第十一話 希望の花①
――あの後、どうやって帰ったのか、思い出せない。
ノアがお好み焼きを一枚完食できず、俺が残り半分を食べたのは覚えている。明日、会う約束もした。残りの二十日間、毎日会いたいと無茶を言えば、ノアは笑顔で頷いてくれた。そして、気が付いたら、お風呂に入って、ベッドの中にいた。
月明りがカーテンから入り込むだけの薄暗い部屋で、ごろんと寝返りを打てば、枕もとに放り投げられているゴンザレスと目が合った。それの背を撫でて、話しかけた。
「ノアさん、もうすぐいなくなるんじゃって。どうする?」
心なしか、ゴンザレスも寂しそうに見える。
「じゃけど、一生会えんって……どういうことかね」
遠くに引っ越すにしても、どうにかすれば会える。恋人でもなんでもない相手が会いに行ったら流石にストーカーだが、友達なら問題ない。だから、俺は告白はせず、友達としても会えないのか聞いた。しかし、それも許されないようなのだ。いくら海外に引っ越そうが、命ある限りは、二度と会えないなんてことはないのに……。
命、ある限り……?
俺は、ガバッとタオルケットを捲って起き上がった。
ゴンザレスを両手にもって、冷や汗を流しながら呟いた。
「もしかして、余命が、残り……?」
だから、レモンを知らなかったのだろうか。食事制限があったから。海のものだけは口に出来るという食事制限は聞いたことがないが、それは俺が無知なだけで、そういった病気があるのかもしれない。
海でしか会えないのも、外出許可がそこまでしか出ていないのだろう。人ごみの多いところは、感染の懸念もあるから。
世間の女子がするような遊びも知らないようだし、外界から遮断されていたのだろう。連絡先を教えてくれないのも、死んだことを俺に知られたくないから。
点と点が繋がって、線になっていく。
「人魚のコスプレをしとったのも、最後にしてみたかったんじゃろうか……」
余命が残り一ヵ月もないと思うと、一筋の涙が頬を伝った。
「俺、ノアさんの残りの人生、独占しちゃいけんじゃろ……」
ノアは、もっと他の……俺よりも、もっと大切な人と関わりたいはず。こんな、先日知り合ったばかりの俺なんかよりも、大切な家族だったり、友人と一緒に過ごすべきだ。
「明日で、最後にしよ」
自分から約束をしてしまった手前、それを無視して会いに行かないのは、男として、いや人間として失格だ。だから、明日だけは会いに行く。そして、自己満足と言われるだろうが、明日――――告白しよう。告白して、別れを告げよう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌昼、俺は美容院に行くことにした。
少しでも格好良い自分を覚えていてもらいたくて、最後の悪あがきだ。
「って、なんで、翔も付いてくるん? 兄弟で美容院とか嫌なんじゃけど」
何故か、翔も付いてきた。
今は、行きつけの美容院に向かって、二人で歩いているところ。
「だって、僕もそろそろ髪切りたかったし。てか、兄ちゃんの様子が変じゃけぇ、付いてきたの分からんのん?」
「変って?」
「昨日、思いつめたようにして帰ってきたじゃろ。話しかけても、全然じゃし。かと思えば、朝から元気いっぱいじゃし」
「元気なら良いじゃろ」
「けど、空元気じゃろ?」
翔は、年下のくせに俺のことは何でもお見通しなようだ。
「翔は、やっぱお兄ちゃんが大好きなんじゃね」
無駄に絡みついてみれば、鬱陶しそうに顔をグイグイと押し退けられた。
「兄ちゃん、うざい。暑い」
「良いじゃん。兄弟なんじゃけん。てか、翔。スイッチ、切れた?」
「は? スイッチって何?」
今も俺に付いてきたりと、一見すると、まだ兄に懐く弟のように見える。しかし、スイッチが入ったままの翔は、俺が抱き付いても怒らない。むしろ、翔の方から腕に絡みついてきたりする。そして何より、昨日の夜、おそらく無意識下で、けん玉特訓を俺が断ったのだろう。今朝は誘いが無かったのだ。
