表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

80/83

3-4-5 長い旅の果てに

アーゼラは目を開け、ゆっくりと上体を起こした。視界に広がった光景を認識した瞬間、胸の奥で何かが鈍く軋む。


冷たいコンクリートの床。無機質な柱。視線の先へと延びる線路と、その上に静止する巨大な鉄の塊。


見覚えがある──いや、それ以上に、身体の奥に染みついた記憶そのものだった。


ここは、自分がかつて生きていた世界。

転生の力を得る以前、すべてが始まる前の「現実」だ。


「……戻ってきたというの?」


呟きは、わずかに掠れていた。


背筋を冷たいものが這い上がる。転生は成功したはずだった。あの世界での敗北が、そのまま終わりを意味するはずはないと、どこかで信じていた。それでもなお、自分が送り返された先が、異世界ではなくこの場所であることが、理解の遅れを伴って現実として押し寄せてくる。


周囲を見回すと、人々が行き交っている。だがその視線に、恐怖も畏怖もない。ただ、奇妙な挙動をする者に向けられる、浅い好奇の色だけがあった。


魔力の気配はどこにもない。空気は平板で、ただ流れている。


「サーラゼル……!」


奥歯を噛み締める。怒りが遅れて立ち上がる。


第五の方法が最後だと言った──だが違う。あの少女は、確かにその先を用意していた。


魔法コンテナは封印ではなかった。わずかな時間のずれを仕込む器だったのだ。

一秒につき一万分の一秒という、無視できるはずの誤差。それが長大な遡行の中で積み重なり、転生の到達点を静かに狂わせる。


十年遡る間に、内部時計だけがわずかに先行した。


その結果、転生能力を得る以前の時間へと、余分に踏み込んでしまったのだ。


「よくも……」


言葉は喉元で止まる。周囲の視線がさらに集まるのを感じ、辛うじて飲み込んだ。


人々は何事もなかったかのように電車へと乗り込み、日常へと戻っていく。

かつて闇の女王と呼ばれた名も、その力も、この場所では何の意味も持たない。


ただの一人の人間として、そこに立たされている。


呼吸を整えようとするが、この世界に魔法はないという事実が、思考のたびに突き刺さる。かつて掌中に収めていた力の気配はどこにもなく、世界そのものが自分を拒絶しているかのようだった。


それでも。


アーゼラの瞳には、消えない光があった。

怒りか、執念か、それとも別の何か──まだ判別のつかない、鈍い輝きが。


彼女は歩き出した。


—-


腹の底に沈殿する苛立ちを抱えたまま、アーゼラは自分の生家へと向かっていた。

転生能力を奪われたという事実は、なおも現実味を欠いている。それでも、見慣れた街並みは否応なく過去を呼び起こし、足取りをわずかに鈍らせた。


角を曲がるごとに、記憶が形を持って現れる。

何気ない風景の一つひとつが、微かなずれもなく一致する。


やがて、自宅の前に立つ。


変わらない佇まいだった。時間の経過を知らぬかのように、そこに在り続けている。


アーゼラはしばらく動かずにいたが、やがて無意識のうちに手を伸ばし、扉を開ける。


中へ足を踏み入れた瞬間、生活の気配が肌に触れた。


そして、玄関の奥から、母親が顔を覗かせる。


「あら、今日は早いのね」


その一言は、あまりにも軽く、何の前触れもなく、彼女の内側に入り込んできた。


変わらない声。変わらない表情。

時間の断絶など、まるで存在しなかったかのような自然さ。


「あ……」


言葉にならない音が漏れる。


積み重ねてきた歳月が、一挙に押し寄せる。

魔法の探究。無数の死と再生。終わりの見えない転生の連なり。

そのすべてが、この瞬間、行き場を失って溢れ出した。


喉が締まり、視界が滲む。


ようやく辿り着いた場所が、ここなのだと──理解してしまった。


「どうしたの?何かあったの?」


母の声が、すぐ近くで響く。だがアーゼラは答えられない。ただ、溢れるものを抑えることができなかった。


母にとっては、ほんの数時間の外出からの帰宅に過ぎない。

だがアーゼラにとっては、果ての見えない時間の果てからの帰還だった。


母は何も問わず、ただ静かに近づき、その肩を抱く。


その温もりに触れた瞬間、張り詰めていたものが崩れた。


アーゼラは力なく身を預け、母の胸に顔を埋める。


今この瞬間、彼女はただの娘だった。

それ以上でも、それ以下でもない、名も力も持たない、一人の人間として。


ブクマでサーラたちの応援をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