1748:心配中。
ユーリの発語が遅いことを皆さまに報告すれば、気付かなくて申し訳ないと頭を下げられてしまった。
大人の言葉は理解しているようだから、もう少し様子を見てみようという意見が多い。私は皆さまにお礼を告げ大談話室を出て、ユーリの下へと戻る。そこには毛玉ちゃんたち三頭が森から戻ってきていて、ユーリと戯れていた。
『おちょい!』
『はにゃく!』
『ゆーり!』
毛玉ちゃんたち三頭をユーリは必死に追いかけている。毛玉ちゃんたちは加減を多少学んでくれたようだが、完璧に相手に合わせることは苦手のようだ。ユーリは必死に足を動かして、毛玉ちゃんたちに追い付こうとしている。
「まっちぇ!」
改めると、舌足らずなところが酷いなあと私は目を細める。ウッドデッキの椅子に腰かけて、深い溜息を吐いた。もっと早く気付いていれば、ユーリの発語がマシになっていたかもしれない。悩んでいても仕方ないことは分かっているけれど、悩まずにはいられないというか。はあ、とまた溜息が出ればクロが『大丈夫?』と私を気遣ってくれる。
「うん。悩んでも仕方ないし、受け止めないとね」
『あまり思い詰めちゃ駄目だよ、ナイ』
クロは私の膝の上で伺うように見上げていた。
「分かってる。ありがとう、クロ」
私はクロの顎の下を撫でていれば、時間が過ぎて夕食を摂るために大食堂に向かっていた。考え事をしているといつの間にか時間が過ぎていたようだ。
私の後ろには心配そうにしているそっくり兄妹がいて、席にはヴァルトルーデさまとジルケさま、フィーネさまとアリアさまとロザリンデさまに、アリサさまとウルスラさまが苦笑いを浮かべている。ユーリはご飯だとご機嫌に子供用の椅子に座って、給仕の方から届くのを大人しく待っていた。アンファンはユーリの後ろに控えて、侍女然とした姿で立っていた。
「揃っていないですが、先に頂きましょうか」
アリーさまは汗を流してから大食堂へくると連絡を受けている。ウーノさまたちアガレス組も少し遅れてくると連絡があった。
神さま組と男性陣はお酒を楽しむそうである。そういうことなので、私は揃っている面子だけで先に食べようと音頭を取った。楽しい食事の始まりだと、頂きますと声を上げればみんなが各々手を進めていく。ユーリも一人で食べられるし、子供というのに綺麗なナイフとフォークの扱いだ。
「ユーリ、美味しい?」
「おいちいでしゅ」
満面の笑みを浮かべてユーリが食事を進めている。
「そっか。ゆっくり食べようね」
私の言葉にゆっくりと頷いたユーリは食事をペロリと平らげるのだった。
◇
――不味いのでは?
ナイさまが今までの半分くらいしか食べていない。といっても成人女性の五割り増しの量は確実に胃に納めているけれど……今までだと、十割増し、つまり倍量は食べていたのだ。ナイさまは妊婦のため食べ過ぎは良くないが、普段より食べる量が少なくなるのは不味いはず。夕食を終えた自由時間。私は少し心配になって、アルバトロス王国と聖王国組の女性陣に声を掛け集って貰った。
「大丈夫でしょうか、フィーネさん」
アリアさんが眉尻を下げて私を見ている。
「大丈夫ではない気がします、アリアさん」
私も眉間に皺を寄せながら、アリアさんを見た。私たちの声にロザリンデさまが片手を頬に当て悩ましそうに言葉を告げる。
「ユーリさんと接する機会があまりなく、わたくしたちも気付くことが遅れてしまいましたもの。ナイさまの心境は如何ばかりか……」
毎日一緒に過ごしてきたナイさまたちも見過ごしていたのだ。ナイさまは今頃自責の念に駆られているのかもしれない。ただ、ユーリちゃんの発語以外は順調なはずである。
身長は四、五歳児の子たちと一緒だし、毛玉ちゃんたちと走り回っているため足取りは随分としっかりしたものだ。ご飯も好き嫌いなく食べているし、フォークとナイフの使い方も、少し不器用であるものの様になっている。うーんと私が首を捻ると、今度はアリサとウルスラが溜息を吐いた。
「ナイさまはユーリちゃんを可愛がっておられますものね」
「なにか私たちにもできることはないのでしょうか?」
ここでみんなで悩んでいるよりも、南の島での滞在を終えたあと、子供の発語について調べてみるのが一番だろう。育児の経験はないから、これからの私たちにも必要な知識を覚える良い機会になるはずだ。エーリヒさまにもお願いしてみよう。他にもアリサとウルスラにお願いして、聖王国でも子供についての文献がないか調べて貰えるはず。
最悪の事態に陥れば、神さま方に助力をお願いすることができる。
ただナイさまは自力でどうにかすることを選びそうだと口にすれば、大談話室のみんなは『ああ』と声を上げるのだった。
◇
――夜風が気持ち良い。
ダークエルフの村にある広場のステージで我々、呑み助組は酒を嗜んでいた。創星神であらせられる二柱さまは、ステージの上で我関せずで酒の酌み交わしている。近くでは北と東の女神さまが夜空を見上げながら星々を指差していた。
