3-2-18 女王の秘密2
アーゼラの生前の手掛かりを求めて、アリアは魔法研究所を訪れた。
ここにいるのは、かつてアーゼラの恩師だったという魔法学者、エグバート特任教授である。
静まり返った廊下に軽くノックの音が響く。
すると、扉の向こうから落ち着いた低い声が返ってきた。
「入りたまえ」
扉を押し開けると、そこは魔法書と器具が整然と並べられた研究室だった。
壁一面の書棚には分厚い魔導書がぎっしりと詰め込まれ、机や棚の上には調査中の資料や魔法器具が所狭しと並んでいる。
秩序は保たれているが、その密度はまるで知識の層が積み重なっているかのようだった。
奥の机の前で、一人の老紳士がゆっくりと立ち上がる。整えられた髭に手を添えながら、穏やかな眼差しでアリアを迎えた。
アリアは自己紹介の後、軽い話題で心理的な壁を取り除こうとする。
「妹のリアナがお世話になっています、エグバート特任教授」
「堅苦しい肩書きで呼ばれるのはどうも性に合わん。単に『先生』で頼むよ」
紳士然とした口調には、どこか余裕と親しみが漂っている。
アリアは軽く頷き、改めて丁寧に言葉を続けた。
「承知しました、先生。
今日は、先代女王アーゼラ様の遺品整理の担当者として参りました。遺品の一部について、関係者の方にお引き取りをお願いできないかと考えています。
彼女のゆかりの品々を、しかるべき場所に届けたいと思いまして」
「なるほど、遺品整理か」
エグバートは片眉をわずかに上げ、どこか懐かしむような表情を浮かべた。
「時の流れとは不思議なものだな。あの子が旅立ってから、こうして話をする日が来るとは」
その言葉の響きには、長い年月を経た者だけが持つ静かな感慨がにじんでいた。
アリアは、彼が自然に話し出してくれるよう慎重に言葉を選ぶ。
「遺品整理をしていたときに、アーゼラ様のアルバムを見つけました。その中に、先生との写真も何枚かありましたよ」
エグバートは少し目を細めた。
「あのアルバムか……。ずいぶん昔の話になるが、彼女は本当に優秀だったよ」
そう言うと、彼はしみじみと語り始めた。
「アーゼラは、若い頃から実に優れた魔法使いだった。天才などという言葉も陳腐に聞こえるほど、彼女は桁外れの才能を持っていてね。
何を教えても一度で理解し、次にはそれを応用して見せる。その吸収力はまさに異次元だった。
それでいて、誰よりも長く研究室に残るのも彼女だった。理解して終わりではなく、納得するまで魔法式を書き続ける。そんな生徒は、後にも先にも見たことがない」
アリアはその言葉を聞きながら、アーゼラの若い頃の姿を思い浮かべる。
あの才気あふれる女性が学生時代からすでに頂点に近い場所に立っていたとしても、少しも不思議ではない気がした。
「だが、ただの天才で終わらなかったのがアーゼラの素晴らしいところだ。
彼女は常に疑問を持ち、自分の手で確かめずには気が済まない。それゆえ、誰にも真似できない深さで魔法を極めていった」
エグバートの語りには、どこか誇りが感じられた。
彼はアーゼラを教えた身でありながら、その進化を見守ること自体に喜びを見出していたのだろう。
「とはいえ、天才というものは孤高の存在でもある。周囲が彼女に追いつけないことが多かった。
それでもアーゼラは、そんなことに構う素振りも見せなかったよ。前だけを見据え、己の信じる道を歩んでいた」
エグバートは微かに笑みを浮かべた。
それはしんみりとした追憶というより、どこか晴れやかな誇りを含んだ表情だった。
「彼女は最後まで、私が教えたこと以上のものを自らの力で築き上げた。そして、その信念を貫いた姿を、私は今も誇りに思っている」
アリアもその言葉を聞き、静かに胸を打たれた。
天才であり、孤独な道を選んだアーゼラ。それでも彼女を教えた者としての誇りが、こうして今も胸の内に残っていることが伝わってくる。
やがてエグバートは、ふと思い出したように言葉を続けた。
