1743:潮を流そう。
――南の島、五日目。食欲は普通にあるけれど、匂いが駄目なものが出てきているようだ。
カレーの匂いにあてられた私だが、他にも駄目なものがちょいちょい出てきている。少し前、お酒を飲んでいるグイーさまに出くわして、アルコールの匂いで凄く気持ち悪くなってしまった。
グイーさまはすまないと謝ってくれたのだが、普段であれば平気だったものがこうも変化するとは驚きである。テラさまとヴァルトルーデさまとジルケさまとナターリエさまとエーリカさまに、お酒を控えるか、私に会うなら距離を取れと言われていたグイーさまには申しわけない限りである。しかし、エーリヒさまが作ってくれたカレーを食べられないのは悔しい限りだ。白ご飯の匂いもちょっと駄目になっているし、刺激の強いものは赤子によろしくない。
コテージにあるウッドデッキに出した椅子に腰を掛けた私は、外で遊んでいるユーリを見ていた。他の皆さまは海で泳いだり、探検に行ってみたり、談話室でお喋りしていたりと、いろいろだ。側にはリンとヴァルトルーデさまとジルケさまに、シェクトさまとヴォイドさまとプライムさまがいて、こちらをじっと見ていた。
「凄く渋い顔」
「無理して食べて吐いたら元も子もねえからなあ。悪阻がマシになるまで我慢しろよ~」
ヴァルトルーデさまとジルケさまも椅子に座って苦笑いを浮かべていた。シェクトさまは床でぽよんぽよんと揺れている。ヴォイドさまとプライムさまはそんな創星神さまの後ろに控えていた。リンは私とユーリを交互に見ながら、隣にいてくれている。彼女は私に対して過保護だけれど、より気にしてくれているというか。凄く世話を焼いてくれていた。
「カレー食べたかったです。でも、出産祝いでたくさん作ってくださるそうなので……我慢できます」
エーリヒさまが作ってくれたチキンバターカレーを食べたかったけれど、刺激物は赤子によろしくない。多少であれば食べても良いのかもしれないが、匂いが駄目だから無駄にしてしまいそうだった。そういえば授乳期間も刺激が強いものをあまり食べない方が良かったはず。お酒もアルコールが入っているから同様で、煙草――吸わないけれど――もよろしくない。
結構、制限を受けるなと私は肩を竦めれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまが『ナイが食べること、我慢できるんだ』『なんだ、明日、槍でも降るんじゃねえか?』と失礼極まりないことを言っている。二柱さまはいつもこの調子だから構わないというか、じゃれ合いみたいなものだろう。私が肩を竦めながらお腹を擦れば、シェクトさまのスライムボディーの輝きが増した。
『ナイ、大丈夫か?』
「平気とは言えませんが、妊娠中なので仕方ないですね。他の方も同じような症状が出るので、普通のことですから」
シェクトさまは妊娠を理解してくださっているのだろうか。知的生命体はいないと聞いているので、命を紡ぐ方法は植物の種とかで増えるのだろうし。いや、でも他の星ならば、クローンを生み出して個体を増やすとかもあり得そうだ。怖くて聞けないけれど……私に似たなにかが増えそうだから。シェクトさまの光が収まって、ぽよんと身体が揺れた。
『自分の中に別の者を抱えている。不思議』
私も不思議な感覚だ。ジークの子を身籠ったことにまだ実感は湧かないというか。もう少しお腹が出てくれば、妊娠を意識することができるかもしれない。
「神さま方は力を使って、創造なされていますものね」
『ん』
グイーさまとテラさま曰く、機能をオンにすれば赤子を誕生させることができるそうだ。創星神同士の赤子となるから、どこかで別の星も誕生するらしい。ただ、上司の神さまから誕生した創星神ではないので、力が弱くなるだろうとのこと。それ故に二柱さまのお子を作る気はないそうである。よく分からない感覚であるが、そういうことだそうだ。
代わりに二柱さまの力を使って誕生させたヴァルトルーデさまたちがいるから構わないと。テラさまの星に子がいないのは寂しくないのかと問えば、気にしたことがなかったという呆気にとられる答えが戻ってきた。大陸はご自身で創造したし、他の神さまがいるし、日本で楽しんでいるから寂しいとはあまり感じないと。
『早く我の星に知的生命体が誕生すれば良いが』
「いつかきっと、そうなります」
私が笑うと、シェクトさまがべしょっと潰れた。何事かと慌てていると、ヴォイドさまとプライムさまが『父上は嬉しかったようです』『自身の星に興味を持ってくれる方は今までいなかったそうなので』と教えてくれた。いや、他の創星神さまも、というかグイーさまとテラさまは気に掛けてくれていたから、私と出会うことになっただろうし、大袈裟ではと首を傾げる。
『気にしてくれていたが、それだけ』
「私もシェクトさまとお話しているだけですよ」
買い被り過ぎだと肩を竦めれば、シェクトさまが元の形に戻っていた。
『島、見てくる』
「はい。いってらっしゃい。気を付けてくださいね」
『ん』
シェクトさまがスライムボディーをどえらく縦に伸ばす。ウッドデッキから降りたからかなと私が首を傾げると、ヴォイドさまとプライムさまが小さく頭を下げていた。
「では母上」
「またあとで」
「ヴォイドとプライムも気を付けてね。シェクトさまは大丈夫だろうけれど、守ってあげて」
私は言ってらっしゃいと手を振りながら彼らを見送る。創星神さまを守ってあげて欲しいというお願いは、凄くおこがましいことであるが、まあ、社交辞令というか。スライムボディーのシェクトさまが崖から落っこちてしまえば大変なことになりそうだし。シェクトさまがどこかに行こうとしているのを、ユーリが気付いて『シェクトしゃま、どこいくの?』と声を掛けている。
