申し分ありません」


私が静かに頷くと、広場は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。


人々が鍋に群がり、笑顔でスープを分かち合う。

子供たちが走り回り、男たちが肩を叩き合って笑い声を上げる。


私は広場の端の石段に腰を下ろし、その光景を眺めていた。

手帳を開き、新しい項目を書き加える。


『——一次産品収穫完了。カブ約六百キロ、冬麦の定着率九十二パーセント。

これにより、当集落の外部食糧依存度を四割削減。

自治共同体としての自給基盤、概ね確立』


「……監査官殿」


気がつくと、キリアンが私の隣に立っていた。

彼の手にも、並々と注がれたカブのスープがあった。


「お前は、本当に笑わないな。これだけの奇跡を起こしておいて」


「奇跡ではありません。計算通りの収率です」


「そういうところがだ」


キリアンは苦笑し、私の隣の石段に腰を下ろした。


二人の間に流れる沈黙は、もはや出会った頃の冷たい刃のようなものではなかった。

暖炉の火のそばにいるような、静かで、確固たる安らぎがそこにあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。