第十四話 瀬戸内の絶景
それから五日が過ぎた――。
宣言通り、俺はノアと会っていない。日課の海辺の掃除もやめた。
「はぁ……残り十四日かぁ……」
朝から、リビングに飾られたカレンダーを眺めて一人ぼやけば、母がレモンを輪切りにしながら嬉しそうに言った。
「夏休みも、あっと言う間じゃね。家が片付くけぇ、良かったわぁ」
「はは、俺ら邪魔者扱いって。酷ッ」
冗談まじりに笑うが、夏休み中ダラダラ過ごした結果、出したものは出しっぱなしで、リビングに、いつもはない俺の私物や翔の部屋にあったタオルケット、お菓子やアイスの空箱等が散らかっている。そして、何故か家族の人数分以上のコップが、テレビの前のテーブルの上に並べられている。更には、干した後の綺麗に折り畳まれた洗濯物を『自分の分は片付けといてね』と言われたにも関わらず、誰も片付けていない。
この散らかりようなので、俺もそれ以上は何も言えない。それよりも、夏休みも残り十四日だが、ノアの命もそれくらい。どっちにしろ、憂鬱なカウントダウンだ。
「てか、母さん。またレモン? 好きじゃね」
レモンを見る度にノアを思い出してしまって、気分が落ち込む。
「はぁ……」
「ほら、また溜め息吐きよる。このレモンは、涼ちゃんの為に作りよるんよ」
「は、どうして? 俺、レモンは、そんなに……」
「レモンの蜂蜜漬け。疲れとる時は、これが一番じゃけぇ」
出来るだけ明るく振る舞っていたつもりだったが、気付かぬ内に溜め息ばかり吐いていたのだろうか。母には、全てお見通しだったようだ。
そこへ、翔がヒョコッとリビングの扉から顔を出した。
「兄ちゃん、今から出掛けるって」
「何処に?」
「尾道だって。今年は、まだどこも行っとらんけんって、日帰りで行くんだって。父さんが」
「え、じゃけど、翔。お前、高校生にもなって家族旅行とか、ぶちたいぎぃとか言っとったじゃん。それで、今年の家族旅行、無くなったんじゃろ?」
聞けば、翔は、やる気のなさそうな顔で一瞥してきた。
「明るく振る舞ってバレんようにしたいんなら、日課をやめたらいけんじゃろ。僕ならまだしも、父さんや母さんにもバレとるで」
母が勘付いていることは先程知ったが、まさか父にも気付かれているとは。これは、車の中で家族全員に俺の失恋話をしなければならないのだろうか。
「僕は尾道ラーメン食べたいだけじゃけぇ、あくまでも、恋バナなんてせんでよ。兄弟の恋バナ程たいぎぃもんはないけん」
「……はい」
どうやら、失恋話はしなくて良いらしい。これは、弟の配慮なのか、はたまた本気で兄の失恋話に興味がないだけか。
(後者だろうな……)
とはいえ、俺もずっと家にいると、ノアのことばかりを考えてしまうので、気分転換に良いかもしれない。
「すぐ、準備してくるわ。母さんも行くんじゃろ?」
「これが終わったらね。今仕込んどかんと、食べられるの、どんどん遅くなるけん」
俺は、そこに折りたたまれている洗濯物の中から、真ん中辺りにあるTシャツと短パンを引っ張り出した。案の定、洗濯物の塔は崩れた。
「こら、涼ちゃん! お母さんがせっかく畳んだのにから、どうしてくれるんね!」
「はは、ごめんって。帰ったら直すけん」
「絶対せんじゃろ。知っとるんじゃけぇね」
「するする。するけぇ、そんな怒らんでええじゃろ」
部屋の中は散らかる一方だが、ひとまず、これから家族で尾道へ行くことになった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺の家からは、車でニ時間半のところにある尾道。
今日は、海沿いの景色を楽しみながら行くということで、呉・竹原を経由して、三原へ抜けるルートにするらしい。
本日は快晴でもあるため、それはもう瀬戸内海の素晴らしい景色が堪能できる。堪能できるのだが、その海を見るのが……。
(う、ツラい……)
後部座席で項垂れれば、翔に距離を取られた。
