第五話 けん玉は恋のスパイス?
翌昼は、けん玉検定五段の翔に監督してもらいながら、けん玉の練習に励んでいる。
「兄ちゃん、膝」
「使っとるじゃろ」
「全然ダメ、とにかく、けん玉は膝が命じゃけん」
口が悪くスパルタな翔に教わるのは嫌だが、ノアに格好悪い姿は見せられない。難しい技は出来ないにしても、せめて、大皿と中皿に音楽に合わせて交互に乗せる『もしかめ』を出来るようにしたい。曲の一番だけでも!
「ほら、持ち方が変わっとる」
「だって、こっちの方が持ちやすいし」
「兄ちゃんの持ちやすさなんて、誰も聞いとらんし。はい、ここをこうして……」
後ろから翔の手が俺の手に伸びる。
手つきは乱暴なものの、後ろから抱きしめられるように手取り足取り指導する様は、まるで初々しい男女がテニスを教えてもらって急接近するアレだ。
(これは、行ける! ノアさんと密着出来るチャンス!)
まさか、けん玉に恋愛のスパイス的要素があるとは……。
「けん玉は、奥が深いんじゃね」
「兄ちゃんも、やっと分かってくれたん?」
「翔……?」
翔の手つきが変わった。
先程までは、乱暴にあれこれ向きを調整されたり、膝を折られたりしていたが、それはもう宝物でも扱うように優しく、至極丁寧に微調整される。
(これは、まずい。非常にまずい)
翔は、乱暴なくらいが丁度良いのだ。
優しく丁寧に……そのスイッチが入った時の翔は、人格が変わる。
「たかがけん玉、されどけん玉。単純な形の中にも、奥深い技の数々が隠されとるけん玉には、美しささえある。そして、これは単なる伝統遊戯なんてものじゃなく、スポーツなんよ。分かる?」
「あー、うん。分かるような、分からんような……」
「技を決められた時のあの爽快感。他のどのスポーツよりもスカッとして、気持ち良い。初心者の兄ちゃんは、とめけんが一番実感出来るんじゃないんかね。やってみよ」
「やってみよって……」
けん玉の持ち方が、『もしかめ』から『とめけん』に変わってしまった。
もしかめは、大皿と中皿に交互に連続して乗せるのに対し、とめけんは、あの剣先に玉を刺すのだ。それはもう、初心者の憧れだ。出来た時には、誰しも歓喜し、妙な快感を味わう。
俺も、一度だけ味わった。
けれど、あれは、そう簡単に出来る代物ではないのだ。
俺は数時間後に話のネタに使いたいだけであって、そんな本格的なものは望んでいない。子供の遊び程度に出来れば上等だ。
「兄ちゃん、玉を垂直に、すくうように、よ」
翔の手と体がそっと離れ、横に立った。そして、その眼差しは、とても期待に満ちている。ノアが初めてレモンゼリーを食べた時の目に似ている。
「これが出来るようになったら、飛行機じゃけん」
「いや、俺は、もしかめが……」
「もしかめは、コツを掴めば簡単じゃけぇ、すぐ出来るよ」
だから、俺はそれを教わろうとしていたのだ。
しかし、スイッチが入ってしまった翔は、何を言ってもダメだ。前回スイッチを入れてしまった時は、お互い学校もあったりで、三日目には解放された。しかも、学校終わりの数時間程度の練習。
ただ、今は夏休みで、互いに暇しかない。
俺は、何日後に解放されるだろうか……。
「さぁ、兄ちゃん。膝使ってやったら出来るけん」
翔に促され、軽く膝を屈伸させながら、玉をヒョイっと浮かせた。
分かりきっているが、失敗だ。
ど素人が、一発で剣先に入れられるわけがない。
「はい、もう一回」
「翔、無理だって」
「意欲を持つ者に、不可能なことはないよ」
byシェイクスピアですか。
けれど、それは、意欲を持つ者だ。
(俺は、下心しかないんだ!!)
