第四話 ぬい活
その日の夜、皆が寝静まったであろう時間帯。
俺は真っ暗のリビングに抜き足差し足忍び足で入った。しんと静まり返ったそこで、テレビの横に飾られている両手の平サイズのカワウソのぬいぐるみを手に取った。そして、それをこっそりと自室に持って入った。
「ふぅ、誰も見てなかったよな?」
カワウソのぬいぐるみの背を撫でれば、思った以上に毛並みが良く、ふわふわで触り心地が最高だった。
これは、リビングに飾られていたが、俺のものだ。
中学生の時に、友人と宮島の水族館『みやじマリン』で、くじ引きをして当てたものだ。三等まであるそれは、全部カワウソのぬいぐるみなのだが、一等は特大サイズのカワウソ。二等は中程度。そして、これが三等だ。
あの時は一等狙いだったが、今思い返せば、これくらいで丁度良い。
だって、特大サイズだったら、ノアにプレゼント出来ない。
新品を購入してあげる方が良いのかもしれないが、なんとなくノアには、このカワウソが良く似合うと思ったのだ。それに、どの道ぬいぐるみはノアの家に連れ帰ることができないのだ。新しいものを買って申し訳ない気持ちにさせるより、『ただ家にあったから持ってきた』と言う方が、ノアも気楽に可愛がって遊べるかもしれない。
「定期的に母さんが洗濯してくれてるけど、一応除菌しとこ」
俺は、除菌スプレーをカワウソに振りかけてから、机の上に置き、部屋の電気を消した。
「おやすみ」
誰に言うでもなく、そう呟いてから、俺はベッドに入った――。
◇◇◇◇
翌日の夕方、俺はカワウソのぬいぐるみを適度な大きさの紙袋に入れ、そこにお茶の入った魔法瓶と瀬戸内レモンのホワイトチョコレートも入れた。
「じゃ、俺、行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
リビングで母に見送られたと思ったら、すぐに質問された。
「ねぇ、涼ちゃん。カワウソのぬいぐるみ知らん?」
「し、知らんし」
「どこにもないんよねぇ」
「別に良いじゃん。なくても。俺、行ってくるけん」
これ以上突っ込まれたらボロが出そうだったので、俺は早々と靴を履いて家を出た――――。
家を出て自転車をこぎ始めたのは良いものの、ぴょこぴょこと跳ねる紙袋を見ながら冷や汗が出る。
ビーチに向かうまでは、全てが平坦ではない。道がガタガタしているところが多々あり、紙袋の中からカワウソのぬいぐるみが飛び出さないか心配になって時折手が前に出る。
(はぁ、これ、入れるもん間違えたな)
紙袋の方がお洒落かと思って入れてみたのが間違いだった。
このままカワウソのぬいぐるみが道路に飛び出してひかれでもしたら……ボロボロになった見るも無惨なカワウソを想像したら、ノアの悲しそうな表情が目に浮かんだ。
俺は、まだ明るい空の下をいつになく慎重に自転車をこいだ。
◇◇◇◇
「こ、こんにちは。いや、こんばんはかな……?」
「ふふ、どっちだろうね」
ノアは、昨日と同様に海辺の掃除をした後くらいに現れた。
俺も大概同じ服だが、ノアも昨日と同じ白いワンピースを着ている。
だからといって、『昨日と同じ服じゃね』なんてデリカシーの欠片もないことを言うほど、俺も馬鹿じゃない。
「今日はさ、良いもの持って来たんよ」
「レモンの?」
ノアの目は、太陽の光が反射して煌めく水面と同じくらい輝いている。
「それもあるんだけど、これ」
俺は、紙袋からカワウソのぬいぐるみを取り出した。
「俺からのプレゼント」
「でも、これって……」
複雑そうな顔で、ノアはそれを手に取った。
「お古で悪いんじゃけど、家に置いてあっても放置されとるだけで可哀想じゃけぇさ。もって帰らんと、ここで可愛がってくれたらそれで良いし、この時間だけでも、外で遊ばせてあげてや」
「分かった」
複雑そうな顔は変わらないものの、少しだけ口角が上がった。そして、昨日と同じ階段のような段差の上の方に腰を下ろした。俺もそれに倣って横に座る。
カワウソのぬいぐるみと顔を突き合わせ、ノアは猫なで声で話し始めた。
「初めまして。君、お名前は?」
俺は声を変えて、半分ふざけたように応える。
「ゴンザレスです」
「え? ゴンザレス?」
「はは、ごめん。自分で付けて良いよ。弟が勝手に付けてさ。うちでは、ゴンザレスで通ってる」
