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冷たい石の床の上で、ひとりの女性がゆっくりと目を覚ました。


視界に広がるのは薄暗い空間。

壁も天井も見慣れない石造りで、どこか現実離れした静寂が辺りを満たしている。

空気は澄んでいるのに、不思議な重みを帯びていて、まるで時間そのものが静止しているかのようだった。


気だるい頭を押さえながら身を起こした彼女は、そこでようやく目の前に立つ人物の存在に気づいた。


その女性は、静かにこちらを見下ろしていた。

整った顔立ちに穏やかな微笑みを浮かべ、どこか神秘的な雰囲気をまとっている。

だが、その佇まいには人間とは明らかに異なる威厳があり、まるでこの場所のすべてを見通しているかのような不思議な存在感があった。


「お目覚めかしら?」


柔らかな声だった。


その女性は微笑みを浮かべたまま、さらりと自らを「神」と名乗った。


突然の言葉に、彼女は一瞬言葉を失う。

状況を理解できないまま、混乱した意識の中で必死に記憶を辿った。


最後の記憶は、確か駅のホームだった。

通過電車を待ちながら、スマートフォンを眺めていたはずだ。


それから──どうなったのか。


思い出そうとしても、その先は霧がかかったように途切れている。


「いったい、どういうことですか?私、まさか……」


戸惑いを隠せないまま問いかけると、神は特に悲しげな様子も見せず、淡々とした口調で答えた。


「そう。あなたは既に死んでいる。

今日の死者の中から無作為に選んだだけよ」


あまりにも軽い調子だった。


「命を拾ったと思いなさい。これも一興だから」


その言葉に、彼女はしばらく呆然としてしまう。


神にとって死者とは、特別な存在ではないらしい。自分の人生が、まるでくじ引きのように語られている。

しかし、目の前に立つ存在の雰囲気には奇妙な説得力があり、完全に否定することもできなかった。


途方に暮れながらも、彼女は思わずすがるように声を上げた。


「どうして私が、こんな目に遭わなきゃいけないんですか。せっかく苦労してトウダイに入ったのに……」


絞り出すような言葉だった。


だが神の方は、その感情をうまく理解できていないようだった。

少しだけ首を傾げ、興味無さそうに彼女を見つめている。


やがて「まあ良いわ」と軽く手を振ると、気を取り直したように言った。


「それなら、異世界で第二の人生を歩むというのはどうかしら?」


あまりにも唐突な提案だった。


「普通じゃ味わえない体験もできるし、自由に魔法も使える特典つきよ」


その言葉を聞いた瞬間、彼女の胸の奥に小さな高揚が芽生える。

あまりにも出来過ぎた話で、冷静に考えれば不自然な提案なのかもしれない。


だが、それでも。


異世界。

魔法。

第二の人生。


そんな言葉が頭の中を巡り、いつの間にか不安よりも好奇心の方が勝り始めていた。


(……まあ、いいか)


半ば投げやりな気持ちで、彼女は心の中でそう呟いた。

考えてみれば、目の前の神と名乗る存在も、どこか気さくで話しやすい。

不思議なことに、初対面とは思えないほど妙に気が合うような気さえしてくる。


結局のところ、彼女はその提案を受け入れることにした。


「ただし、私と話せるのはこれが最後よ」


神はそう言って、少しだけ声の調子を変えた。


「質問がなければ、このまま異世界へ送り出すけれど……何か言いたいことはある?」


彼女は少し考え込む。


そして、ふと思いついたように顔を上げた。


「それじゃ、ひとつだけ」


少しだけ遠慮がちに、しかしどこか期待を込めた声で言う。


「次の世界での姿……十五歳の美少女にしてもらえませんか?」


神は一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに気軽に頷いた。


「わかった。十五歳の美少女ね」


あまりにもあっさりとした承諾だった。


予想以上に簡単に願いが通ったことに、彼女は思わず安堵の息をつく。

胸を撫で下ろしながら、心の中で小さく笑みを浮かべた。


だが、そのときになって彼女は、もう一つだけ聞くべきことがあるのを思い出した。


「この質問、無礼になるかもしれないけれど……」


少しだけ言い淀みながら、恐る恐る尋ねる。


「あなたの名前を聞くことは、許されますか?」


神はしばらく黙って彼女を見つめていたが、やがて静かに微笑んだ。


「みんな私のことを──『ヨモツオオカミ』と呼ぶのよ」


その名を聞いた瞬間、彼女はほんの一瞬だけ思考を巡らせる。


そして、何事もないかのような顔で軽く頷いた。


彼女は聡明ではあったので、空気を読んで知っているフリをした。


もしその名の意味を本当に知っていたなら、それが黄泉の国を統べる神であり、人の生死すら気まぐれに弄ぶ恐ろしい存在だと気づいたはずだった。


そしておそらく──

これから自分が歩むことになる道が、決して穏やかなものではないことにも。

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