第二百十三話 勝利のハグ
雫達のレースが終わると、すぐに一年生の第二レースが始まる。
そのタイミングで、体育委員が晴翔達二年生グループの誘導を開始する。
「このレースが終わったら二年の予選を始めるのでそれぞれスタート位置に移動してください」
体育委員の案内に、咲は「よいしょっと」と立ち上がる。
「いよいよね。みんな頑張りましょ」
「よっしゃ! アンダーハンドパス太郎、出陣だぜ!」
元陸上部の咲はレースの緊張に慣れているのか、普段とあまり変わらない。
友哉も特に緊張した様子はなく、「ぶっちぎりの一位を狙うぜ」などと調子の良いことを言っている。
「い、いよいよだね! まずは予選突破だね!」
そんな二人とは対照的な綾香。
彼女は緊張を押しのけるために、不自然なほどに満面の笑みを浮かべているが、その声は震えている。
「大丈夫だよ綾香。練習通り、いつも通りで」
緊張でガチガチになっている綾香を落ち着かせるため、晴翔は彼女と目を合わせる。
「一人で走るわけじゃないから、皆いるから大丈夫」
「そうよ綾香。リレーはチーム戦、みんなでフォローできるからちょっとくらいミスしても大丈夫よ」
「全力で挑んで全力で楽しもうぜ!」
晴翔に続いて咲と友哉も綾香に声を掛ける。
「そうだよね! うん! みんなで楽しもう!」
チームの存在で少し気持ちが軽くなったのか、綾香は先程より自然な笑顔で頷いた。
それから晴翔達は体育委員の案内に従って、それぞれのスタート位置に向かう。
アンカーの晴翔が第四走者のスタート地点に移動している途中で、三年生グループの横を通り過ぎた。その時にふと視線を感じて目を向けると皆藤と目が合った。
彼は晴翔と視線がぶつかると、僅かに頷く。
晴翔もそれに小さな頷きで応えた。
表彰台の上で皆藤が綾香に告白をする。
その途中で晴翔が割り込み、彼女への告白は迷惑だとはっきりと伝え、告白を止めさせる。それを皆藤は素直に受け入れて謝罪をする。
皆藤から提案された作戦の効力を最大限に発揮するには、多くの注目を浴びる必要がある。
つまり、綾香の告白騒動を治めるために、表彰台に絶対に上がらないといけない。
「気合い入れるか」
晴翔は独り呟いて気合いを入れる。
二年生の第一レースの準備が整うと、一年生の時と同じように選手紹介のアナウンスが始まる。
『さぁ、次は二年生が熱闘を繰り広げる番です。第一レースの紹介です』
放送委員が選手を一人ひとり紹介していく。
その度に所属しているクラスから声援と歓声が沸き上がる。
そして、綾香が紹介された。
『第三走者の紹介です。二年A組、丸井明日香選手! 二年B組、畑村耕助選手! 二年C組、東條綾香選手! 二年D組、中――』
彼女の名前が呼ばれた瞬間、後の選手紹介のアナウンスが掻き消されるほどの大声援がグラウンドを覆い尽くした。
「東條さーーーん!!!!」
「出場してくれてありがとうッ!!」
「うぉーーー! やべぇーーー!」
「真打登場だー!!」
大熱狂に包まれた綾香は、恥ずかしそうにペコッと小さく頭を下げる。
それを遠くから見た晴翔が、小さく息を吐き出した。
もともと綾香は『学園のアイドル』と言われるほどに圧倒的な人気を誇っていた。
その人気は晴翔と付き合い始め、その関係を公にしても衰えることはなく、むしろ高まっているようにも感じられる。
恋人がいるにもかかわらず『好きです』と告白される綾香は、それだけの魅力を持っているということなのだろう。晴翔自身も、綾香と恋人となり、そして婚約者となった今、彼女の魅力を誇らしく思う気持ちもある。
しかし、彼氏として現状を傍観するわけにはいかない。
しっかりと『告白はやめろ』と意思表示する必要がある。
『では二年生の第一レースの始まりです!』
そのアナウンスで、熱狂に包まれていたグラウンドが一転して、静寂が広がる。
晴翔が第一走者のスタートラインに視線を向けると、咲がスターティングブロックの前で深呼吸をしていた。
それからスタート位置につく咲。
彼女は真剣な眼差しで前を見据えていた。
いよいよ始まるレースに、晴翔は心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、自分もスタート位置に付いた。
それから数秒間の静寂が続いた後、沈黙を切り裂くように号砲が響き渡った。
同時に勢いよく飛び出す咲。
第一走者は、四人中男子が一人で他は女子だ。
唯一の男子がトップに躍り出る。が、その後にピッタリと咲が付いている。
「速いな、男子とほぼ同じじゃん」
晴翔の呟きは実況によって掻き消される。
『D組の松村選手がトップ! しかしその後すぐにC組の藍沢選手が迫っている! D組とC組のトップ争いだー!』
元陸上部としての力を遺憾なく発揮する咲。しかし、さすがに男子を抜くまでには至らず、後半に少し離されて友哉へのバトンパスとなった。