そんなことは言えないまま、俺は極力垂直になるよう玉を浮かせた――。
◇◇◇◇
結局、翔のけん玉特訓は、夕方の出発の時間ギリギリまで続いた。
「じゃ、俺、行ってくるわ」
荷物も準備万端。
玄関から出て、自転車に跨った時、翔が二階の窓から手を振ってきた。
「兄ちゃん、帰って来たら、またやろうね」
「お、おう……」
苦笑を浮かべながら手を振り、俺は自転車を走らせた。
それにしても、スイッチが入った翔は、普段とは百八十度変わって、驚くほど優しく、そして、懐いてくる。兄としては可愛いのだが、けん玉特訓もセットで付いてくるので、やや……とても面倒臭い。
ただ、ここまで特訓しているのに、全く持って上達しない俺は、そもそも向いてないのだろう。
「けど……」
翔が教えてくれたように、ノアに密着しながら教える様を妄想して、鼻の下が伸びる。
「ふふふ」
――そんなふしだらな妄想を繰り広げていると、あっという間に目的地に到着し、日課のゴミ拾いまで済んだ。
そして、ノアとの再会。
またもや真っ白いワンピースで現れたノア。
(もしかして、クローゼットの中は、ズラリと同じ服が並んどったりして。それとも、ぶち貧乏だったり? レモン食べたことないくらいじゃし、後者じゃろうか)
つい詮索してしまうのは、悪い癖だ。人にはそれぞれ事情もある。会えるだけで、俺は幸せだ。
俺は幸せだが、ノアは幸せなのだろうか。
隣に座ってレモン水を飲むノアを見た。
「はう〜、幸せ」
幸せそうだ。
あくまでも、俺と会ったことで幸せになったのではなく、レモンとの遭遇で幸せを噛み締めているだけだろうが。
「それで、今日は、例のけん玉持ってきたんじゃけど、やる?」
「やる!」
いざ、昼間の特訓の成果を見せる時!
鞄の中から、けん玉を取り出して立ち上がった。
「一旦見本見せるけん」
「宜しくお願いします。先生」
ノアとゴンザレスに真剣な眼差しで見られ、手汗が出てきた。
鳥の鳴く声や波が打ち寄せる音もしているはずなのに、緊張のせいか何も聞こえない。
「ひとまず、大皿ね」
そう言って、俺は、ひょいっと赤い玉を浮かせ、掬い取るように大皿に乗せた。
「…………」
「…………」
暫しの沈黙が流れ、ノアがパチパチと拍手した。
「すごい! すごい! もっと見せて!」
俺もひとまず安堵する。
問題はここからだ。大皿は八割成功する俺だが、小皿や中皿の成功率は五割。二回に一回は失敗する計算だ。
ただ、ノアがあまりにも称賛してくれるものだから、てんぐになってしまった。
「次、この先っぽに玉を入れます」
「え、そんなとこ、入るの?」
「それが、入るんだなぁ」
今日の昼も、なんだかんだ二回成功している。何回中の二回かは、数えてないので知らない。知らないが、俺は本番に強いタイプだ。だから、今日も行ける――――。
――五分後。
俺は、ノアのけん玉先生から、けん玉を少しかじっただけの人に降格した。
ノアは、俺が教えることもなく、自由な持ち方で玉を浮かせ、一人で遊び始めた。
「ノアさん。膝をね」
「もうちょっとで出来そうだから、静かにしてて」
「……はい」
触れることすら叶わない。
とはいえ、これで良かったのかもしれない。
翔の言う様に、技が決まった時の爽快感は確かにあるが、まずは楽しむところから入るのが遊戯というものだ。下心ありありの男に下手なけん玉を習って、つまらない遊びだと思われても嫌だ。この時間が楽しければそれで良い。
そう自分に言い聞かせないと、俺のガラスのハートは粉々に砕け散りそうだ。
俺は、楽しそうに遊ぶノアをゴンザレスを膝に乗せて見守った。




