1742:知れ渡る。
改めて伝えるって、恥ずかしい。
とはいえ、皆さま私の妊娠を祝福してくれているので有難かった。ウーノさまは凄く喜んでくれているし、アリーさまもめでたいと何度も口にしている。エーリヒさまもフィーネさまもだし、アリアさまとロザリンデさまに、アリサさまとウルスラさま、クレイグにサフィール、エッダさんに護衛の方たち。
果てはアガレスやヤーバンの護衛の方たちまで喜んでくれていた。自分のお腹の中に新たな生命が宿っている実感は湧かないが、時間が経てばお腹が大きくなるし、母親というものを体感できるのだろう。
親というものを知らないから、上手く子育てできるか少し不安はある。とはいえ、一人で赤子を育てなければならないという状況ではない。こういう時のお貴族さまは凄く楽だと、女性用のコテージにある談話室で皆さまに囲まれている。
「無理はしてないですよね?」
フィーネさまが私に顔をぐっと近づけた。となりにはアリアさまがいて私のお腹を見つめている。そんな彼女をロザリンデさまが苦笑いを浮かべながら見つめていた。アリアさまとウルスラさまは『フィーネお姉さまはまだなのか』と言いたげにしている。男性陣は女性用のコテージにいるということで、肩身の狭い思いをしていそうだった。
「カレーの匂いが駄目だっただけなので、今のところ他はなにもないですね」
匂いにあてられただけだから、特に問題はない。ただ妊娠を自覚したからには、激しい運動やたくさん食べることを控えなければならないだろうか。
妊娠で凄く体重が増えたという話も聞くし、太り過ぎると胎児に影響があるとも聞いている。食べ過ぎないように我慢できるかなと、首を傾げていれば、エーリヒさまが『カレーは作らない方が良いかな』と困り顔になっている。私はそれは駄目だとエーリヒさまへと急いで目を合わせた。
「匂いが駄目というだけなので、食べられるはずです……!」
エーリヒさまは私の声にぎょっとしている。なにか言いたそうだが、彼は黙ったままだ。代わりにフィーネさまが更に私へと顔を近付ける。
「いや、ナイさま? 香辛料とか刺激の強いものは控えてくださいね!」
どうやら香辛料を多く使った料理は控えた方が良いらしい。生焼けのものや、塩分が多いもの、当然、お酒は飲まない方が良いと。フィーネさまが続けて口にした。
エーリヒさまは話があるからと調理場を離れて、こちらにきてくれている。カレーの仕込みは料理人さんたちにお願いしているそうだ。食べられないのは残念だ。でも作って貰った品をリバースするのは失礼だなと肩を落とす。
「ナイさま、出産祝いで作って頂きませんか。ね?」
アリアさまが私の背を擦ってくれて、仕方ないなあと言いたげだった。エーリヒさまはうんうんと頷いてくれているから、出産祝いでカレーを作ってくれるのは決定事項となりそうである。私が辛いものが駄目だからと、辛さ控えめのカレーを作ってくれていたというのに申しわけない限りだ。
「ベナンター伯爵、誠に申しわけありません……」
私が頭を下げると、皆さまが何故爵位呼びと首を傾げている。私的なことではあるものの、アリーさまとウーノさまもいらっしゃるのだ。公的な発言として残しておけば、エーリヒさまが責められることもないだろう。少しだけ、公的なものにしておけば、エーリヒさまが作らざるを得ない状況になっていると期待しているけれど。
「い、いえ。そう、落ち込まずに。また作りますよ、俺」
材料さえあれば、エーリヒさま的に問題ないとのことである。今回、楽しみにしていたけれど、カレーは諦めた方が良さそうだ。
「手間も掛かるのに、本当にありがとうございます。私では作れないですから……」
本当に自分で作れたなら、好きな時、食べたい時に時間を掛けて料理するというのに。どうにも侯爵位ともなると、調理場に立つことを煙たがられる。怪我をすれば女性の価値が下がるという考えも根強い部分があるから致し方ないのだろうけれど。こういうところのお貴族さまは大変だよなあと私は眉間に皺を寄せた。
「アストライアー侯爵家の料理人の方はカレーの作り方を見ておられますから。きっと覚えてくださいますよ」
エーリヒさまが私を慰めるように声を掛けてくれた。お願いすれば料理人の方たちは作ってくれるのだろう。でも、慣れない料理を作って貰うのは気が引けるというか。
先に試作品が大量に作られるので、私はそちらも味見をしたい。けれど食べられないというジレンマに襲われる。試作品をご当主さまに食べて貰うなんてと凄く拒否をされるのだ。本当にお貴族さまは難儀だと、眉間の皺を解いた。
「ナイさま。島の滞在は続けられるのでしょうか? もし我々のことをお気になさっているのであれば、ナイさまの体調を優先させてくださいませ」
「そうだな。招待客だからと我らに遠慮することなどなかろう。体調が悪くなれば屋敷に戻り、静養することも視野に入れておけ」
ウーノさまとアリーさまが声を上げた。匂いがヤバいというだけで、体調は今のところ問題ない。急に崩すようなことはあっただろうかと私は首を捻りながら、もし辛くなったら先に戻ることも考えさせて頂きますと告げる。
すると皆さまがうんうんと頷いた。海で泳いだり森の中を探索したりしたかったけれど、今回はユーリを見守りつつ、ゆっくり過ごすことにしますと私が告げれば、コテージに集まった皆さまは解散していくのだった。