『さぁ! 第二走へのバトンパスです! おぉっと!? バトンパスの間にC組が一気にトップに出たぞ! スムーズなスタートを切る赤城選手、いきなりスピードに乗って一位を独走だ!』
アンダーハンドパスの最大のメリットである初速の速さを活かし、友哉はトップに躍り出た。
D組の第二走者が女子だったこともあり、その差はどんどん開いていく。
『C組単独トップ! ダントツの速さを見せていますっ! そしてそのまま第三走者へ! 東條選手へバトンが渡ります!』
綾香が走り出した途端、声援と歓声が一際大きくなった。
『東條選手! 走る姿も可愛いっ! そして美しいっ! 魅力を振り撒いて走っているっ! 眼福ですっ!!』
実況している放送委員は男子で、走る綾香の姿に大興奮で実況をしている。
『凄い! 目が離せません! そして一歩踏み出すたびに揺れ…イタッ!?』
『えー公平性に欠ける実況だったため、実況担当を変更致します』
熱を帯びた実況が、突如女子生徒の声に変わった。
『トップは東條選手、しかしその後ろから他の選手の猛追です。差がどんどん詰まってきています』
冷静な実況の通り、懸命に走る綾香の後ろから他の選手が追い上げていた。
後ろを向きながら状況を確かめていた晴翔は、綾香が数メートル手前まで来たところで前を向く。そのすぐ後に「はいっ」という綾香の声が聞こえてきた。
同時に晴翔は走り出す。その左手に下からスッとバトンが差し込まれた。
自然な体勢でバトンを受け取った晴翔は、全力で加速していく。
晴翔の耳に、風を切る音と一緒に実況の声も聞こえてきた。
『C組、素晴らしいバトンパスで再びリードを広げました。大槻選手の独走です』
実況で後続との距離に余裕がある事を確認した晴翔は、力むことなく前だけを向いて走る。
そして、後ろから誰も来る気配を感じないままゴールラインを走り抜けた。
『C組が一位でゴール。予選突破です』
ゴール後に軽く流してから足を止めた晴翔は、『予選突破』というアナウンスに表情を緩める。
そこに、とても嬉しそうな笑顔の咲が走ってきた。
「やったー! さすが晴翔君! 安定のアンカーね!」
「ありがとう。咲もすごくいい走りだったよ」
「ありがと! まぁ、最後は少し失速しちゃったけどね」
咲は普段よりもハイテンションになっている。
トップバッターとしての重圧から解放され、その結果が予選突破ということで、彼女としては珍しく感情を全面に出して喜んでいる。
そんな彼女を晴翔は『珍しいな』と思いながら見ていると、友哉が合流してきた。
「しゃーっ! 予告通りぶっちぎりの一位だぜ! アンダーハンドパス太郎の実力を思い知ったか!」
拳を振り上げて雄叫びを上げる友哉。
咲は満面の笑みを浮かべると彼の元に駆け寄る。
「さすがパス太郎!」
「おうよ! ……って、ちょっ!?」
咲は駆け寄った勢いそのままにガバッと友哉に祝勝のハグをする。
「走り出しのタイミングとか完璧だったよ! 練習より上手くいったんじゃない?」
「え、あ、お、おう、そう、っすね」
「最初はどうなるかと思ったけど、アンダーハンドパスの練習をして正解だったわね!」
「で、ですね」
喜色満面のハグをする咲に、友哉は先程までの浮かれた様子から打って変わって、呆然とした表情を浮かべている。
と、そこに綾香も合流してきた。
「やったー! 予選突破だよー!」
「綾香〜! いい走りだったわよ!」
咲は友哉から離れると、今度は綾香とハグをする。
「ありがと! でも咲と友哉君が作ってくれた差を私が縮めちゃった」
「全然大丈夫よ! チーム戦なんだから!」
抱き合ってぴょんぴょん跳ねている女子二人。それを友哉は魂が抜けたようなボーッとした顔で見つめていた。
「大丈夫か友哉?」
晴翔が声をかけると、友哉は心ここに在らずといった様子で返事をする。
「あぁ、パス太郎は無敵だからな……」
「そうか」
「おうよ……なぁハル」
「なんだ?」
ゆっくりと晴翔の方を向く友哉。
彼は、これまたゆっくりと両手を広げると、おもむろに口を開く。
「ハグ、しようぜ」
「断る」
秒で拒否する晴翔に、友哉の表情に少し感情が戻る。
「親友のくせに、冷たいやつだぜ」
「全力疾走した後のむさ苦しい奴と密着したくない」
「……咲からはいい香りがしたぜ?」
まだ綾香と抱き合って喜んでいる咲を眺めながら、友哉は呟くように言う。
「そうか」
晴翔は短く返すと、咲と抱き合って笑っている綾香を見る。
「準決勝も頑張るぞ」
「だな。パス太郎に隙はないぜ」
友哉のその言葉に、晴翔はチラッと横目に彼を見る。
その姿は隙だらけのようにしか見えなかった。
お読みくださりありがとうございます。
最近更新が遅く申し訳ありません。
体育祭編は書くのが難しく……。
ここを乗り切れば更新速度は速くなる、はず。