ユーリはたった一日でシェクトさまと打ち解けたようだ。いつの間にと驚くものの、ユーリが人見知りしないことに私は嬉しさが込み上げてくる。アンファンは緊張して固まっているけれど、気絶したりしないから慣れればシェクトさまと会話できるのではなかろうか。
『島、見てくる』
「いってらっちゃい!」
ユーリはへらりと笑って、ばいばいと手を振っていた。そうしてシェクトさまたちは森の中へと消えていく。するとヴァルトルーデさまとジルケさまが息を吐いた。
「ナイ。あの創星神と普通に喋っているのは凄いこと」
「圧が凄えからな。あたしらでも構えるのに。というかユーリも平気なのか……」
ヴァルトルーデさまとジルケさまがまた遊び始めたユーリを見ている。アンファンは胸に手を当てて、大きく息を吐いていた。しかしヴァルトルーデさまとジルケさまがシェクトさまに対して身構えなければいけないというのは、どういうことだろうか。たしかに力の差ははっきりと感じられるけれど、敵意はないので構える必要はないというのに。
「ユーリはシェクトさまが創星神さまだと分かっていないだけかもしれません。ロゼさんに似ていますから」
ユーリはまだシェクトさまがどんなに凄い方か理解していないからこその態度ではないだろうか。ヴァルトルーデさまにユーリは以前、頬ぱっちんをしていたけれど、最近はヴァルトルーデさまがどんな方か分かってきたようで、きちんとお辞儀をしたりしている。
敬語はまだ扱えなくて、普通に喋ることもあるけれど。ヴァルトルーデさまとジルケさまは私の言葉を疑っていた。いや、ユーリはそのうちシェクトさまに対しても、きちんと敬意を払ってくれるはずである。
「ナイの妹だから……」
「どう育つか分かんねえよなあ」
「ユーリはきちんと育ちますよ!」
どういうことですかと私が突っ込めば、ヴァルトルーデさまとジルケさまも席を立ちあがる。そうして他の方たちの様子を見てくると言って、ウッドデッキから立ち去って行った。
「ユーリは乳母さんとアンファンがきちんと育ててくれているから大丈夫なのに」
「ナイは入らないの?」
リンが私の側に寄ってきて、私の手を握った。どうやら身体が冷えていないか確かめたかったらしい。夏だし、早々冷えることはないのにと私は苦笑いを浮かべる。
「私はユーリと遊んでいるだけだから。教育面はあまり関わっていないよ」
貴族関連は間違ったことを教えてしまいそうだから、ソフィーアさまとセレスティアさまかセシリアさまかアルティアさまに任せる腹積もりでいる。打診をしていないから、受けてくれるか分からないものの、引き受けてくれたならばこれ以上頼もしい方はいないのではないだろうか。駄目であれば、信用できる他家――極少ないけれど――から誰かを派遣して貰うしかないだろう。こういう時のアストライアー侯爵家は世代の浅さがいなめない。
「騎士を目指すなら、ユーリはリンとジークにお願いできるね」
「………………」
「リン?」
渋い顔をしたリンを私は見上げた。
「ユーリに剣を向ける……? できる……できない……」
「リン~戻ってきて~」
眉間に皺を寄せるリンが私の声にはっとした。
「まあ、ユーリがどんな道を選ぶかは本人次第だからね」
すると、遊びに出ていたクロとアズとネルに毛玉ちゃんたちと権太くんと狐の仔二頭が戻ってきた。なにをしていたのかは知らないけれど、随分と楽しそうである。
「なにをしていたの、クロ?」
『アリアたちとね、遊んでいたんだよ~毛玉ちゃんたち、海で泳いでた』
クロが私の肩の上には乗らずに、ネルとリンの肩の上に乗った。どうやらクロまで気を使ってくれているようだと苦笑いになる。アリアさまたちは浜辺で泳ぎに挑戦していたそうだ。フィーネさまがメインになって教えていたようで、ウーノさまたちも一緒だったらしい。一人に任せてしまって申しわけなさを覚えるものの、私が行けばみんなが気を使ってしまう。
「楽しんだなら、なによりだよ。けど、毛玉ちゃんたちはお風呂入ろうね。潮でカピカピになるよ」
私が笑うと、毛玉ちゃんたちがびくっと身体を揺らす。お風呂という言葉に反応したようだ。毛玉ちゃんたちはお風呂に入る機会はあまりなく、どうにも苦手意識を持っている。小さいときから入れて慣れさせるべきだったと私は椅子から立ち上がった。
「ほら、行こう」
『いや!』
『あわあわ、だめ!』
『きゃお、みじゅ、かかる!!』
楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんが抗議の声を上げるものの、松風と早風は平然としている。フソウで頻繁にお風呂へ入れてくれていたのだろうか。
『マツカゼとハヤカゼは平気みたいだねえ』
クロの声に松風と早風がどやと顔を上げていた。可愛いと私が彼ら二頭の頭を撫でると、毛玉ちゃんたち三頭が私たちも撫でろと要求してくる。お風呂に入ったらねと告げれば、微妙な反応が返ってきた。
「権太くんも行こうか。泳いでいたなら、海水落とさないと気持ち悪くなるからね」
権太くんも濡れているから、海で遊んでいたようだ。声を掛ければ権太くんは尻尾ピンと伸ばした。
「お、お、女子と一緒に入れるわけないやろ!!」
「うん。だから着衣か、元の姿で。私は服を着たままで、みんなを洗う役だし」
顔を真っ赤にしていた権太くんがむっと口を閉じる。どうやら裸の付き合いを考えていたようだが、流石に恥ずかしい。ほら、行こうと私は声を上げて、ユーリのことはアンファンにお願いするのだった。




