1750:リゾットのお味は。
もうすぐ、夕食の時間がやってくる。
俺は料理人の方たちとの仕込みを終えて、少し休憩に入っていた。調理場では作った品の良い匂いが漂っている。炊きたての白ご飯の匂いに、ポトフ、焼き魚に焼き鳥のタレの匂い、他にもいろいろだ。
サラダのドレッシングもたくさん用意して、いろいろな味を楽しめるようにしておいた。初めてバカンスとして島に訪れた頃より、食事の内容は随分と充実しているだろう。
これも亜人連合国の方たちのお陰だと、料理人たちと話していたところだ。もう少ししたら、仕上げをするために忙しくなるだろう。フィーネさまが納豆料理を楽しみにしているし、ナイさまも食べられないものが増えていく中でも、食べることを楽しみにしている。悪阻が酷くなる品がなければ良いけれどと願っていると、出入口の扉にジークフリードが立っていた。
「エーリヒ、忙しいか?」
「長話にならなければ大丈夫。どうしたんだ、ジークフリード」
俺が扉の近くまでいけば、ジークフリードがつまみだと言ってナッツを渡してくれた。どうやら調理場のみんなで食べろということらしい。俺は有難く受け取り首を傾げる。
「いや。いろいろと気を使って貰ってすまないと言いにきただけだ。ありがとう、エーリヒ」
ジークフリードはナイさまのことを伝えたかったようである。ナイさまからも丁寧なお礼は頂いているのだから、気を使わなくて良いのに。勝手に俺の両肩が上がってから言葉を紡ぐ。
「気にしなくて良いよ。俺が好きでやってることだし。こうして料理を作るのは息抜きになっているんだ」
本当に料理は息抜きに丁度良いし、みんなが美味しいと食べてくれるのだから有難いことである。評価の厳しい方からは、きちんと駄目なところを教えてくれるから勉強にもなっていた。料理人から小技を教えて貰うのも楽しいのだ。俺の言葉にそうかとジークフリードが笑えば、窓から小型の竜が二頭顔を覗かせた。開いた窓に器用に首を突っ込んだ彼らは、凄くご機嫌な様子だ。
『良い匂い! エーリヒ、なにかちょーだい!』
『お腹空いたー!』
きょろきょろと二頭の小型の竜が調理場を見渡している。他の調理人のみんなはぎょっとして身構えているけれど、彼らが俺たちを襲うことはない。とはいえ慣れていない人にとっては、小さい竜といえど恐れてしまうのだろう。俺とジークフリードは調理人のみんなが少しでも恐怖が紛れるようにと、小型の竜が顔を覗かせている窓へと近づいた。
「ポチとタマか」
ジークフリードが彼らにそっと手を伸ばせば『そうだよー!』『正解ー!』と呑気に答えてくれる。俺は竜の方の見た目で判断が付けられないというのに、ジークフリードはどうして分かったのだろう。そういえば、霧隠れの亡国を一緒に目指した小型の竜はどこにいるのだろうか。いつかまた会えると良いけれど、本当にいつになることか。俺はお腹が空いたというポチとタマの顔を撫でる。
「果物で良い?」
『果物ー!』
『やったー!』
元気に返事をくれたポチとタマは島の果物は飽きたから、島にないものが良いそうだ。ナイさまがたくさん食料を持ってきてくれているし、使いきれないものもあったので丁度良い。
ナイさま曰く、ロゼさんに預けていれば腐らないけれど、ずっと眠らせているのは食物に対して失礼だからなるべく消費して欲しいとお願いされていた。林檎や葡萄を手に取って、彼らの前に差し出せばご機嫌で口に運んでいる。しゃくしゃくと彼らが立てる咀嚼音は不思議と心地良かった。ジークフリードは『良かったな』とポチとタマを見ながら目を細めている。
「エーリヒ。妊婦が食べやすいものとかあるのか? 知っていたら教えてくれ」
「個人差があるからなあ。まあ、ナイさまが唐突にあれ食べたいって言ってたら叶えてあげて」
