3-3-22 天を見ろ
「諦めるな!」
その声は、不意に戦場の歪みを切り裂くように響いた。どこか聞き覚えのある、しかし今この場にあるはずのない声音だった。
アーゼラはわずかに眉を動かし、周囲へ鋭い視線を走らせる。
「誰……? どこにいるのよ」
苛立ちを抑えきれぬまま、声の源を探るが、視界にはただ瓦礫と渦巻く闇しか映らない。
次の瞬間、上空から鋭い気配が降下してきた。
「滅せよ──カヴァリナ!!」
ミーナたちが反射的に顔を上げる。そこには、風を切り裂くように落下してくるシオンの姿があった。《人馬の槍》を構え、その全身を一条の軌跡へと収束させながら、彼女は迷いなくカリュブディスへと突き進む。
「シオン……!」
ミーナの声は届かない。すでにシオンの意識は、ただ一点にのみ研ぎ澄まされていた。
落下の勢いと魔力を束ねた一撃が、魔物の中心を正確に穿つ。
「──うおおっ!!」
短い叫びとともに、槍は深々と突き立ち、その瞬間、カリュブディスの輪郭が崩れた。膨張した闇が内側から裂けるように弾け、吸引の渦が途切れる。
重圧が消え、空間が軋む。
崩壊した魔物は、抵抗する間もなく散り、砂のように解けていった。
巻き上がる塵が視界を覆い、誰もが息を呑んでその余韻に耐える。やがて、ゆっくりと静寂が戻る。
カリュブディスは、完全に消滅していた。
「……やるじゃない、シオン」
ミーナが小さく息を吐き、ようやく表情を緩める。
だが当のシオンは、それに応じる余裕すら見せず、すぐさま地を蹴ってシェリーのもとへ駆け寄った。倒れ伏すその身体を抱き起こし、周囲を警戒しながら距離を取る。
「シェリー、聞こえるか。しっかりしろ」
呼びかけは静かだが、わずかに焦りを含んでいる。しかしシェリーの瞼は閉じられたまま、意識の戻る気配はない。
その様子を見据え、アーゼラは唇をわずかに歪めた。
「……ふん。一匹消えたくらいで、何を騒いでいるのかしら」
声音は冷ややかだが、その奥に微かな棘が混じる。余裕は崩れていない。だが、完全でもなかった。
彼女が杖を持ち直し、次の術式へと意識を向けかけた、そのときだった。
「天を見ろ!」
シオンは鋭く叫び、槍を掲げるようにして頭上を指し示した。
その声に導かれるように、全員の視線が空へと引き上げられる。
そこにあったのは、戦場とは不釣り合いなほど澄みきった光景だった。朝の陽光を背に、一つの影が静かに降りてくる。
巨大な天竜。その広げた翼が風を整え、荒れた空気を押し鎮めるように滑空していた。
その背に立つ一人の少女──サーラ。
揺るがぬ姿勢のまま降下し、やがて中庭へと足をつける。砂埃が柔らかく舞い上がり、彼女の周囲だけがわずかに静まった。
サーラは一同を見渡し、ほんのわずかに表情を緩める。
「待たせたわね」
その一言で、張り詰めていた空気がほどける。
「サーラ!」
フィーが真っ先に声を上げ、他の仲間たちもそれに続く。安堵と高揚が入り混じった気配が、場に広がった。
サーラは天竜の背から降り立ち、そのまま一歩、アーゼラへと歩み出る。視線はまっすぐで、迷いがない。
「ようやく、私の出番みたいね」
その言葉は穏やかだったが、場に立つ者の呼吸をわずかに狂わせる重さを帯びていた。
「あなたは、ここで終わりよ」
アーゼラは一瞬だけ目を細め、すぐに薄く笑った。
「……また一人増えただけのこと」
軽く肩をすくめる仕草。しかしその瞳は、先ほどまでとは異なる深さでサーラを測っている。
「それで、何か変わるのかしら?」
サーラは答えず、ただ仲間たちの方へと視線を巡らせる。
傷を負い、消耗しながらも、なお立っている彼女たちの姿を確かめるように。
「……よく持ちこたえてくれたわ」
その言葉は静かだったが、確かに全員へ届いた。
ミーナがわずかに笑みを浮かべる。「遅いわよ、ほんとに」
「ごめん。でも──間に合ったでしょ?」
サーラの返答に、誰も否を唱えなかった。
散りかけていた戦意が、再び結び直されていく。
サーラは前へ出る。その背に、仲間たちの気配が重なる。
戦場の重心が、静かに移った。
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