第十話 夏が終わるまで
足場の悪い岩場を移動したのは正解だ。
「ノアさん。こっち」
荷物を片手に持ち替え、左手を差し出せば、それをノアが右手で取った。ノアが安定した岩の上に立てば、その手はすぐに離されたが、それが三回ほど繰り返された。
(三回も、手ぇ繋いじゃったし)
自身の手のひらを眺めながら、今日は絶対に洗わないでおこうと、グッとその手を握った。
「涼君、何してるの?」
「え、いや、な、なんでもないよ」
笑って誤魔化しながら、海に囲まれた堤防の上を歩く。
人のいないそこは、デートには丁度良いが、少し怖い。二人並んで歩く幅も十分にあるのだが、落ちないか不安で、ついついゆっくり歩いてしまう。そんな俺を置いて、ノアは軽快な足取りで堤防の先端まで行き、何の躊躇いもなく足を垂らして座った。
「涼君、早く」
「う、うん」
堤防で食べようとは言ったが、まさか先端まで行くとは思わなかった。俺もノアに倣って隣に座ろうとしたのだが、下にある深緑色の海を見て、躊躇った。
「座らないの?」
「いや、座るけど……」
「地べたは、嫌? 濡れてないよ」
「あー、うん。そうじゃなくって……」
海に落ちそうで怖いなんて、格好悪くて言えない。
こう見えて、俺は泳げない。海辺の掃除を日課としてやっているくらいだから、余裕だと思っている者もいるかもしれないが、海辺の掃除は泳がないのだ。海の中には入らない。泳げるのであれば、俺だってゴミ拾いだけでなく、その前後に海で泳いでいる。
そこで、俺はハッと閃いた。
ノアの履いているサンダルと違って、俺のサンダルはストラップはついていない。足を垂らすには、サンダルを脱がなければ、確実に海の藻屑となり果てる。
俺は、足を垂らさず、ノアの横に胡坐をかいて座った。
「サンダル落ちたら、困るけん」
あくまでも、サンダルの方を理由に、俺は足を垂らさなかった。ただ、怖さはあまり変わらない。
(食べたら、磯遊びでも提案しようかな)
群青色の波打つ海を極力視界に入れず、俺は保冷バックから『川根の柚子しずく』を二つ取り出した。瓶の蓋を開けてやり、ノアに手渡せば、不思議そうにパッケージを眺めた。
「これも、レモン?」
「ううん。これは、柚子。レモンよりも、少し苦味があるんじゃけど、美味しいんよ」
「へぇ」
柚子も知らないとは、何歳の頃から人魚になりきっているのだろうか。疑問に思いながらも、ノアが一口飲んで絶妙な顔をした瞬間は見逃さなかった。
「本当だ! ちょっと苦いけど、美味しいかも」
「良かった。ちなみに、今日は、お好み焼き買って来たんじゃ」
得意げに、ビニール袋から丸くて大きなプラスチック容器を取り出せば、ノアが嬉しそうに応えた。
「あ、お好み焼きなら知ってるよ」
「食べたことあったんじゃね」
サプライズが失敗したような気分になっていると、ノアは首を横に振った。
「ううん。海に来る人たちが、良く食べてるから。見たことあるだけ」
「そっかそっか。そうなんじゃね」
ノアの発言や反応に、一喜一憂してしまう。
そして、ノアにお好み焼きと箸を手渡せば、まさかのことが起きた。
「ごめん、私……お箸、使えないんだよね」
「え……?」
まさかの欧米な感じだろうか。話し方も広島弁ではないし、どこぞのお嬢様で、普段からフォークとナイフしか使わないのかもしれない。それとも、人魚になりきって、箸の使い方が分からないフリをしているのだろうか。
考えても分からないが、肩を落とすノアは、演技をしているようには見えない。
「えっと……良かったら、食べさせてあげよう……か?」
「良いの!?」
前のめり気味に言われ、ややたじろぐ。
「い、良いよ。ノアさんが嫌じゃなかったら」
「うん。食べてみたい!」
ノアが俺に箸とお好み焼きを返してきたので、おどおどしながらも、一口サイズに切り分ける。が、持ち帰り用のお好み焼きは、切り込みがついていない。それを一口サイズに切り分けるのは中々難しく、苦戦した。
数分後、なんとか一口サイズに切り分けたそれを嬉しそうに待つノアの前に差し出した。
「えっと、はい、あーん」
小っ恥ずかしくて、俺の顔は真っ赤になっていることだろう。そんなことも気にせず、ノアは、それをパクリと食べた。
「んッ! 美味しい!」
「あ、熱々の方が、もっと美味しいんよ」
「へぇ、そっかそっか。もう一口、ちょうだい」
「う、うん」
それから俺は、何回か手ずから食べさせた。そして、提案した。
「良かったら、箸の持ち方、教えようか?」
「え?」
「あ、いや、余計なお世話なら別に良いんじゃけど……ノアさん、一回一回申し訳なさそうな顔するし、自分で食べることが出来た方が、今後も良いじゃろ?」
「うん! ありがとう!」
満面の笑みで返事をするノアに、トゥクンと胸が跳ねる。
箸をノアに手渡す前に、一旦見本を見せる。
「こ、こんな感じで持つんじゃけど……親指と人差し指で『バンッ』って、鉄砲撃つ感じの手にしてみて」
「こう?」
「そうそう、で、ここに箸を入れて、握る」
言われるがままノアは箸を持った。そして、微調整してやる。本日四度目の触れ合いに、ドキドキが止まらない。
「これで、やってみて」
「うん」
ぎこちなくお好み焼きに箸を入れるノア。
「あー、涼君のように、うまく掴めない」
「こういうのは、慣れじゃけん。練習あるのみよ」
「うん、頑張る!」
張り切るノアだが、持ち方が変わったので、再び横から手を差し伸べる。
「まぁ、初めては綺麗に食べようとか思わんで良いよ」
「ありがとう。けど、夏が終わるまでには、出来るようになりたいな」
「夏の間に? 何か、理由でもあるん?」
お好み焼きに齧り付いたノアは、平然と言った。
「だって、私。この夏の間しか、涼君に会えないから」
「……え?」
俺は、ショックで海に落ちるかと思った。足を垂らしていたら、確実に落ちていた。
「夏の間しか……俺たち、会えんのん?」
唖然と聞き返せば、ノアが俺の顔を見て、我に返ったようにお好み焼きの入ったトレイと箸を膝の上に置いた。
「涼君……えっと、私……」
「ノアさん。どっか、引っ越すん? じゃけぇ、会えんのん?」
「…………」
「いつ? いつまでなら、会えるん?」
「涼君とあった日から……一ヵ月」
俺は、スマホでカレンダーを確認した。
「え……後、二十日しかないじゃん」
「……ごめんね」
「けど、引っ越すだけなら、また会えたり」
「ごめん。もう、会えないんだ……」
俺は、初めて絶望に打ちひしがれた。
(ばあちゃん、良いことしたら、良いことが返ってくるって言ったじゃん。ばあちゃんの嘘吐き!!!!)




