第三話 レモンゼリー②
ノアは、宝石のように輝く瞳で、シャーベット状から半分溶けかかったレモンゼリーを見つめた。そして、ゆっくりとティースプーンで掬ってから、それをひと口食べた。
「んー、何これ!? 酸っぱい!」
「もしかして、ノアさん。レモン、食べたことないんですか?」
両足をジタバタさせて全身で酸っぱさを伝えるノアは、まるで無邪気な子供のようだ。
「うん。初めて食べた。普段、海のものしか食べないからね」
「そう、なんですね」
「でもこれ、酸っぱいんだけど、甘くて……よく分かんないけど、すっごく美味しい! 爽やかな香りも最高だよ!」
「気に入ったなら良かったです」
もっと色々食べさせてあげたいと思ってしまった。
これは、叔父が姪っ子に好きな物を買ってあげる心境に近いかもしれない。相手は俺より年上で、俺に姪っ子もいないので想像でしかないけれど。
「そういえば、涼君って、昔と話し方違うんだね。んん、酸っぱ」
「昔……ですか?」
二口目も酸っぱそうな表情で食べるノアに、俺は過去に出会ったことがあるのだろうか。こんな可愛い女性と知り合っていたら、忘れないと思うのだが。
首を傾げていると、ノアは三口目を食べてから応えた。
「うん。お母さん達と話してるの見たけど、もっと砕けた喋り方してたよ。今は、固いね」
「それは、だって、ノアさんが歳上だから」
「お母さんやお父さんも歳上でしょ?」
「そう……ですけど。家族は別っていうか……」
これは、遠回しにタメ口で喋れと言っているのだろうか。
「あの、ノアさんにも、タメ口、砕けた話し方で……良いですか?」
「もちろん」
ニコッと笑いかけられ、ドキリとする。
そして、俺の考察が間違っていなかったことに、ホッと胸を撫で下ろす。
「えっと、じゃ、じゃあ、聞くんじゃけど、ノアさんは、漁師さんの娘さんとか、なんかね?」
多少ぎこちなくなってしまったが、こういうのは徐々にで良いだろう。
ノアは、そのぎこちなさに対してか分からないが、苦笑を浮かべた。
「漁師さんは、どっちかというと敵かな」
「敵……?」
「けど、自然の摂理だから仕方ないんだけどね。こうやって、私もレモン食べてるわけだし。涼君は、食べないの?」
ノアがレモンゼリーを完食したので、俺は自分用に持っていたそれをノアの空の容器と取り替えた。
「せっかくじゃけぇ、これも食べて」
「良いの?」
「どうぞ」
「やった、ありがとう!」
嬉しそうに、ノアは二つ目のレモンゼリーにスプーンを入れた。
「そうじゃ、ノアさん。これ知っとる?」
「ん?」
「レモンといえば、広島! 瀬戸内! ってイメージが強いんじゃけど、昔は全然認知されてなかったらしいんよ」
「へぇ。そうなんだ」
俺は麦茶をコップに注ぎながら、会話を弾ませようと、必死にうんちくを搾り出す。
「俺自身は、三歳とか四歳じゃったけぇ覚えとらんけど、『おしい! 広島県』とかいうキャンペーンからバズったらしくって、それまでは、レモンのお菓子なんて全然無かったんじゃって」
「へぇ」
興味があるのかないのか分からない相槌。
失敗したかもしれない。
『だから、何?』
と聞き返されたら悲しいが、レモン農家で育ったわけでもない俺に、レモンのうんちくは、これ以上思いつかない。
波が押しては引いてを繰り返すのを眺め、話題を変えようと口を開きかけた時、ノアは酸っぱい顔をしながら言った。
「てことは、レモンの食べ物って、これだけじゃないの!?」
「え、あ、うん。レモンゼリーは定番じゃけど、レモンのチョコとか、レモンのスナック菓子、レモンラーメンとか、他にも色々あるよ」
「そっかそっか」
「俺は、酸っぱいのそこまで得意じゃないけど、母さんが好きで家にいっぱいあるけん、また持ってきてあげよっか?」
「良いの!? 楽しみ!」
ノアの目がキラキラしている。そして、どうやら次回も会えることが確定したようだ。
(瀬戸内レモン、ありがとう!!!!!)