嬉しいやら寂しいやら。
複雑な気分で、嫌がらせの如く頭をよしよしと撫でていると、目的の美容院に到着した。
――カラン♪
音を立てて中に入れば、爽やかな笑顔で若い男性店員が声をかけてきた。
「ご予約は、されていますか?」
「はい。宍戸です」
店員がタブレットを操作すれば、「こちらです」と案内された。
「翔、暫しの別れじゃね」
「せいぜい、僕みたいに格好良くしてもらいんさい」
皮肉を言う翔だが、髪型のセンスは人一倍ある。
椅子に案内された俺は、隣に座った翔を横目に、店員に耳打ちした。
「今日は、隣にいる弟と同じ髪型にしてください」
「えっと……」
店員が翔を見れば、不機嫌そうに睨まれていた。
「あの、よろしいのですか? 怒られません?」
「大丈夫大丈夫。双子コーデならぬ、双子ヘアにしてください」
「かしこまりました」
仕上がった後、翔に怒られるのは間違いないだろうが、ノアとの最後の別れだ。少しでも格好良くしてもらいたい。
それから店員は後ろに下がった際に、翔の担当の女性店員に、軽く情報を聞いていた――。
◇◇◇◇◇◇◇◇
――そして、一時間後。
夏にぴったり、ツーブロックヘアになった俺と翔。
案の定、翔が口を聞いてくれなくなった。けれど、俺は上機嫌だ。
「まさか、同じ髪型を希望してるなんてね。やっぱ、兄弟じゃね」
「…………」
「翔、どう? 似合う?」
「…………」
「そう、怒らんでも良いじゃろ。たまたま、なんじゃけん」
『たまたま』を強調してみても、翔の疑いの目は晴れない。
「はぁ……やっぱ、付いてくるんじゃなかったわ」
「あ、翔が喋った」
「うるさい。じゃけど、学校始まる前で良かったわ。夏休み最終日、もう一回切りに行こ」
「一緒に?」
「一人で! 弟と同じ髪型にするとか、マジあり得んけん。兄の威厳とかないん?」
「ない」
即答すれば、深い深い溜め息を吐かれた。
「まぁ、良いわ。失恋して馬鹿なことでも考えよんかと思いよったけど、違うっぽいし、さっさと帰ろ」
「馬鹿なことって?」
「自殺。良くおるじゃろ。失恋したけんって、自殺する人」
「あー、そういうのはせんけん。大丈夫」
余命幾ばくかの人が身近にいるのに、失恋しただけで命を落とすようなことは出来ない。
歩いていると、道路沿いに咲いているピンク色の夾竹桃が目に飛び込んできた。
「女の子って、花、好きかね?」
「さぁ、人それぞれじゃろ。兄ちゃん、今度は花でリベンジするん?」
「いや、リベンジっていうか……」
本番なのだが、これが最後だと思うと、何をプレゼントすれば喜ぶのか、考えれば考えるほど分からなくなってきている。
「まぁ、花は良いけど、夾竹桃だけは、やめといた方が良いじゃろうね」
「なんで? こんな道路沿いのは摘まんにしても、可愛いじゃん」
「兄ちゃん知らんのん? 夾竹桃って、ぶち強い毒性あるんよ」
「マジで? そんなもん、こんなところに植えんで欲しいわ。危うく公園のやつ、摘んで行くとこじゃったわ」
「はぁ……兄ちゃん。ほんまに広島人なん? 夾竹桃って言うのは――――」
翔が言うには、夾竹桃とは、原爆投下後の広島で、七十五年は草木も生えないと言われていた焦土に、いち早く咲いた『復興のシンボル』として、市内の様々な場所に植えられているらしい。毒性は強いものの、排気ガスなどにも強いので、道路沿いや公園など、様々なところに植えてあるのだとか。
「へぇ、そうなんじゃ。知らんかった」
ということは、つまり、この花は、『希望の花』ということだ。諦めきっているノアに、少しでも希望を持たせてあげられるかもしれない。
俺は、スマホをそれに向けて、写真をパシャリと一枚撮った。角度を変えてもう一枚。
「せめて、写真だけでも見せてあげよ」
「それが無難じゃね。その人も、歩く度に目にしとるじゃろうけど」
「そうかもしれんね」
相槌を打ちながら、俺は赤色と白色の夾竹桃も、スマホの中に収めた――。