「彼女は魔法理論も実技も完璧にこなしたばかりか、誰も成し得なかった研究にも挑んでいた」
「それは……どんな研究ですか?」
エグバートは懐かしそうに微笑んだ。
「覚えているかい?王国歴2000年問題で止まっていた大時計のことを」
アリアは頷いた。
当時の魔法文明では、二千年に一度の魔力転換が時計魔法に障害を与え、大災害の引き金になりかねない問題として扱われていた。動かなくなった時計はそのまま放置されることが多く、サーラが魔法学校の大時計修復に挑んだ際にも、数多くの障害が立ちはだかっていたのだ。
だがエグバートによれば、アーゼラはその問題の解決に、当時すでにかなり近いところまで到達していたという。
「彼女は本当に細かく記録を残していてね。彼女の解法が正しければ、魔法世界全体を覆う問題を、たった一人で解決できるはずだった」
だが──
エグバートは、そこで言葉を止めた。
「なぜか、完成まであと一歩だったのに、突然すべてを投げ出した」
アリアは思わず問いかける。
「なぜですか?」
「それは分からない。私も直接確認したわけではないんだよ」
エグバートは小さくため息をついた。
「しかも、それだけじゃない。エーテル通信──遠隔で魔力を使って情報を送受信する技術──にも、彼女は非常に熱心に取り組んでいた。
だが、その研究もまた、中途半端なところで止まってしまったんだ」
彼はゆっくりと言葉を続ける。
「結論までたどり着くのを誰かが止めたのか、それとも彼女自身が何か理由を抱えていたのか……いまだに謎のままだ」
そして、少し間を置いてから言った。
「それからまもなく、アーゼラは十五歳の若さで突然女王に選ばれた」
アリアは眉をひそめる。
「それはどういう基準で?」
「それもまた、誰にもわからない」
エグバートの声は静かだった。
「普通、王位継承は王宮内で事前に話し合われるものだ。だがアーゼラの場合は突然の指名だった。しかも、それ以前の彼女の身辺には、ほとんど情報が残っていないんだ」
彼はゆっくりと首を振った。
「彼女がどこで育ち、どんな経緯であの地位にたどり着いたのか、誰も知らない。ただ、彼女が圧倒的な才覚を持っていたことだけは、間違いない」
アリアはしばらく黙って考え込んだ。
優れた頭脳と未完の研究、そして不可解な女王への就任。
すべてがつながっているようでいて、どこかに決定的な断絶があるようにも思える。
「先生は、アーゼラ様の過去について他に何か知っていることはありますか?」
エグバートは腕を組み、しばらく考え込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「もし何か手がかりを探したいのなら、彼女の生家を訪ねるのがいいだろう」
「生家……?」
「そうだ。アーゼラは確か、王宮に移る前は郊外の小さな町に住んでいたはずだ。正式な記録は残っていないが、いくつかの噂からその場所を特定できるかもしれない」
彼は静かに続ける。
「彼女の家族や幼少期の記憶に、何か隠されている可能性がある」
アリアは頷き、思考を巡らせた。
アーゼラの生家に行けば、もしかすると彼女の研究を中断した理由や、闇の女王との関係について新たな手がかりが得られるかもしれない。
「ありがとうございました、先生」
アリアは軽く頭を下げた。
エグバートとの会話を経て、アリアの中には新たな決意が芽生えていた。
アーゼラが中断した研究と、突然の王位就任。その裏に隠された何か──。
それらを知ることで、闇の女王との関係を解き明かせるかもしれない。
まだすべては謎に包まれている。
だが、真実を探る旅は始まったばかりだ。
アリアは手帳を握りしめ、次なる手がかりを求めてアーゼラの生家へ向かう準備を整える。
「アーゼラ……あなたは何を知っていたの?」
彼女の胸の奥で、疑念と期待が静かに渦巻いていた。
ブクマでサーラたちの応援をお願いします!




