3-3-4 合理的な解決
ロキスヴェインが最後の術式を唱え終えると、燃料プール全体が青白い光を放ち始めた。濃密な魔力の気配が戦場一帯へと広がり、空気そのものが張り詰めたような緊張を帯びていく。
兵士たちは思わず息を呑み、ただ黙って彼の背中を見守るしかなかった。
その瞬間である。
間近まで迫っていた魔獣の群れが、突如として動きを止めた。
まるで世界そのものが凍りついたかのようだった。
地を蹴り上げたままの姿勢、牙を剥き出したままの口元、今まさに唸り声を上げようとしていた喉──それらすべてが、完全に静止している。
それまで耳をつんざくように響いていた咆哮や足音も、次の瞬間には完全に消え失せた。
戦場は、突然訪れた無音の空間へと変わっていた。
目の前で起きた異常な光景に、兵士たちは呆然と立ち尽くす。
戦場で数多の死と破壊を見てきた者たちでさえ、このような現象を目の当たりにしたことはなかった。
ある若い兵士が、目前で静止した魔獣を見つめながら後ずさる。
恐怖と困惑が入り混じり、足をもつれさせ、そのまま尻もちをついた。
「な……なんだ、これは。まさか、本当に止まっているのか……?」
その呟きが静寂の中に落ちたとき、ロキスヴェインがゆっくりと振り返った。
兵士たちを一瞥し、落ち着いた声音で告げる。
「そうだ。彼らの時間を、私の魔法で停止させた」
その言葉に、兵士たちはさらに驚愕した。
時間を止めるなどという魔法は、神話や古い伝承の中で語られるだけの存在であり、実在するとは誰も思っていなかったからである。
一人のベテラン兵士が、信じ難いという面持ちで口を開いた。
「時間を……止めた、だと? そんな魔法が存在するなど、聞いたこともない」
ロキスヴェインは静かに頷き、視線を再び燃料プールへと戻した。
青白い光を帯びた液体は魔法陣の中心で脈打ち、まるで生き物の鼓動のように明滅している。
その魔力に束縛され、魔獣たちの時間は束の間、完全に凍結されたままだった。
「この魔獣どもが凍りついている時間は二十四時間だ。その間に解体し、流通に回せ」
命令はあまりにも簡潔だった。
だがその意味を理解した瞬間、兵士たちの間にざわめきが広がる。
この作戦は偶然の産物ではない。
魔獣の体格、作業人数、輸送路、都市の消費量。
すべてを織り込んだ計算の上で成立する、綿密な軍事計画だった。
やがて作業はすぐに開始された。
二万の兵士に加え、事前に手配されていた民間の作業者たちも動員され、戦場には数十万人規模の大掛かりな解体作業が展開されていく。
魔獣の姿は、巨大な牛を思わせる体躯を持ちながら、その大きさはクジラに匹敵していた。
一体あたりに数十人が集まり、ノコギリや滑車を駆使して効率的に作業を進める。
巨体はそのままでは扱えないため、まず四肢を切り離し、滑車で吊り上げながら順に胴体を解体していく。
血液や体液が大量に流れ出ないよう、熟練の兵士が切断箇所を指示し、樽や溝に誘導して回収する手筈も整えられていた。
秩序を保ちながら、熟練者と初心者が連携し、慎重に肉を取り扱い、冷凍処理していく様子が見られた。
戦場は、先ほどまでの殺戮の場から、巨大な作業現場へと姿を変えていた。
誰一人として怠ける者はなく、全員が黙々と任務に取り組んでいる。
その様子を、ロキスヴェインは離れた場所から冷ややかな視線で見据えていた。
魔獣の群れはあまりにも多く、そして襲撃は決して止むことがない。
これまで幾度となく討伐してきたにもかかわらず、まるで底のない泉のように現れ続ける。
その現象は、明らかに自然ではなかった。
「魔獣がこれほど絶え間なく現れるなど……魔法の理に反している」
彼は低く独りごちた。
無から生み出されているのではない。
何者かが、死んだ魔獣を再び呼び戻している──そんな疑念が頭をよぎる。
もし死後に再生されているのだとすれば、単なる討伐では意味がない。
再び戦場に戻る前に、その存在そのものを消費し尽くさなければならない。
「人に食らわせることで、魔法的な再利用は封じられるはず……」
ロキスヴェインは静かに視線を前線へ向けた。
魔法陣の効力が続くのは二十四時間。それまでにすべての魔獣を解体し、完全に処理できれば、この無限にも思える襲撃の連鎖を断ち切る一歩となる。
戦場では、巨大な魔獣の解体作業が休むことなく続いていた。
兵士たちはノコギリを振るい、滑車を操り、肉を運び出す。
すべての魔獣を、この機会に処理し尽くすために。
彼らは今、時間そのものと戦っていた。
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