小さくガッツポーズをしながら、心の中で瀬戸内レモンに感謝を述べる。
「あ、あの、良かったら、連絡先の交換を……レモンの最新お菓子情報とか、他にも色々情報交換出来ると思うしさ」
ハーフパンツのポケットからスマホを半分取り出した時、上機嫌だったノアが、眉を下げて笑った。
「ごめんね。私、みんなが持ってる携帯、持ってないんだよね」
俺は、出しかけたスマホをポケットに引っ込めた。
「そ、そうなんじゃ」
「ごめんね」
「ううん。大丈夫」
今どき、年頃の女性が携帯電話を持っていないなんてことはない。俺は、まだその域に達していないのだろう。
落胆の色は隠せないが、俄然やる気が出て来た。いや、やる気を出さないと、この関係は、本当に呆気なく終わってしまいそうだ。
(絶対、連絡先を交換出来るくらいに、仲良くなっちゃるけん!!)
意気込みながら、俺は麦茶を一気飲みした。そして、むせた。
「ごほッ、げほッ、ごほッ」
「わッ、大丈夫?」
ノアに背中をトントンされた。
俺、格好悪すぎる……。
「ご、ごめん。もう大丈夫」
頭を掻きながら苦笑を浮かべれば、ノアも口元に手を当ててクスクスと笑った。
「はは、笑っちゃダメなんだろうけど、ごめん、ふふふ、ははは」
「いや、全然良いんじゃけど……笑いすぎじゃない?」
笑い方は上品だが、その笑いは、いつまでも続いている。
(ま、楽しそうじゃけぇ、いっか)
麦茶をもう一つの紙コップに注ぎ、ノアに手渡した。
「どうぞ」
「あ、ありがとう。ふふふ。ははは、はぁ……おかしかったぁ」
笑いもなんとか収まったようだ。落ち着いたノアは、紙コップを傾けた。
「そうだ。ノアさんは、普段なにして遊ぶん?」
「遊び? んー、なんだろ。泳いだり、落ちてるビーチボールでポンポンしたり、かな」
「へぇ、海の近くに住んでるだけあって、遊びもやっぱ海関連なんじゃね」
それにしては色白だ。海で遊んでいたら、こんがり茶色に染まりそうなものなのに、世の女子が羨ましがること間違いなしだろう。
「にんげ……世間の女の子は、どんな遊びしてるの?」
「さぁ、なんじゃろうね。知らんけど、シール交換とか最近流行りよるみたい。あとは、ぬい活とかかね」
「ぬい活って?」
「ぬいぐるみ活動。推しのキャラのぬいぐるみを持ち歩いたり、着せ替えしたり、出掛けに写真撮ったりして楽しんでるっぽい。俺には、良さがよく分からんけど、女子は楽しいみたいよ」
「へぇ。そっかそっか」
レモンの時と同じくらい前のめりだ。
「ノアさんも、やってみたら楽しいかも」
「あー、私は……」
ノアは、残念そうに眉を下げた。
「持って帰れないから。聞いてるだけで良いや」
「そっか」
他の女子たちとは雰囲気が違うし、ノアも家庭の事情的な、何か理由があるのだろう。あまり深入りするものではないが、ノアは寂しげな表情よりも、笑った顔の方が良く似合う。
「アレルギーとかがあったりするん?」
「アレルギー? それは、ないけど。どうして?」
「だったら、俺に任せて」
「…………?」
「今日は、もう帰ろっか」
きょとんとするノアともっと沢山話がしたいが、いよいよ空が紺色になってきた。
女の子を遅くまで連れまわすのも良くないし、俺はノアからレモンゼリーの空容器とスプーンを取って、小さなビニール袋に入れてから、保冷バッグの中に戻した。
俺が立ち上がれば、ノアも一緒に立ち上がる。
「送るよ。家、どこら辺なん?」
「ううん。大丈夫」
「え、でも……」
「大丈夫」
ノアは、段差を軽快なステップで降りてから、笑顔で手を振ってきた。
「レモンのお菓子、楽しみにしてるね。また明日。じゃあね」
「じゃあね」
手を振り返し、駆けていくノアの背中を見送った――。




