3-2-24 女王の正体1
彼女が気がつくと、見知らぬ場所で冷たい地面に倒れていた。身体のあちこちが重く、思うように動かない。ぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと周囲を見回す。空気はひんやりとしていて、どこか土と草の匂いが混ざっていた。
やがて、遠くから規則正しい足音が近づいてくるのが聞こえた。視界の端に影が差し、顔を上げると、見下ろしていたのは夫婦らしき二人の姿だった。二人は驚いた様子を見せながらも、どこか安堵したような表情で彼女を見つめている。
「大丈夫かい?」
優しく声をかけながら、男がそっと手を差し出す。隣に立つ女性も心配そうに身をかがめ、彼女の顔を覗き込んでいた。二人の瞳には、明らかな心配と温かな感情が宿っている。
ぼんやりとした意識の中で、彼女はゆっくりと理解していった。
自分の名前は「アーゼラ」であること。
そして、どうやらこの二人が自分の実の両親らしいということを。
確かな記憶というより、胸の奥から自然に湧き上がるような感覚だった。
温かな視線に支えられながら、アーゼラは差し出された手を握る。二人に助け起こされ、その腕に支えられながらゆっくりと立ち上がった。
こうしてアーゼラは、その日から新たな人生を歩み始めることになったのだった。
最初の数日間は、身体が思うように動かせずに苦しんだ。手足は重く、少し歩くだけでも息が上がる。何より戸惑ったのは、自分の感覚と身体の状態がまるで噛み合っていないことだった。
記憶の中にある自分の年齢と、目の前に映る自分の体が一致しない。
鏡に映る姿は、かつての自分に比べてあまりにも幼い。手も足も小さく、声もどこか高い。その違和感は、しばらくの間アーゼラの心を落ち着かなくさせた。
どうして自分がこんな姿になっているのか、理由はわからない。
けれども、日に日に回復していく身体とともに、アーゼラの心も少しずつこの新しい世界へと馴染んでいった。両親は優しく、家は穏やかな空気に包まれていた。戸惑いはあっても、そこには確かな温もりがあった。
やがて彼女は周囲の人々にも親しみを覚え、異世界での生活にも徐々に適応していった。
しかし、一つだけ大きな悩みがあった。
神に与えられたはずの「魔法」。
それを自分は使えるはずなのに、どうしてもその方法がわからないのだ。
魔法を扱う知識はおろか、この世界では魔法がどのような仕組みで成り立っているのかさえ理解できない。何度考えても答えに辿り着かず、焦燥感だけが胸の奥に積もっていく。
両親にも尋ねてみたが、どうやら彼らは平凡な人間であり、魔法使いではないらしい。魔法に関する知識はほとんどなく、結局何も教わることはできなかった。
それでも、アーゼラの中から魔法を学びたいという思いが消えることはなかった。
むしろ、その思いは日を追うごとに強くなっていった。
そこで彼女は両親に、魔法学校に通わせてほしいと願い出た。魔法を本格的に学べる場所は、そこしかなかったからだ。
両親は魔法のことは分からなくても、彼女の話を真剣に聞いてくれた。そして、大喜びで賛同してくれた。
学問に関しては並々ならぬ自信があった。
かつての世界で、最高学府にまで進んだ彼女である。
努力の仕方も、学び方も知っている。新しい世界の魔法であっても、きっとすぐに習得できるはずだ──。
胸を弾ませながら学校の門をくぐったその日、彼女は自分の未来を明るく想像していた。
しかし、現実は想像をはるかに超える厳しさだった。
授業が始まると、アーゼラはすぐに気づくことになる。
魔法の基本である「魔力の制御」すら、思うようにできないという事実に。
魔力を集めようとしても、どうしても安定しない。集中して呪文を唱えても、力は霧散してしまう。簡単な呪文でさえまともに成功せず、失敗ばかりが積み重なっていった。
周囲の生徒たちは、当たり前のように魔法を扱っている。
光を灯し、水を呼び、風を操る。
その中で、アーゼラだけが取り残されていた。
かつては優等生だった自分が、ここでは落ちこぼれでしかない。授業のたびに差を突きつけられ、何度も悔し涙を流す日々が続いた。
それでもアーゼラは、決して諦めなかった。
何かを中途半端に終わらせることだけは、どうしても耐えられなかった。
どうにか食らいつこうと、必死で勉強を続けた。誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで練習する。失敗しても、また挑戦する。それを何度も何度も繰り返した。
そして、ようやく卒業の日を迎えることになる。
しかし、その成績は最低限の合格ラインぎりぎりだった。
胸の奥に秘めていたプライドは打ち砕かれ、達成感よりも空虚な感情の方が大きかった。いつか自分も、皆のように一人前の魔法使いになれる日が来るのだろうか。
アーゼラは、心の奥で何度も自問自答した。
そんな時だった。
卒業式の夜、彼女は一人で外に出て、静かな空を見上げていた。星が瞬く夜空の下で、胸の奥に押し込めていた思いが、ふと溢れ出す。
「もしもう一度やり直せるなら……次は絶対に、もっと頑張ってみせるのに」
その願いは、ほとんど祈りに近いものだった。
すると次の瞬間、不意に視界が暗転した。足元の感覚が消え、世界が遠ざかっていく。
そして気がつけば、彼女は――
この世界に初めて降り立った、あの日に戻っていた。
最初は戸惑いと驚きが入り混じっていたが、やがてアーゼラは理解する。これは、自分に与えられた再挑戦の機会なのだと。
今度こそ、彼女は手を抜かなかった。
最初から全力で魔法の勉強に取り組み、わずかな時間も無駄にしない。失敗しても、挫折しても、繰り返し立ち上がる。前の人生で得た経験を活かし、一歩ずつ確実に前へ進んでいった。
しかし、再び迎えた卒業の時。
結果は、まだ満足できるものではなかった。
悔しさが胸にこみ上げ、思わず空を仰ぐ。
「……もう一度やり直したい」
その願いを口にした瞬間、再び世界が暗転した。
そしてまた、彼女は過去へと戻る。
その時、アーゼラは気づいた。
自分はこの異世界で、何度も「やり直し」ができる力を持っているのだと。
与えられたこの力を存分に活用し、彼女は持ち前の勤勉さを最大限に発揮した。学生生活を何度も繰り返し、魔法の基礎から高度な技術まで徹底的に学び尽くす。
魔法の使い方も試行錯誤を重ねることで、少しずつ理解できるようになった。自分に合った方法を探し続け、何度も失敗しながら、極意を掴み取っていく。
そしてついに。
アーゼラは卒業試験で、学年トップの成績を収めることに成功した。
何度も人生をやり直し、失敗と挫折を繰り返し、それでも努力を積み重ね続けた。その結果、彼女はついに周囲から一目置かれる存在へと成長を遂げたのである。
祝福の声があちこちから上がり、仲間たちは笑顔で彼女を囲んだ。
努力が報われた瞬間だった。
きっとこの先の人生は、これまでとは違う。
同じ失敗を繰り返すこともなく、もっと上手く歩んでいける。
そんな確かな手応えを胸に、アーゼラは校舎の外へと歩き出す。
空はどこまでも高く、未来は明るく開けているように思えた。
──もし、またやり直すことになったとしても。
そのときは、もっと上手くやれる。
なぜだか、そんな考えが自然に浮かんだことに、彼女自身はまだ気づいていなかった。
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