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3-3-6 支配魔法

帝国将軍ナディア・ヴァルシオンは薄暗い自室の中で、行き場のない思いを抱えていた。

帝国は闇の女王との長い戦争で疲弊しきっている。幾度となく勝利を重ね、同じだけの敗北も味わってきたが、戦局は決して決定的な方向へは傾かない。戦いは続き、兵は減り、そしてまた新たな戦いが始まる。その繰り返しだった。


特殊部隊を率いる彼女の任務は、最前線で剣を振るうことよりも、敵の動きを先読みすることにある。

敵国に潜伏して情報を収集し、裏で策を巡らせる敵を迎え撃つ。それがナディアの役目だった。


その経験から、彼女は一つの予感を抱いていた。

次に闇の眷属が仕掛けてくるのは、正面からの攻撃ではない。もっと静かで、もっと巧妙な手段──人の隙を突くような“搦手”になるのではないかという、言いようのない直感である。


しかし、その一方で彼女は、わずかな安堵も感じていた。


ここ数日、ロキスヴェインの策が功を奏し、

闇の眷属による襲撃は途絶えていた。

戦場には久しく忘れていた静寂が戻り、兵たちは束の間の休息を得ている。部下たちは疲れ果てており、彼女自身もまた心身ともに消耗していた。


今だけでも、この短い平穏に身を委ねていたかった。

だが心の奥に潜む不安は消えず、むしろ静かな水面の下で広がる波紋のように、じわじわと彼女の胸を侵食していく。


「次は何が来るのか……」


独り言のように呟く。

もちろん返事をする者はいない。


その時、ふとした倦怠感が体を包み込んだ。

頭の中に薄い霧がかかったような感覚が広がり、思考がわずかに鈍くなる。疲労のせいだろうかとナディアは深く息を吐き、ベッドの端に腰を下ろした。


その瞬間だった。


ふいに足首へ鋭い痛みが走った。


「……え?」


驚きの声が漏れる。

だが反応は一瞬遅かった。


足元を見ると、黒い影が床を滑るように走り、ベッドの下へと消えていく。

ナディアは動揺しながら足を確認した。


足首には、二つの小さな刺し痕が並んでいた。

その周囲から不気味な痺れが、異様に早く広がっていく。


「……くっ、毒蛇?こんなところに……!」


ナディアは立ち上がろうとする。

しかし体が思うように動かない。


血流に乗って毒が広がり、筋肉が徐々に麻痺していく。四肢はまるで重い鎖に繋がれたように鈍くなり、立ち上がるだけの力すら思うように入らなかった。


視界が少しずつぼやけていく。

意識がゆっくりと遠ざかり始めていた。


その時、奇妙な感覚が芽生えた。


頭の奥で、何かがゆっくりと広がっていく。

それは痛みではない。だが、確かに異物だった。


思考の隙間に、黒い霧のようなものが入り込んでくる。意識の奥を、冷たい指でなぞられるような感覚。


そして──頭の奥に、誰かの声が響いたのだ。


『戦場に倒れた者たちが、あなたを呼んでいるわ』


それは言葉というより、思考そのものが流れ込んでくるような感覚だった。


『もう戦えないと、血に濡れた手で、あなたに縋りついている』


闇の眷属による精神への攻撃──その可能性が頭をよぎる。


しかし抵抗しようとする意志は、毒と共にじわじわと削がれていった。


『まだ続けるの?

これ以上、誰の命を差し出せば気が済むの?』


戦場の光景が脳裏に浮かぶ。

疲れ果てた帝国兵、終わることのない戦い、そして無尽蔵に現れる闇の眷属たち。


兵が倒れ、また兵が補充される。

同じ光景が、何度も何度も繰り返される。


その度に、胸の奥に一つの思いが浮かび上がってくる。


──これ以上、戦争を続けてはならない。

私は兵の命を預かる上官だ。

いたずらに兵を死なせるわけにはいかない。


だがその一方で、もう一人の自分が必死に叫んでいた。


──帝国のために戦わなければならない。

私は特殊部隊の指揮官だ。

この国を守るために、ここで退くわけにはいかない。


その叫びは確かに存在していた。

しかし、流れ込んでくる異質な意志の前に、それも少しずつ弱まっていく。


『もう十分でしょう。

これ以上、血を流さなくていいの』


その声は、いつの間にかナディア自身の思考のように響いていた。


『戦争を、終わらせましょう』


「そうだ……私は……戦争を終わらせなければならない……」


彼女はゆっくりと立ち上がった。


足元の痛みは、もうほとんど感じない。

歩みは不安定で、ふらふらと頼りない足取りだったが、その表情には奇妙な安堵と使命感が浮かんでいる。


ナディアは薄暗い廊下へと歩み出た。

そして静かに自室の扉を閉める。


その顔に、かつての冷静な指揮官としての面影はほとんど残っていなかった。


ただ一つの目的のために行動する者の表情だけが、そこにはあった。


ナディアの心にはすでに、「帝国を守る」という忠誠ではなく──

「帝国に戦争をやめさせる」という、新たな使命が深く刻み込まれていたのである。


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