そう言ってから、俺は紙コップに冷たいお茶を淹れ、ノアとの間のスペースに一つ置いた。
ゴンザレスも新たな名前を付けられて幸せだろうと思いながら、もう一つの紙コップにお茶を淹れて飲もうとした時だった。ノアは、カワウソのぬいぐるみにニコッと微笑みかけた。
「よろしくね。ゴンザレス」
「えッ!?」
お茶を飲んでいなくて良かった。飲んでいたら、吹き出していたか、昨日のようにムセるところだった。
「ちょ、名前、変えて良いけんね」
「ううん。ゴンザレス、可愛いかも」
「可愛いかな……」
怪訝な顔でゴンザレスを見るが、ノアはそれを膝の上に乗せて上機嫌にお茶を飲んだ。
「はぁ、冷たくて美味しい」
「本当はレモン水にしようかと思ったけど、全部がレモンもつまらんかなと思って」
「レモン水っていうのもあるんだ!?」
ノアは、完全にレモンの沼にハマってしまったようだ。
「レモンを半分に切って、ただ水に入れて置いとるだけじゃけぇ、家でもすぐに出来るよ」
「じゃあさ、レモンを海に入れたら、レモン水になるかな?」
「いや……」
そんな期待の眼差しで見られても……。
「ならないんじゃ……ないかな」
「そっか」
肩を落としすぎだ。
けれど、女子の悲しむ顔を元気にさせるのが、男と言うものだ。フォローしつつ、解決策を提案しよう。
「規模が全然違うけぇ、レモンぶち必要になるじゃん? それに、海は海水じゃけん。塩味が濃そうっていうか……もっと普通の淡水でやったら上手くいくと思うよ」
「塩味も美味しいよ」
「いや、美味しいけど」
初めからそうかなと思っていたが、ノアは天然なところがあるのかもしれない。
そこがまた可愛すぎる!
「まぁ、明日はレモン水持ってくるけぇさ、今日はチョコで我慢して」
「はぁい」
ややムッとするノアも可愛い。
そして、その顔は、チョコを一欠片食べれば、すぐに笑顔になった。
「何これ!? 美味しい!」
「このチョコは、酸っぱくないじゃろ?」
「うん。けど、レモンの味と香り、最高なんだけど! ゴンザレスも食べてみる?」
ノアは、ゴンザレスにチョコを食べさせるフリをした。
「写真、撮ってあげよっか?」
「え?」
「いや、ぬい活って、そういうもんじゃろ?」
決して、俺がノアの写真が欲しいわけではない。ゴンザレスと接するノアの表情が素敵なだけで、決して下心があるわけではない。あわよくば、写真を送るために連絡先を交換できたら、なんて思っていない。
「嫌なら、別に良いんじゃけど」
「撮って欲しい。撮って」
ノアは、ゴンザレスを顔の近くに持ち上げて、満面の笑みを浮かべた。
その可愛さに、俺は固まった。
「早く」
「あ、う、うん」
見惚れている場合ではなかった。
俺は、急いでポケットからスマホを取り出し、写真を撮った。それは、一枚では終わらず、様々な角度から撮り、調子に乗って海の近くでも撮った。
二十枚近く撮ったそれを定位置になりつつある段差に座って振り返る。
「どう? 可愛く撮れた?」
「うん。ぶち可愛い」
顔を寄せてくるノアは、ふんわりと潮の香りがした。
「本当だ。ゴンザレス可愛い!」
「じゃ、じゃろ」
ここでノアの方が可愛いと言えれば出来る男なのかもしれないが、そんな小っ恥ずかしいことは言えない。
「けど、この写真どうする?」
そして、遠回しに連絡先の交換を申し出ているのだが、ノアは平然と言った。
「ゴンザレスが寂しがらないように、家に帰ったら私との写真見せてあげて」
「あ、そういう感じですか……」
「ん?」
「いや、ゴンザレス、寂しがるけんね。ノアさんは、優しいなぁ……」
とはいえ、ノアの生写真という思わぬ収穫を得た。連絡先は、またの機会にしよう。
それから俺たちは、空が黄金色に染まるまで、他愛ない話をして過ごした――――。
「へぇ、面白いイベントも沢山あるんだね」
「でさ、この間、わざわざギネスの為に、けん玉練習させられたんよ」
「じゃあ、涼君は、けん玉先生だ」
「いやいや、大皿だけじゃけぇ、弟ほどじゃないよ。けど、興味あるなら、また明日持って来ようか?」
「良いの!?」
子供のようだが、廿日市発祥のけん玉で話が弾み、明日も会えることが確定した。
平和公園と宮島以外自慢できるところが何もないのではないかと常々溜め息ばかりだったが、広島、捨て難し!