◇
女子用に建てられたコテージを私はアガレスのウーノたちと共に出て行く。ナイが妊娠したことを、まさか直に聞くことになろうとは。そして島に訪れ、皆がいる場で妊娠を告げなければならなくなったナイの運の良さには笑うしかない。とはいえ喜ばしいことである。最近、私の子が誕生しているが……――
「――もう一人こさえても問題ないな。うむ。戻ったらさっそく致すとしよう」
自身の口元が緩んでいることがはっきりと分かった。すると隣を歩いていたアガレス帝国のウーノが足を止めた。彼女の妹四人はどうしたと不思議そうな表情になっている。
「アレクサンドラ陛下。声に出さずとも宜しいのでは?」
むっとしているウーノに私は更に口元を伸ばした。彼女であれば揶揄っても問題あるまい。
「おや、聞こえていたか。これは失礼をした。しかし貴殿も考えておられるのでは?」
右肩だけを少し上げると、彼女は右眉を微かに上げた。
「当然でございましょう。ナイさまの慶事に立ち会えたことは、神のご差配」
言葉の綾であろうが、神は近くにいるのだが。しかも創星神さまはナイの妊娠に関して口を出していないはず。
「創星神殿はなにも考えていなさそうだがな!」
いや、今私が告げた言葉の方が正しいだろう。グイーさまは地上のことに口を出すことはない。ただ美味い酒を楽しみながら飲みたいだけであり、神として振舞うことがないのだから。
「貴女……創星神さまに対して宜しいのですか?」
「さてな。これで怒りを買うのであれば、致し方のないことよ!」
片眉を更に上げたウーノに私ははっと息を吐いた。神と戦えるというのであれば光栄なことだし、負けたとしても神と手を合わせた者として私は歴史に残るであろう。それはそれで楽しそうだと私はアガレスの者たちと別れ、また探検に向かおうと森へ入っていくのだった。
◇
アルバトロス城の執務室で私は書類と格闘していた。
昨日、アストライアー侯爵家の家宰から連絡が入り『当主が妊娠しているかもしれない』という連絡が入っている。どうやら月のものが遅れており、可能性はありそうだということ。
しかし為政者たるもの、侯爵の妊娠に喜び勇んで公表するわけにはならない。身籠っていない可能性もあるし、流れてしまう可能性もある。赤子が生まれてある程度時間が経ってから発表するのが常であるが、アストライアー侯爵に関しては臨月あたりに公表しようと考えている。各国に対しても、少し間を開けて知らせる予定だ。何事も順序というものは大事である。
焦っては碌なことがないと、私は走らせている筆を止めた。執務室の扉から勢い良くノックする音が聞こえた。近衛騎士が警備をしているというのに、取次ぎもせず扉を叩いている者がいるようだ。
誰だと私が顔を上げると、近衛騎士と共に宰相がやってくる。どうやらノックをした者は宰相らしい。その宰相の手には一枚の紙が握られており、ずかずかと足を進めて私の前に立つ。
「へ、へ、へ、へへ、陛下ぁ!」
「どうした、宰相。落ち着け」
「お、お、お、落ち着いております」
全然、全く、落ち着いていないのだが……彼は平静だと言い張りたいようだ。否定しては駄目かと、私は一先ず乱れた息を整えろと声にする。
「あ、アストライアー侯爵が南の島で妊娠を発表されたようです!」
「ん?」
「アストライアー侯爵の胎に子が宿りました! ベナンター伯爵からの速報です!!」
宰相が言葉を変えて言い直す。いや、意味は分かっている。アストライアー侯爵が妊娠している可能性があると知らせが入ったのだから、特に驚くことではない。
ではないが……――南の島で発表したというのであれば、亜人連合国、ヤーバン王国、フソウ国、アガレス帝国には既に知ってしまったということではないか! そしてなにより、創星神さま方にも伝わっているのだ!!
どうしてそうなったと言いたくなるが、アストライアー侯爵は今年は国外の皆さまもお誘いしますと手紙が届いていた。侯爵は気を使って私にもこないかという誘いをくれていたが……辞退してしまっていた。もしかして、私は島に向かい祝った方が良かったのではと頭を抱えそうになってしまう。いや、しかし……創星神さま一家と他の星の創星神さまがいる場に行きたいと願う者は少ないはず。
そう。叔父上、ボルドー男爵やヤーバン王やフソウの征夷代将軍のような大らかな者であれば、勢い良く参加を表明するのだろう。
だが、私は彼らのような大らかさを持ち合わせていない。仮に島へと向かっていたとして……今頃はきっと場違いな感覚に苛まれていたことだろう。やはり行かない方が正解だと思うものの、皆がいる場でアストライアー侯爵妊娠の報を聞きたかったという思いもある。悩ましいと頭を抱えていれば、宰相が『陛下?』と首を傾げていた。
「そうか……めでたいことだ。皆に知らせたというのであれば、公表しても問題ないということであろう」
「おそらくは。しかし侯爵と相談した方が宜しいのでは?」
「勿論だ。彼女が領地へ戻れば、書状を出そう」
慶事だというのに、どうして頭を抱えることになるのだろう。臨月を迎えれば公表しようという腹積もりは、どこかへと吹き飛んでしまうのだった。