ジークフリードは俺の方が詳しいだろうからと、聞いてみたかったそうである。タイミングがなかなか合わなくて、今日になったらしいけれど。
「まだ酷くなることも?」
微妙な顔で俺に問いかけているから、ジークフリードはナイさまのことが気になって仕方ないようだ。本当に仲が良い。だというのに直接聞くことをジークフリードは躊躇っているようだ。
照れているのか、聞き辛いのか分からないけれど、ジークフリードの可愛い一面なのだろう。いや、男相手に邪な気持ちなんて一切湧かないのだが、いつも騎士として凛としている彼が少し不安そうに問いかけてくるのだ。少しでもジークフリードの悩みが消えれば良いと願うのは友人として当然のことである。俺は前世で知っていた知識を総動員させて言葉にする。
「うん。一日中吐き気が続いたり、倦怠感があったりとか、眠気が酷いとかは聞いたことあるかな。あと香水の匂いとかも駄目になることもあるらしい」
話を聞いたジークフリードがそんなにと少し引いていた。教会騎士としてナイさまと一緒に妊婦さんを見たことがあるだろうけれど、身近なものではないだろうし、驚くのは仕方ないのだろう。ジークフリードが不安そうな顔になっていると、ポチとタマが出した林檎と葡萄を食べ終えて首を傾げている。
『なんの話ー?』
『大事なことー?』
こてんこてんと首を傾げるポチとタマに、子供ができたんだよと伝えると『めでたいねえ』『嬉しいねえ』と声に出す。そして聖女さまのこと? と俺たちに問うた。
そうだよと答えると、聖女さまのお腹の子が元気に生まれると良いねと願ってくれる。ポチとタマももう少し時間が経てば卵が生まれてくるそうである。またナイさまが卵を預かることになるのだろうか。流石に妊娠中は避けて欲しいようなと俺とジークフリードが苦笑いを浮かべれば、ポチとタマが真面目な雰囲気を纏った。
『雄は雌を大事にしなきゃ駄目だよー』
『情けない雄は嫌いー』
彼らには俺たちがフィーネさまとナイさまを大事にしていないように見えているのだろうか。遠巻きにこちらを見ている料理人のみんなが苦笑いを浮かべていた。ジークフリードも微妙な表情で分かり辛いのか……と首を傾げている。ジークフリードもナイさまも誰かがいるところで、夫婦らしい行動を取ることはないからポチとタマにはそう見えたのかもしれない。
「嫌われないように頑張るよ」
『うん~雌に逃げられたらカッコ悪いよ~?』
『雌が逃げるなんてよっぽどだよ~?』
ポチとタマが尻尾をぶんぶんと振っていた。そういえば番であるかれらは一生を添い遂げるはず。だから相手に逃げられたなら本当にヤバい事態なのだろう。
人間はポチとタマたち竜のような番ではないけれど、添い遂げた相手とは墓まで一緒にいたいのだから。アルバトロス王国の風習的に一緒の墓に入ることはないけれど、フィーネさまとは歳を取ってもお互いに好きだと言いたいものである。
「そうだな、逃げられないようにしないとな」
『そうだよ~雌は大事にね~』
『卵を産めるのは雌だけだもん~』
ジークフリードが片眉を上げながら苦笑いを浮かべ、ポチとタマはドヤ顔になっている。
『また果物、頂戴ね~!』
『ばいばい~!』
ポチとタマは果物を食べて満足したのか、窓からすっと顔を引いて森の中へと消えて行く。騒がしいなと俺とジークは肩を竦めて別れるのだった。
◇
――島、十三日目。夜。
最終日前夜はダークエルフさんたちの村に集まって、宴会を開いていた。アストライアー侯爵家とフソウとアガレスの料理人さんたちが仲良くなっているようで、各国とコラボレーションした料理がちょいちょい見えている。