酒を注ぎ合った私たちは杯を持ち、ふうと息を吐く。昼間に報告を受けたナイの妹であるユーリのことを皆、話題にしたいようだった。我が国である、ヤーバンは身体が順調に成長していれば、多少荒くれていても、喋らずとも気にはしない。ただ、国が違えば考え方が違うことも知っている。
苦虫を噛み潰したような表情で、我らに告げたナイの気持ちは如何ばかりか。
杯の酒の水面に映った自身の顔を見た私は、どうかユーリが無事に成長するようにと双子星に杯を掲げる。それが切っ掛けだったのか、ナガノブ殿とヒトミチ殿も双子星に杯を掲げた。
「うむ。悩ましいことだなあ……ただ、あり得ないことではない。フソウでも喋れぬ子供は多々いるから、少し心配し過ぎではないかと言いたくはなるな」
「そうだな、ナガノブ。幼い子であれば、そういうこともあろう。ただ侯爵の気持ちも理解できる。我が子の成長が周りと違うと気付けば慌てもしよう」
声を上げた二人に私は杯の酒を飲み干した。
「私の子はまだ幼く、先がどうなるのか分からないが……ヤーバンは喋れずとも強ければ一人前として認められる」
ある時期になれば、我が子も一人だけ森に放置されて、生き延びることを迫られるだろう。そして生き残れば一人前と認められて、ヤーバンの戦士見習いとなる。そこから厳しい訓練を経て一人前のヤーバンの戦士となるのだ。
虚弱な者など必要ないから、生き残れなければ容赦なく切り捨てられた。だが、ナイの妹はアルバトロス王国の民である。ヤーバンではない。強ければ良いと願う心が私のどこかにはあるが、口に出してはならぬものだと我慢していればボルドー男爵も双子星に杯を掲げる。
「アルバトロス王国では、成人して一通りの会話ができなければ異端とみなされるでしょうなあ」
アルバトロス王国は成人して、まともな振る舞いができなければ社交界から弾かれてしまうそうである。アストライアー侯爵家は力を持っているため、ユーリがまともに喋れずとも誰もなにも言わないだろう。とはいえ、苦労するのはユーリ自身となる。だからこそナイも思い詰めた表情になっているのだから。
「なにか、私にもできることがあれば良いのだが……」
空になった杯の中を覗き込む。今の私はどの様な顔になっているのだろうか。すると、ボルドー男爵が肩を竦めて酒を注ぎ直してくれた。ナイはユーリにたくさん語り掛けて欲しいと願っていたが、本当にそれで大丈夫なのであろうか。私は戦うことしか知らない身だ。拳一つでなにもかもを切り拓いてきた。
「楽観はできぬでしょうが、皆、動いてくださるようですからな。ナイは良い方たちに恵まれました」
ボルドー男爵が杯の酒を飲み干した。今度は私が彼の空になった杯を満たす。
「しかし、スルメとフソウ酒は特に合いますなあ。ヒトミチ殿、ナガノブ殿」
たしかに噛めば噛むほど味がでてきて、スルメというヒモノはフソウ酒にあう。他の酒でも良いのだが、相性が良いのはやはりフソウ酒だろう。
「おお、お分かりになられるか、ボルドー男爵!」
ヒトミチ殿が歯を見せながら笑い、もっと飲もうと酒を勧める。ボルドー男爵はまた杯を空にすれば、ヒトミチ殿が酒瓶から注ぎ込んだ。私も双子星をまた見上げる。
「双子星の灯りが酒に映り込むのも乙なものだ」
無色透明なフソウ酒に映り込む双子星が妙に雅に見えてしまうのだ。飲めて、酔えれば良いとずっと考えていた酒が、こうして感慨に耽ることを覚えようとは意外である。
すると今度はナガノブ殿がにっと笑い、私にもっと飲めと勧めてきた。周りの者から生まれた赤子のためにあまり飲むなと言われているが飲まずにはいられない。我が子には乳母がいる。平民の子のようなことにはなりはしないと杯を空にした。
「ヤーバン王も、フソウのわびさびがお分かりになられるか!」
はははと豪快に笑うナガノブ殿も酒を一気に飲み干す。本当に酒に強い者が揃っていると肩を竦めれば、二柱の創星神さまが話は終わったかと私たちの所へとやってきた。どかりと木の板の上に腰を下ろされた二柱の創星神さまに、私は新しい杯を二つ手に取り差し出した。
「飲みましょう」
杯を二柱の創星神さまが手に持てば、ヒトミチ殿とナガノブ殿が『失礼して』と声を上げながら杯を満たした。零れないようにと二柱の創星神さまは杯を持ち上げ、にっと笑みを作られる。
「皆、幼子に気を揉んでいるようだなあ」
「そうね。昼から大騒ぎ」
二柱の創星神さまは、西の女神さまと南の女神さまが気を揉んでいることが少し面白いらしい。今まで見られなかったものなので興味深いことだとか。他の皆もどうしようかと悩んでいて、右往左往している姿は見ていて飽きないそうである。そう捉えるからこそ、こうして創星神さまは地上へ降りられているのかもしれない。
「なに。ナイであれば幼子になにがあっても守り切る」
「不幸にすることはないでしょうね」
自信満々に二柱さまが杯を差し出す。そうして我々も杯を差し出して『乾杯』と声を上げた。静かに夜が更けていくのだった。