「兄ちゃん。吐かんとってよ」
「違うわ、感傷に浸っとっただけじゃ」
それももちろんあるが、溺れた記憶が、生々しく蘇って来る。あれが夢であったにしろ、リアルすぎて忘れようにも忘れられない。PTSDまではなっていないが、それに近しい恐怖が蘇って来る。
そして、恐怖と共に、人魚のノアも思い出す。
(あれ、ほんまに人魚みたいじゃったな。てか、人間って、尾ひれ付けながら泳げるんじゃろうか。腰を動かすんかな)
初めて会った日にも、ノアは尾ひれをつけて泳いでいた。あれはコスプレなのだろうが、それを付けて、果たして人間はスムーズに泳げるのだろうか。
スマホで検索してみようと、座席に雑に置いたスマホを手に取った。
「ん?」
翔が、ニコニコしながら俺を見ている。
「で? 兄ちゃん。なんて告白したん?」
「は? 恋バナは、するなって……」
言いかけたところに、運転席のミラー越しに、父がチラリとこちらを見た。母なんて、助手席で、がっつりと後ろを振り返っている。
「そんなん、鼻から失恋話聞くって言ったら、兄ちゃん絶対付いて来んじゃろ」
「当たり前じゃろ……って、みんな、話聞く気満々だっだん!?」
翔はさて置き、父と母は愛想笑いを浮かべた。つまり、そういうことだ。
「いやいやいや、俺、話さんけぇね」
と言いつつ……。
「涼ちゃん。お母さんが食べようと思って買ったレモンのチョコ、あれ美味しかった?」
「あれは、ノアさんが一人で食べたけぇ、味は……」
「兄ちゃん。夾竹桃の写真、見せたん?」
「うん。触れんのが残念じゃねって言いよった」
全て素直に受け答えしてしまう俺は、瀬戸内海の絶景を背に、家族相手に、洗いざらい白状することとなった。
――十分後。
変わらず、窓の外は絶景が広がっている。
そして、家族に話した結果、ノアの儚い命に対して、共に悲しんでくれるだろう。失恋も致し方ないと、慰めてくれるだろう。そう思っていたら、翔がドン引いたように白けた目で見て来た。
「エグッ。兄ちゃん、キモッ」
「え、なんでそうなるん!?」
「告白するだけして、答えも聞かんと、もう会わんとか、最低過ぎるじゃろ」
「だって、それは……」
再び説明しようとすれば、両親も前の席で、うんうんと頷いていた。
「病気かなんか知らんけど、彼女にとったら、兄ちゃんと会うのが唯一の楽しみだったんかもしれんじゃん。最後の日まで会っても良いって言われたんじゃろ?」
「言われた……けど」
「嫌ならそんなこと言わんし。まぁ、楽しみって言っても、兄ちゃん個人じゃなく、レモンが……かもしれんけどね」
「うッ、それは……ある」
ありすぎて、泣けてくる。
そして、正論を叩きつけられ、言葉に詰まる。
「てか、その子、ほんまに病気なん? 訳ありっぽいのは分かるけど、病気なら誰か付き添いとかさ、なんかおるじゃろ」
「確かに……」
しかし、ノアが病気でないとすると、果たして一ヶ月しか会えないのは何故なのか。振り出しに戻ってしまった。
にしても、俺に会うのが、唯一の楽しみ? そうだとすると、俺はその楽しみを奪って、もしや五日も無駄にしたのだろうか。
仮に、そうだとしても……だ。もう会わないと言って別れたのに、また会いに行っても良いものだろうか。いや、普通に考えて駄目だろう。それに、俺はノアの連絡先を知らない。会いたくとも、もう二度と会えないかもしれない。
「翔……俺、どうしたら良いんじゃろか」
「知らんし」
色々聞き出し、口を挟んで置きながら、最後はスパッと切り捨てるとは……鬼だ。鬼畜だ。
そして、両親も話が聞けて満足だったよう。いつの間にやら、二人で別の話をしていた。
「とにかく、兄ちゃん。告白だけして去るとか、自己満足にもほどがあるけん。自分に酔いすぎで、キモい」
「そこまで言わんでも……」
反省の色を見せ、窓の外の海をぼんやりと眺めた。すると、水平線の向こう、海面がパシャッと波立った。




