1734:晩御飯までマテ。
――アストライアー侯爵領領都。領主邸、侍女長室。
ご当主さまが毎年恒例の南の島へと旅立たれた。私は侍女長として二週間、主の不在を守らなければならない。家宰もいるため気負う必要もないが、当主のいない広い屋敷はしんと静まり返っている。
私は他にもご当主さまから、ユーリさまの様子を気に掛けて欲しいと乞われている。乳母とアンファンがユーリさまの面倒を見ているため手は掛からないが、一日に何度か様子を伺いにいかねば。
他にも残っている天馬さま方の様子を伺うようにともお願いされているが、エルさまとジョセさまも島へと向かわれているため、どう残っている彼らと接すれば良いのだろう。
とにかく、仕事は丁寧かつ迅速に終わらせるべきかと私は一先ずユーリさまの部屋へと向かった。部屋に入れば、床の上でユーリさまは積み木で遊んでいた。朝、ご当主さまたちをお見送りしていたが、しばらく戻ってこないとユーリさまは気付くであろうか。なににせよ、二週間なにも起こらないようにと願いながら、私はアンファンと乳母と視線を合わせた。
ユーリの様子を見ていたアンファンに私は視線を合わせる。
「ユーリさまのご様子は?」
「もう直ぐお昼ご飯だと、機嫌が良いです」
アンファンが少しだけおかしそうな雰囲気を携えている。ユーリさまはご当主さまの異母妹故なのか、食事が楽しみでならないらしい。
同年代の子供と同じ量を食べているものの、侯爵邸の料理は美味しい。将来、口が肥え、夜会や晩餐会の場で『不味い』と口走らないようにならなければ良いのだが……いや、ご当主さまに似ておられるのだから、なんでも美味しいと食べる口になるかもしれない。余計なことは考えないでおこうと私はアンファンにひとつ頷く。問題なさそうだと告げて、ふとご当主さまが告げておられたことを私は口に出した。
「ご当主さまの話ですが、来年はユーリさまも南の島に連れて行くかもしれないと仰られておりました。アンファンも一緒に向かう心積もりでいなさい」
「承知致しました」
アンファンは少し驚きながらも、直ぐに話を受け入れて落ち着いて返事をする。侍女養成校を卒業した成果が彼女の態度で見て取れた。以前であれば『本当ですか?』と嬉しそうに答えたに違いない。自身の心を抑えて、平静を保ち命令を飲んだ姿はアンファンが学んできたことを活かせている証拠。私は小さく笑い、今度は乳母にも声を掛ける。
「貴女も行きたいのであれば、参加可能だとご当主さまが仰っておりましたよ」
「いえ、私は……」
「一年の時間があります。その間に答えを出せば良いでしょう。ご当主さまも無理にとは言わぬはずです」
乳母には迷いがあるようだ。本来、平民は暮らしている土地から外へと出る機会は極僅かである。貴族の者でも国の外へ出ることはかなり少ない。大陸を超えて海を渡り島へ向かうなど、本来あり得ないことなのだ。だというのにご当主さまは頻繁に旅に出ている。本当に規格外なお方だと私が目を細めていれば、乳母は少し困った表情になっていた。
「巨大な竜の背に乗るのは抵抗があります」
ああ、たしかに巨大な竜の背に乗るのは抵抗があると私は頷いた。まず、竜の背に乗るだけでも一苦労であろう。もちろん介助者がついているので登れるには登れる。
しかし空へと飛び立てば、果たして平静を保っていられるのかは分からない。未知のことだから乳母が神妙な顔になるのは仕方ないと、私は『時期になれば返事をください』と言い残してユーリさまの部屋を出る。
廊下を歩き侍女長室へ戻ろうとすれば、部下である侍女二人が話し込んでいる。仕事はどうしたと私が近づけば、彼女たちはぱっと話を止めて礼を執った。
「侍女長さま。お疲れさまです」
「お疲れさまです!」
侍女の二人が私の前で直立不動になる。
「お疲れさまでございます。二人してなにを話しているのですか」
さて、内容次第では彼女たちを窘めねばと、手を前に重ねた。二人は顔を見合わせたあと、こちらに向き直り言葉を放った。
「ご当主さまの月のものが遅くないかと」
「一ケ月以上遅れていますよね。少し前後することはありましたが……まさか、ねえ、と彼女と話をしていました」
二人の話にそういえばと私は考える。ご当主さまに初めてが訪れて、あまり時間が経っていないため不順について深く考えることはなかったが……言われてみると今回はたしかに遅い。
西の女神さまがご当主さまに普段は取らない行動を取っていた。ご当主さまは『気持ち悪い』と仰っておられた――大陸の女神さまに酷い言い様だが、ご当主さまである。特に深く考えておられないのだろう――が、もしかして西の女神さまはご当主さまの腹の中に子がおられるのを察知していた、と。
それならば西の女神さまの不可思議な行動に納得できる。いや、しかし西の女神さまとあろうお方が、赤子が誕生するからとご当主さまに過剰な態度を執るものなのか……人の身では測りかねると私は二人に『仕事に精を出しなさい』と告げて場を離れる。
「まさか……まさか!?」
長い廊下を歩きながら独りで呟いた。本当ならばめでたいことはない。しかし時期的にご当主さまは悪阻の症状が出てくる頃ではないだろうか。
