3-2-17 女王の秘密1
アリエスタ・ヴェリルライト──アリアの胸には、長いあいだ拭いきれない疑問が引っかかっていた。
それは、先代女王アーゼラと「闇の女王」の名前が同じであるという、あまりにも奇妙な一致だった。
彼女たちが同じ時代の人間であるはずはない。歴史の記録がそれを否定している。だが、アリアの胸の奥では、どうしても消えない違和感があった。声の響き、話し方の癖、ふとした沈黙の間──それらが、なぜか似ているように感じられてならないのだ。
その偶然が単なる思い違いであってほしいと願う一方で、胸の奥の違和感は、日を追うごとに静かに、しかし確実に膨らんでいった。
「もし本当にアーゼラと闇の女王が、何らかの形で繋がっているのだとしたら……」
考えれば考えるほど、心は落ち着かなかった。
やがてアリアは、その答えを探すため、自ら行動に移る決意を固める。
ちょうどその頃、女王候補たちの準備が進む中で、先代女王の居室の整理が問題になっていた。長らく手がつけられていない部屋であり、誰もがどこか気まずさを感じて、作業を先延ばしにしていたのだ。
そこでアリアは、その整理を自らの手で引き受けると名乗り出た。
表向きは、女王候補たちのための環境整備という理由だった。しかしアリア自身の胸の内には、別の目的があった。
アーゼラが遺した品々の中に、もしかすると何か──彼女の秘密に繋がる手がかりが隠されているのではないかと考えたのだ。
先代女王の居室は、王宮の奥まった場所に静かに佇んでいた。
外部の者が足を踏み入れることはほとんどなく、長い時間がそのまま閉じ込められているような空間だった。華やかで美しい装飾が壁や家具を彩っているが、長く人の気配が途絶えているせいか、部屋全体にはどこかひっそりとした寂しさが漂っている。
アリアは棚の奥に並ぶ古びた書物や、各地から贈られた装飾品を一つずつ取り出しながら、丁寧に整理を進めていった。
その作業の裏で、彼女の意識は常に張り詰めていた。
もしアーゼラが何かを隠していたとしたら、いったいどこにそれを置くだろうか。
そんなことを考えながら作業を続けていたとき、アリアはふと、背の低い棚の一部がわずかに浮いていることに気づいた。
ほんのわずかな違和感。だが、一度気づいてしまえば見過ごせない。
この向こうに何かがある。
そんな予感が、胸の奥で静かに脈打っている。
ゆっくりと息を整え、指先で棚板を押してみる。
最初は、何も起きなかった。
だが、ほんのわずかに力を強めると、かすかな音が部屋の静寂の中に落ちた。
次の瞬間、棚の一部が静かに奥へと滑り込み、隠されていた収納が姿を現す。
「……やっぱり、何かある」
思わず、声が漏れる。
その小さな空間の中には、一冊の黒い手帳が静かに置かれていた。
飾り気のない、黒革の装丁の手帳だった。
特別に古びているわけでもなく、王宮の机の引き出しにでも収まっていそうな、ごくありふれた品に見える。
それでも、長く閉ざされていた隠し収納の中にぽつりと置かれているその姿は、どこか場違いにも思えた。
アリアは思わず息を呑む。
しばらくその場で動くことができなかった。
胸の奥の脈動は、激しさを増している。
「これが、本当にアーゼラの残したものだとしたら……」
やがて彼女は、意を決したように手を伸ばした。
指先がわずかに震えていることに、自分でも気づいていた。
慎重にそれを取り出す。
手帳は驚くほど軽く、革の表紙には使い込まれた柔らかな感触が残っていた。
年月のせいか、わずかに乾いた手触りはあるものの、保管状態がよかったのだろう。傷みはほとんど見られない。
アリアはしばらく表紙を見つめたあと、ゆっくりとページを開いた。
だが──
そこに記されていた内容は、予想とはまったく違うものだった。
ページいっぱいに並ぶのは、意味不明な記号と断片的な文字の羅列。日付らしきものや、ところどころに見覚えのある単語が散見されるものの、それらは互いに繋がらず、文章としての意味をまったく成していない。
規則があるようで、ない。
どの角度から読み解こうとしても、内容は理解できなかった。
「暗号……?」
アリアの脳裏に、その可能性が浮かぶ。
この混乱した文字列は、単なる書き殴りではない。むしろ意図的に意味を隠すため、高度な暗号化魔法が施されている可能性が高い。
もしそうだとすれば、解除には専用のキーが必要になる。
それは単なる言葉や、一般的な魔力のルーンではないかもしれない。
アリアはしばらく手帳を眺めながら、どうすればこの暗号を解読できるのか思考を巡らせた。しかし、通常の方法では到底解けそうにない。
おそらくこれは、アーゼラ自身が生前に仕掛けたものだ。
そして、その鍵は彼女だけが知る「特別な何か」に結びついている。
「アーゼラの記憶……」
その瞬間、アリアの中で一つの可能性が閃いた。
もし暗号の鍵があるとすれば、それはアーゼラが過ごした大切な場所に関係しているのではないだろうか。彼女が生きた日々の中で、特別な思いを抱いていた場所。そこに何か手がかりが残されているかもしれない。
アリアはすぐに王宮の記録を調べ始めた。
アーゼラと縁のある場所を、一つずつ洗い出していく。女王として過ごした居室や王宮の庭園だけではない。若い頃に訪れた地方の離宮、かつて信頼を寄せていた人物と会っていた場所など、いくつかの候補が浮かび上がってくる。
「何から手をつければいいかしら……」
迷いはあったが、それでも一つずつ巡るしかない。
闇の女王との関連を確かめるためにも、そしてもしその正体がアーゼラ自身であるならば、できるだけ早く女王候補たちへ知らせなければならない。
アリアはまず、アーゼラが特に好んでいた王宮の庭園へ向かうことにした。
そこは彼女が多くの時間を過ごし、幾つもの重要な決断を下した場所だと伝えられている。
季節の花が咲き誇る庭園の奥を歩きながら、アリアはアーゼラの心の軌跡を追うように思いを巡らせていた。
「もし彼女がここに何かを残しているなら……」
だが、庭園のどこにも特別な痕跡は見当たらなかった。
次にアリアは、離宮の書庫を訪れることにする。
そこはアーゼラが王位につく前、まだ一人の少女として過ごしていた頃の思い出が残る場所だと言われている。もし暗号の鍵が彼女の記憶に基づいているのなら、その時代にまつわる品々の中に隠されている可能性は高かった。
歩みを進めながら、アリアは自分の胸に芽生えている不安と向き合っていた。
もし仮に──
アーゼラが闇の女王であったとしたら。
その事実を知ったとき、自分はどうするべきなのか。
「真実を知ることが、果たして正しいことなのかしら……」
ふと立ち止まり、空を見上げる。
それでも、進むしかない。
アリアには、立ち止まるという選択肢はなかった。
まだ暗号の解除には至っていない。
だが、手帳を手にしたことで、これまで見えなかった真実の輪郭が、わずかに浮かび上がり始めているようにも感じられた。
アーゼラの記憶に隠された鍵。
それを解き明かした先に、どんな真実が待っているのか、今はまだわからない。
それでも、女王候補たちの未来を守るために。
そして家族の絆を守るためにも。
アリアはこの探求を、最後まで決して諦めないと静かに誓ったのだった。
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