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灰谷の墓守 〜王都を追われた監査官、呪われた禁足地で「死者の村」を登記する〜  作者: しの


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第10話 温かい粥と乾いた床

三日後の交渉に向けて準備を進める傍ら、私は住人たちの住環境の改善に着手した。


地下の集落は、昼夜を問わず冷気が足元を這い、湿度が八十パーセントを超えていた。どれほど清潔な水を飲んでも、濡れた床と冷え切った空気の中にいれば、老人の肺は腐り、子供の体温は奪われる。


「煙が目に染みる……ゲホッ、ゲホッ!」


広場で焚き火を囲んでいた男たちが、目を真っ赤にして咳き込んでいた。


「暖炉の煙が逆流していますね」


私は天井を見上げた。

採石坑道の排気口として掘られた縦穴は、三十年間の崩落で半ば塞がり、煙が逃げ場を失って洞窟内に滞留していた。


「キリアン様。石工のチームをこちらへ」


私は石切りの親方だった老人——名簿の八番目に登録したゴードンを呼んだ。


「ゴードンさん。この奥の廃坑道から、排気穴へ続く傾斜を利用して、床下に『煙道』を通したいのです」


「床下に……煙を?」


ゴードンが怪訝な顔をする。


「オンドル、と呼ばれる東方の温床技術です」


私は地面に棒切れで断面図を描いた。


「火を焚く場所を居住区の端、一段低い場所に設けます。そこから発生した熱気と煙を、住居の床下に掘った溝——耐火石で組んだトンネルの中を這わせるのです。熱は石を温め、乾いた床を作り出します。そして冷めかけた煙だけを、縦穴の排気口へ逃がす。これなら煙を吸い込むことなく、床全体を一日中人肌の温度に保てます」


ゴードンは図面を食い入るように見つめ、やがてその節くれた指で自分の顎を撫でた。


「……なるほどな。石灰岩は熱を蓄えやすい。薄い板石を上に敷き詰めりゃ、極上の寝床ができるぞ。おい、若いの! タガネとツルハシを持ってこい! 床掘りだ!」


職人の血が騒いだのか、ゴードンの号令のもと、男たちが生き生きと床を掘り始めた。


私はその間に、針子のマリアたちと共同炊事場へ向かった。


先ほど完成したばかりの、純白の塩。

そして、名簿で「野草の選別」ができると名乗り出てくれた女性たちが採集してきた、山肌のブナの木の実と、雪の下で自生していたクレソンに似た辛味のある野草。


大鍋に清浄な水を沸かし、不純物を取り除いた大麦を煮込む。

砕いたブナの実から出る脂がスープにコクを与え、仕上げに一掴みの純白の塩を落とす。


湯気とともに、香ばしい穀物の香りと、澄んだ塩の匂いが立ち上った。


「……できたわ」


マリアが感嘆の声を漏らす。


その夜、集落の全員に配られたのは、泥臭さのない、真っ白な温かい粥だった。


男たちも女たちも、一口啜るごとに息を呑み、それから貪るように木椀を空にした。


「うまい……こんなにうまい飯、何年ぶりだ……」

「塩が……甘いぞ。舌がピリピリしない」


さらに、完成したばかりのオンドルの床の上に、マリアたちが仕立て直した乾いた麻布の敷物が広げられた。


恐る恐る足を踏み入れた子供たちが、歓声を上げた。


「あったかい! 床が、ポカポカしてる!」


冷え切って湿っていた地下洞窟が、今や薪のはぜる音と、人々の温かな吐息で満たされていた。

あちこちで聞こえていた苦しげな咳は止み、子供たちは温かい石床の上で、猫のように丸くなって眠りに落ちていく。


私は壁に背を預け、湯気の立つ白湯をすすりながら、手帳に鉛筆を走らせていた。


『——生活環境改善、第一段階完了。

床下暖房の敷設により、呼吸器疾患の発生率を約六割削減できると推計。

次なる課題は、外部交易路の確保と、防寒用獣脂の備蓄』


カツ、と硬い軍靴の音が近づいてきた。


顔を上げると、キリアンが木椀を片手に立っていた。

彼の瞳は、床の上で穏やかに眠る住人たちを、まるで夢でも見ているかのように見つめていた。


「……お前の頭の中には、一体どれだけのものが詰まっているんだ」


「主計局の基本教本と、帝国の地方行政年報です。すべて紙に書いてある既知の技術ですよ」


「本を読んだだけで、これができるものか」


キリアンは私の隣に腰を下ろした。

普段は決して緩まない彼の肩が、わずかに下がっている。

彼の手から、温かい粥の湯気が立ち上っていた。


「十年間、俺はこいつらをただ『死なせない』ことだけに必死だった。いつ王都の追手が来るか、いつ食糧が尽きるか……怯えながら、ただ息を繋ぐことしか頭になかった」


キリアンは木椀を見つめたまま、低く呟いた。


「だが、お前が来てからわずか数日で、ここは……人が生きる場所になった」


「まだ通過点です。明日は、あの強欲な密貿易商との決算が待っていますから」


私が淡々と答えると、キリアンはふっと短く息を吐いた。

左目の傷跡が、笑みの形に歪む。


「ああ、そうだな。……楽しみにしているぞ、監察官殿」


その声には、もう私を疑う色など微塵も残っていなかった。

10話までお読みいただきありがとうございます!


これから物語はさらに加速していきますので、ぜひ最後まで見届けていただけると嬉しいです。


▼ 箸休めにおすすめの読み切り短編はこちら


『無能と追放された『味付け係』の私、未開の古代迷宮で極上スープを作っていたら、飢餓状態の帝国騎士団長が壁をぶち破って求婚してきました 』


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サクッと読める短編も投稿していますので、更新待ちの合間にぜひお立ち寄りください!

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