3-1-5 新しい世界
アーゼラが覚醒した瞬間、彼女の全身を冷たく澄みきった感覚が駆け巡った。
それは熱ではなく、震えでもない。
まるで長い悪夢から醒めた直後の、あの透明な静けさ。
世界が、ようやく正しい焦点で結ばれたようだった。
まるで目覚めたばかりの世界が、最初から彼女のものとして在ったかのように感じられる。
手を伸ばせば空気がわずかに波打つ。
指先を軽く動かすだけで、魔法は音もなく具現化する。
努力も理屈もいらない。
思考よりも先に、世界が応じる。
その力は、生まれつき自分の一部だったかのように自然だった。否。むしろ今までが、不自然だったのだと気づく。
息を荒げていた司祭が、不意に異変に気づく。
アーゼラを見下ろしていた顔に、疑念と、遅れて恐怖が浮かんだ。
「な、何をしている……?」
震える声。
アーゼラは無表情のまま、静かに彼を見つめ返す。
その瞬間、司祭の身体は石のように固まった。
呪文はない。
詠唱もない。
触れてすらいない。
ただ、視線。
それだけで呼吸も脈も停止した。
彼の存在は、時間ごと静止したかのようだった。顔には、最後の瞬間に置き去りにされた恐怖が刻まれている。
アーゼラは起き上がり、地にへばりついたその男を見下ろす。
何も感じなかった。
憎しみも、怒りも、達成感すらない。
ただ──
ああ、こうなるのだ、と理解しただけ。
「これが、私の力……」
その言葉が静かに落ちた瞬間、彼女の髪がわずかに揺れた。
陽を映していた金色が、まるで光を拒むかのように、すっと色を失っていく。
根元から、静かに。
夜よりも濃い、底の見えない漆黒が広がる。
染められたのではない。
奪われたのでもない。
何かが、内側から滲み出したのだ。
足元に落ちた金の残滓は、触れる間もなく砂のように崩れ、消えた。
彼女は振り返らず、礼拝堂を後にする。
外に広がる世界は、見慣れぬ色をしていた。
だが、もはや世界がどうであろうと関係はない。
変わったのは世界ではない。
彼女の“見え方”だ。
もう、ただの少女ではない。
この腐った世を是正する力を得た。
それだけが、今の彼女にとって揺るぎない真実だった。
ふと、空を見上げる。
意識を向けると、雲の形がゆっくりと歪む。
自然の摂理ではない。
彼女の意思が、空を書き換えている。
「まずは城を造りましょう」
呟いた瞬間、見えない力が大地へと広がった。
轟音とともに地面が隆起する。
山が押し上げられ、頂が削られる。
川は流れを変え、谷を満たし、礎となる。
魔法理論も、複雑な術式も、計算も必要ない。
ただ心に描くだけで、世界がその通りに整列していく。
数時間も経たぬうちに、山々に囲まれた壮麗な城が姿を現した。
塔は天を貫き、城壁は大地に根を張る。
大河を引き込み、庭園と水路が広がる。
すべてが、彼女の思うままに。
「これで、ようやく私は女王に返り咲いたのだわ」
独りごちる声は静かで、揺らぎがない。
無人の王国に立ち尽くし、彼女の瞳はどこまでも澄み、冷たい。
「民はまだいないけれど……すぐに増えるわ。どれだけでも」
その微笑みは柔らかい。
柔らかいが、温度はない。
城の階段を上り、王座へ腰を下ろす。
手の中では、闇の魔法デバイスが淡く光を帯びている。
祝福のように、あるいは新たな誓約のように。
「これから始めるのよ。新しい世界を」
声は優しく、穏やかで、安らいでいる。
世界はすでにアーゼラのものだ。
作り直す。
国も、民も、秩序も。
彼女の思うかたちに。
冷たい風が吹きすさび、アーゼラの笑みだけが柔らかく、温かく大地を包み込む。
だが、そこに近づく者は何であれ、永遠に凍りつくだろう。
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