3-2-7 竜を動かせ
「待ってくれ、人間たち……頼む、逃げないでくれ」
背後から響いた竜の低い懇願に、ミーナたちは思わず足を止め、ゆっくりと振り返った。
金色の瞳がまっすぐに彼女らを見据え、巨大な体が地鳴りを伴いながらわずかに揺れ動く。だがその動きは先ほどまでの威圧とは違い、どこか鈍く、長い眠りの名残を引きずるような痛々しさがあった。
圧倒的な巨体を前に、一行は息を呑んだまま立ち尽くす。
やがて竜は、慎重に言葉を選ぶように再び口を開いた。
「私はテルミルス……この地に根を張る竜だ」
その名乗りを受け、しばしの沈黙の後、ミーナたちも順に名を告げる。ミーナ、エレイン、カリナ、そしてヴァイ。
それぞれの名を聞き終えたテルミルスは、満足とも安堵ともつかぬ気配を滲ませ、喉の奥で低く息を鳴らした。
「どうしてそんなところで眠っていたの?」
ミーナが恐る恐る尋ねると、テルミルスは自嘲を含んだ重々しい声で語り始める。
「長い年月を経て、私は大きくなり過ぎた。……気づけば移動するのが億劫になり、ここで身を横たえたまま眠り続けたのだ。眠っている間にさらに体は重くなり、足は衰え、今では自力で立つことすらままならない」
その声音には、己の不甲斐なさを受け入れた者の静かな諦観があった。
「私は死ぬまでここに居たくない……どうか、助けてはくれないか?」
途方に暮れた空気が流れる。
「助けるって、どうやって?」エレインが肩を落としながら見上げる。「こんな大きな体、一体どうしろっていうの?」
「私たちじゃ無理だろう……」カリナも眉をひそめた。
「サーラに相談する?」とヴァイが提案し、全員が頷く。
エーテルサインを通じて事情を伝えると、向こうから落ち着いた声が返ってきた。
『どれくらい大きいの?』
問われて、ミーナたちは互いに顔を見合わせる。あまりに巨大すぎて、適切な比喩が見つからない。
「アルカンティスに四人が乗れるって言ったよね?あの地竜は……ざっと五十頭分を積み上げたくらいの塊だと思って」
ミーナは両手で山を作るような仕草をしてから、視線を横に流した。
「背中だけで城下町の市場がすっぽり入るわ。建物も道も、全部。起き上がったら、影で半分が隠れそうなくらい」
エレインの言葉の次に、カリナが顎に手を当て、少し大げさに続ける。
「さっき尾の方から頭の先まで目で追ったんだけどな。あれ、走っても端まで何分かかるか分からない。高さは城壁くらいはある」
最後にヴァイが静かに目を細め、戦う者に特有の距離感で補足した。
「翼も桁違い。もし広げたら、両端の幅は……並の射手なら有効射程に入らないだろうね」
重量、面積、高さ、距離。
ばらばらだった四つの断片が、見えない骨組みに沿って静かに組み上がっていく。
感覚的な説明に、サーラは一拍置いてから《処女の書》に問いかける。
ほどなくして、頁がめくれる音がする。
『……異世界の記録に、“ボーイング”と呼ばれる鉄の鳥の設計資料があるわ。巨大な翼を持ち、空を渡る構造物』
わずかな間を置く。
『処女の書の照合では、地竜はその鉄の鳥とほぼ同規模』
突拍子もない単語に、ミーナたちは顔を見合わせる。
沈黙が一瞬だけ落ちた。
だがサーラは構わず続ける。
『ただし、鉄の鳥は軽量化のため内部が空洞構造。対して地竜は生体組織で充填されている。推定密度を当てはめると、同体積でも質量は大きく上回る』
頁が止まり、数値が定まる。
『……全長七十メートル前後、高さ二十メートル。質量は──およそ千トン』
数字だけが、静かに場に残った。
「千トン……」エレインが額を押さえる。「どうやって動かすのよ」
ミーナも唸る。「これ、ただの竜じゃないよね……」
だがサーラは、意外にも明るい声で続けた。
『案外いけるかも。テルミルスの革で車輪を作って、それを胴体に取り付けたらどうかな?』
「車輪?」とミーナ。
『一個あたり三十トンを支える前提で、前輪二、中央に二十八、後輪四から六。合計三十四から三十六個あれば理論上は足りる』
理屈は大胆だが、妙に具体的だ。
『エレインの基礎制御魔法で重量を分散させ、カリナの金牛の鎧で摩擦を軽減する。職人は王都から呼ぶとして……時間はかかるけど、実行不可能ではないわ』
「私の鎧で摩擦って……?」とカリナが首を傾げる。
『耐性強化を応用するの。地面との抵抗を減らせば、動き出せるはず』
説明はあまりにも自然で、千トンという数字だけが場違いに大きい。
テルミルスが目を細める。
「本当に……助けてくれるのか?」
「ええ、もちろん。ただし、ちょっと時間はかかるけどね」
ミーナの言葉に、空気がわずかに前向きへと傾いた。
「よし、それならやるしかないな」
カリナが笑みを浮かべ、エレインの肩を軽く叩く。
「エレイン、しっかりサポートしてよ」
「うん……大丈夫」
エレインも小さく息を吐き、覚悟を決めたように頷いた。
ヴァイが少しだけ余裕を見せて、前に出る。
「私もやるよ。森で細工ばかりしてるからね、こういうのは嫌いじゃない」
途方もない規模の話をしているはずなのに、いつの間にか作業段取りの相談になっている。
千トンの竜を車輪で動かす。
無茶にもほどがある計画だが、誰一人として冗談のつもりではなかった。
「じゃあ、始めるわよ」
ミーナの号令とともに、一行は巨大な竜の救出という前代未聞の大工事へと踏み出した。
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