第二十話 夢境②
――それから、およそ三ヶ月の月日が流れた。
俺は、ノアと共に海底にある城、いわゆる竜宮城で共に暮らした。
三食飯付き、風呂にも入れて快適だ。何より、朝起きたらノアが隣の部屋にいて、常に一緒。海の中を自由気ままに泳ぎ、夕方まで喋り通し、好きな人とこんなにも一緒にいられるなんて、幸せの何者でもない。
「涼君、そろそろお腹空かない?」
「あー、うん……今は、そうでもないかなぁ……」
空腹で、今にも鳴りそうな腹を押さえて苦笑を浮かべる。
幸せの何者でもないのだが、俺の体は正直で、三食海鮮に飽きを感じている。たまに、俺がノアに食べさせたことのある食べ物を出してもらえるから、どうにかこうにかやっていけているが、それも二週間目を過ぎた辺りから限界が来ている。
つまり、三ヶ月も経った今は、限界を突破しまくって、頭がおかしくなりそうだ。
(野菜が食いたい。米が食いたい。肉が食いたい。肉、肉、肉!)
「……肉、肉」
最後の方が声に出ていたようだ。ノアが、広島のB級グルメである『せんじがら』を出してきた。
「涼君、どうぞ」
「はは、ありがとう」
せんじがらも、以前ノアに食べさせたものの一つだ。
豚のホルモンをカリカリに揚げたそれは、歯が丈夫になりそうな程に固く、肉の旨みがぎっしりと詰まって、ビールや焼酎のおつまみ等に最適だ。
俺は、まだ未成年なので酒は飲まないが、父が常備しているそれが子供ながらに好きで、それをノアにも味わって貰いたくて、こっそり拝借してきたのだ。それこそ、レモンや甘い食べ物ばかりだと飽きて、つまらない男認定されたら困るので。
ただ、肉は肉でも、俺が欲している肉は、それではない。焼肉、トンカツ、唐揚げ、ハンバーグ……米とサラダ付きで、ファミレスの定食並みにガッツリと食べたい。
ジュースもレモンジュースや柚子ジュースだけでなく、コーラやメロンソーダ、なんなら、炭酸水だけでも良いから、シュワッと、スカッとしたい。食後にアイスなんてのも捨てがたい。
「あ、そうだ。タコを食べて良いならさ、たこ焼きとか出来んのん?」
我ながら、なんて良い案なんだ。
お好み焼きが出せるなら、ソース単体でも出せるはず。それをかければ……。
半魚人によって、一瞬にして焼きタコが調理された。
いわゆる、タコの丸焼き。
(あー、もう!! そうじゃない!!!!)
もう限界だ。
この夢は、いつまで続くのか。俺はいつになったら夢から覚めるのか。三ヶ月分の夢を一日で見るなんて、よっぽど疲れているのだろうか。はたまた、何かの病気か事故にあい、昏睡状態みたいに三ヶ月間眠り続けているのだろうか。
後者なら恐ろしいが、もしも前者なら……そろそろ目を覚ませ、俺!
