3-1-14 勇気を示せ
ミーナは伝説のドラゴンを前に、心臓が凍りつくような恐怖に襲われていた。
鋭い金色の瞳に睨まれ、全身の血が引くのを感じる。洞窟の空気は重く、喉の奥まで焼けつくように乾いていた。
足が震えそうになるのを必死に抑えながらも、後退りしてしまいそうな自分を叱咤する。
ここで逃げれば、すべてが終わる──その思いが、彼女をかろうじてその場に踏みとどまらせていた。
その瞬間、握りしめていた《獅子の剣》が、咆哮するように脳内に語りかけてきた。
「怯むな、ミーナ!今こそ勇気を示せ!」
その言葉が彼女の心に火を灯した。胸の奥で小さく燻っていた炎が、一気に燃え上がる。
今まで恐れていた自分を振り払うように、ミーナは剣を高く振り翳し、力強く真名を叫んだ。
「──猛れ、ブラゼリオン!」
剣先が光を帯び、まるでミーナの決意に応じるように微かな唸りを上げた。洞窟の壁に反射した光が揺れ、竜の鱗に淡く映り込む。
彼女の中で恐怖が消え、代わりに熱い意志が溢れ出す。
(私はこの竜に自分を認めさせる!)
その想いは、祈りではなく誓いだった。
ミーナはそう強く思い、竜を真っ直ぐに見据えた。
すると、竜の金色の瞳がわずかに細まり、不意にミーナの脳内に直接声が響いた。
「逃げ帰ろうとしたら、背後から焼き尽くしてやったものを」
低く、冷たい声だった。洞窟の空気がさらに張り詰める。
その声に、再び緊張が襲いかかる。
胸の奥を掴まれるような圧が、じわりと広がる。
しかしミーナは、その挑発に屈するわけにはいかなかった。
ここで怯めば、相手の思う壺だ。
剣の咆哮が彼女の背中を押し、心の奥底から反発する気持ちが湧き上がってくる。
恐怖と同じだけの熱が、胸の内でせめぎ合う。
竜は一歩も退かない。ただ、尾の動きが止まる。
先ほどまでゆるやかに揺れていたそれが、ぴたりと岩を打つのをやめた。
金色の瞳が、ゆっくりと細まる。
「面白いものを持っているな」
その視線はミーナではなく、剣に注がれている。
値踏みするように、光の揺らぎを追っている。
「奴は“本物の竜”だ。間違いなく強い。
だが完成してはいない。“育ちきっていない竜”だ」
獅子の剣の声は低く、静かだった。
威圧を否定せず、それでも断言する。
その言葉が、ミーナの中で何かを切り替えた。
恐怖の正体が、ほんのわずかに輪郭を得る。
強い。だが、絶対ではない。
ミーナは一歩、踏み出す。
「アンタみたいな子供、怖くなんかない」
ミーナは勇気を振り絞り、あえて挑発的な言葉をぶつけた。
声はわずかに震えていたが、視線は逸らさなかった。
一瞬、竜の瞳にわずかな驚きが浮かんだように見えた。
だが、それはすぐに不機嫌な表情に変わり、彼は低く唸り声を上げる。
その表情にはどこか微妙な居心地の悪さが見え隠れしていた。怒りというより、図星を突かれたような戸惑いが混じっている。
「ち、違う!小さいのは今だけだ!これは、その……事情があってだな!」
語尾が少し早口になり、視線を逸らす。
ミーナは思わず目を見張った。
あの恐ろしい竜が、こんなにも人間臭い反応をするとは思ってもいなかった。その声音は威圧よりも、どこか弁解に近い。
ミーナはようやく、対話の糸口が見つかったことに安堵した。張り詰めていた心が、ほんのわずかに緩む。
ここまでの道のりで、彼女は多くの危険を乗り越えてきた。だが、この瞬間こそが一番重要な試練だと感じていた。力ではなく、言葉で越えるべき壁。
「……事情があるって、どういうこと?」
ミーナは剣を下ろし、少しだけ力を抜いて竜に尋ねた。切っ先はまだ地面を向いていないが、明らかに戦意は和らいでいる。
彼の態度が威圧的でなくなった今、この会話が交渉への扉を開く鍵になると直感したのだ。
「まずは話を聞かせて。ここに居る理由を、教えてくれない?」
竜はしばらく黙っていた。長い沈黙が落ちる。洞窟の奥で水滴の落ちる音だけが微かに響く。
やがて、ため息をつくように目を閉じた。
「お前は不思議な人間だな……」
その呟きは、どこか諦めの色を帯びていたが、完全な拒絶ではなかった。
むしろ、長い孤独の末に初めて差し出された手を前に、どう応じてよいか迷っているようにも見えた。
ミーナはこの微かな希望を逃すまいと、じっと竜の言葉を待った。
剣を握る手の力は抜けている。だが、その瞳だけは決して逸らさない。
竜は目を伏せる。洞窟の奥で風が鳴る。
「……私は一度、死んだ」
金色の瞳が、ほんのわずかに揺れた。
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