納豆リゾットが一番分かりやすいかもしれない。フソウの納豆とアルバトロス王国のリゾットの組み合わせである。侯爵家とフソウの料理人さんが作ったのかと思いきや、エーリヒさま発案らしい。私が食べやすそうなもので、フィーネさまも喜んでくれる品と考えていたら浮かんだそうである。私の隣で納豆料理が食べられると、フィーネさまの顔が緩んでいた。
宴会が始まってすぐ、フィーネさまは私を伴って納豆リゾットの前に立っている。
「ナイさま、頂きましょう!」
「はい。凄く良い匂いがしますね」
フィーネさまが私の分もよそってくれた。熱そうだから気を付けてとも声を掛けてくれる。納豆の匂いはほとんどせず、チーズとコンソメの良い匂いが鼻をくすぐっている。
これはお腹が空く匂いだ。白ご飯にも少し拒絶反応が出ていたけれど、煮てしまえばご飯は平気なようだ。これは良い発見をしたなと私は取り分けてくれたお皿についているスプーンで一口分を掬う。隣ではフィーネさまが既に一口食べて幸せそうな顔をしていた。
「熱いですね……」
「え?」
私の声にフィーネさまがきょとんとしている。私は猫舌だから取り分けて貰ったリゾットは熱くて直ぐに口にできない。
「猫舌にとっては熱いんです」
私は少し冷めたリゾットを口に運んだ。うん、熱いけれど食べられる温度になっている。納豆の味はほとんど感じられない。チーズとコンソメの味が強い気がした。なににせよ、美味しいのでもう一口食べようとスプーンでリゾットを掬えば、フィーネさまが悪戯を試みる子供のような顔で私を見ている。
「ふーふーしましょうか?」
「大丈夫です。リンも食べてみて。美味しいよ」
揶揄うフィーネさまを無視して、私は後ろへ振り返る。いつものようにリンが側にいてくれて『良いの?』と言いたげな顔になっていた。
「宴会だからね。今は護衛の仕事中でもないし、無礼講、無礼講」
私はリンの分を取り分けようとすれば、そっちを頂戴と彼女が指を指す。それは既に私が持っているリゾットの入ったお皿だった。なんとなくリンの言いたいことを察知して、スプーンでリゾットを掬う。
はいとリンの前にスプーンを差し出せば、リンが後れ毛を手で抑えながら器用に口に入れている。どうやらリンも気に入ってくれたようだ。納豆が入っていることが信じられないらしい。フィーネさまが驚くリンを見て胸を張っていれば、アンファンを引き連れたユーリが皆さまに挨拶をしている姿が視界に入る。二人の後ろにはジークとクレイグとサフィールが控えていた。
私がみんなにお礼を言おうねとお昼に伝えたことを、ユーリは律儀に守っているらしい。今はグイーさまとボルドー男爵さまとアリーさまとナガノブさまとヒトミチさまが揃っているところへ、ユーリは突撃していた。大丈夫かなとアンファンとジークとサフィールは心配そうな顔になっている。ユーリがぎこちないカーテシーをしながら、皆さまになにか伝えている。
「ユーリちゃん、もっと喋れるようになれると良いですね」
横にいるフィーネさまがユーリたちを見ながら目を細めていた。
「そうですね。滞在中はユーリをたくさん構って頂いてありがとうございます」
皆さまには滞在中、ユーリにたくさん語り掛けて貰っている。効果があるかはまだ未知数だけれど、気持ちだけでも有難かった。戻ったら、子供の発語についていろいろ調べてみると仰ってくれた方までいる。私もいろいろと調べて、後に続く人たちの役に立てば良いけれどと考えている。
「いえいえ。ユーリちゃんは可愛いですし、お世話し甲斐があるというか」
たしかに我が儘は言わないし、手の掛からない子というか。もっと大きくなってから反抗期がくるのかもしれない。その時はその時だなと、私とフィーネさまはシェクトさまに挨拶に行こうとするユーリに驚くのだった。