魔女の声もいつしか聞こえなくなってしまったし、半魚人やその他の生物は、ノアとは喋れるが、俺とは言葉が通じない。故に、ノア以外の人との会話は一切なし。
それはそれで駆け落ちでもした気分で嬉しいのだが、反面、母の小言や翔の憎たらしい発言もたまには聞きたいと思ってしまう。それらありきの恋愛がしたいのは、贅沢なのだろうか。そもそも、俺はノアのなんなのだろうか。女々しいかもしれないが、そこをハッキリしたい。
話は逸れたが、つまるところ、俺は現実世界に戻りたいのだ。
現実世界のノアと幸せになりたい。残り十四……いや、もう十三日か。十三日でサヨナラしなければならないとしても、本物のノアに、その理由をきちんと聞きたい。一方的に告白した返事を聞きたい。
そのためには、やはりノアに現実世界の魅力を伝えるのが一番手っ取り早いのだろうか。現実世界の俺が勝手に目覚めるからと呑気に構えていたが、中々目覚めない今、出来ることからやるのが先決だろう。
(じゃけど……ん~、魅力かぁ……魅力ねぇ……)
竜宮城の庭もとい天然水族館を眺めながら、試しに質問してみる。
「ちなみに、ノアさんは、何が好きなん?」
「レモン」
「も、そうじゃけど、そうじゃなくって、なんて言ったら良いんじゃろうか……ここには無いもので、見たり、やってみたいこととか」
ここでは、泳ぐこと、海岸から海を眺めること、海中散歩をして海の生物と戯れることくらいしかすることがない。食べる楽しみも、先程話した通り、ほぼほぼ海の幸のみ。きっと、ノアも本当にしたいことがあるはずだ。
「海ばっかじゃけん、逆に山でハイキングとかさ。興味ないん?」
「んー……」
ノアが困った顔で、足元の尾ひれを見た。
「私、足がこんなだからさ。海水がないと生きられないんだよね」
「それはさ……」
今のノアは、夢の中で人魚そのものだが、本来の姿なら行けるのでは? と、言っても良いものか。いや、そんなデリカシーのないことを言えるはずもない。
「えっと、じゃあ……もしも、もしもノアさんが人間になれたら、やりたいことは?」
「うーん。研究……かな?」
「研究……?」
やりたいことランキング第一位が研究とは、予想外過ぎる発言に、俺は戸惑いが隠せない。そんな俺に、ノアは憂いを帯びた表情で、遠くを見つめながら言った。
「私ね、この美しくて素晴らしい海をもっと豊かにしたいんだ。人間は色んな研究をしてるから、そういうことも可能かなって」
「可能……かもしれんけど」
反対に、海を汚すことも容易い。
それを知っているからこそ、この夢境では、数百年前の海を再現しているのだろう。夢から覚めたら、ガッカリさせてしまうだろうか。
そして、今思い出したが、俺は現実逃避して日課の海の掃除をサボっている真っ最中。久々に来たビーチは夜だったのであまり見えなかったが、落ちていた空き缶を蹴飛ばしてしまったのは覚えている。あれも夢の一部かもしれないが、それでも、いつものビーチは他のボランティアの人が来るまで、汚れ放題な気がしてならない。
「涼君? どうかした?」
「あ、いや、なんでもない……そういえば、瀬戸内海と言えば、昔はアサリとか豊富に採れたんじゃろ?」
「昔……? 今も、たくさんいるよ」
「あー、そうじゃね」
ちなみに、隣で首を傾げるノアの記憶は、どうなっているのか。現実世界でした俺との会話もしっかり覚えているにはいるが、海のことに関しては、数百年前の記憶のままなよう。今のように、ちぐはぐな会話になってしまった時は、テキトーに笑って誤魔化していたが、嘘を吐いたままでは、現実世界の魅力など伝わらない気がする。
俺は、意を決して事実を伝えることにした。
「ノアさん」
いつになく真剣は表情でノアと向き合えば、ノアもまた、知っていたかのように無表情になった。
「あのさ、未来の瀬戸内海って、ここまで澄んどらんのんよ」
「…………」
「人間のせいで海が汚れて、生態系も随分と変化してるみたいで……海の生き物も、想像以上に減少傾向にあるし、さっき言っとったアサリだって、ほとんど採れんくなっとってから……」
「……そう」
ノアの心が揺れたからか、この三か月、今まで一度も荒れたことのなかった海が咆哮した。
上空では暗雲が立ち込め、雷が鳴り、大雨が降る。強風で波は高くなり、魚たちも不穏な動きを示した。
「ごめん……ノアさん」
「どうして涼君が謝るの? 涼君が海を汚したの? 海を滅茶苦茶にしてるの?」
「違う……けど、ごめん。俺も、その中の一人に違いはないからさ。ごめん……」
いくらゴミを拾っていようが、俺だって人間だ。暑い時にはクーラーを付けるし、寒い時には暖房を付ける。冷蔵庫は二十四時間稼働しているし、車にだって同乗する。
便利になった世の中で生きているだけで、海にとっては悪害でしかない。故に、この怒りの下に立たされた俺は、謝る以外の言葉は出て来なかった。
頭を下げた俺に、ノアはニコッと微笑んだ。
「人間、やっぱ捨てたもんじゃないよ。お婆ちゃん」