「大丈夫でしょうか……」
気にはなるものの、戻ろうと思えば屋敷に直ぐ帰ってこられるはずだ。それに創星神さまもいらっしゃるのだから、なにかあっても乗り越えられるはず。ならば私がやるべきことは家宰に報告すべきだろうと、主不在の執務室へと私は急ぐのだった。
◇
コテージの部屋の割り当てやらを指示して、私も荷物を置きに足を踏み入れる。
クロたちは外で他の竜や幻獣や魔獣のみんなと挨拶をしている。彼らも彼らなりに付き合いがあるようだ。少し肩が軽いなと私は二つあるベッドの内の一つへ近寄った。
一年、使っていなかったであろうコテージの部屋は少し独特な匂いがしている。ダークエルフの皆さまが掃除してくれているから、埃やゴミは全くないけれど……なんと言えば良いのか、古い家に入ったような気分になる。部屋の窓を開けて振りかえると、背の高い赤毛の彼女が私を見ていた。
「ナイと同じ部屋」
へらりとリンが笑いながら、持ってきている荷物をベッドの上に置いていた。二週間という長丁場だけれど、着替えやらは洗濯を行うため必要最低限の量を持ってきている。
アリーさまは下着と着替えを数枚持ってきていただけで、小袋ひとつで済ませていたから本当に凄い。逆にウーノさまたちアガレス五姉妹の皆さまはいろいろと荷物を持ってきていた。着替えに化粧品に装飾品。遊ぶ品まで用意してくれているから、みんなで集まっても楽しいだろう。
「去年も同じだけれどね」
私もベッドの上に荷物を置く。中身は着替えと服くらいしか入っていないため荷解きはしない。そういえばリンとはずっと同室だと、私は彼女を見上げる。
「同じ面子がきているから、部屋の入れ替えしても良さそうかな」
くじ引きで部屋割を決めても良いのかもしれない。そうすれば、私は部屋割りに毎回悩まなくて済む。
「絶対に駄目」
私の提案にリンは速攻で却下する。
「はいはい。でも結局、みんなで雑魚寝になってるから、部屋の割り当てってあまり意味ないよね。本当に荷物を置いてるだけというか」
私が肩を竦めると、リンの両腕が伸びてきた。侯爵邸の私の部屋より狭いためか、リンはことある事に私に触れてくる。嫌じゃないけれど、サフィールを置いて良いのかなという気持ちがあった。まあ、なにかの機会にリンとサフィールが二人きりになる時間もあるだろう。カップルが形成されているから、独り身組は辛いかもしれないが。私はリンの腕を絡ませたまま、扉の前へと移動する。
「クロの所に行こう。ネルも待ってるだろうしね」
「ん」
短く返事をくれたリンを見上げれば、にこっと笑っていた。
「リンさんや、何故?」
気付けば私はリンにお姫さま抱っこをされていた。いつもより視界が高く、いつもよりリンの顔が近い。
「あの女神が良くて、私が駄目な理由はない」
リンが口をへの字にしているが、割と西の女神さまに対してのあたりが強いというか。女神さまに対して、そう口にできるのはリンだけのような気がする。私は女神さまに対して呆れ声やら、止める声を上げるけれど……リンのように敵意は出していないのだから。私はもぞもぞと動いて、リンの首に腕を巻き付けた。これでお姫さま抱っこは解かれるはずだと、リンの顔を覗き込む。するとリンは右腕に私のお尻を乗せて、左腕はお腹に伸びてきた。
「どうしてお腹撫でるの?」
「なんとなく。最近、ほんの少しだけナイがぽっちゃりしている。可愛い」
ふふとリンが目を細めながら笑っていた。たしかに侯爵邸に住み着いている黄金色の畑の妖精さんが最近、活発になっていて、お野菜系の料理が一品増えているのだ。
エルとジョセたち天馬さま方とジャドさんたちグリフォンさんに、屋敷に遊びにくる竜の方たちにもお裾分けしているのだが、それでも余る勢いがあるとか。しかしリンに『太った』と言われる日がこようとは。
「食べ過ぎてる……!?」
「ナイはたくさん食べるべき。折れそう」
先程の太ったという言葉と相反している気がするものの、確かに私はリンの腕に絞殺されそうになったことが何度かある。
「実際、折れそうになったのは何度かあるけれどねえ」
「ナイが心配掛けるから」
苦言を告げると、即リンに言い返された。いや、うん。折れそうになったのは、アガレス帝国に拉致された時とか、私の身になにか起きた時だったなとなにも言えなくなってしまった。このままではリンのペースになってしまうと、私は外へ出るようにと彼女にお願いする。すると片腕で私を抱いたまま、リンはすたすたと部屋を出てコテージからも出た。
するとクロは島に住んでいる小型の竜の方やエルとジョセとルカとジアとノールに、ジャドさんとクロエおばあたちグリフォンさんと一塊になっていた。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに、毛玉ちゃんたち三頭と松風と早風に権太くんも一緒だ。凄い光景だなと見惚れていれば、クロが気付いてピューッと飛んできた。
『なにをやっているの?』
「リンに抱っこされてる」
クロは私とリンの周りを飛びながら、どこに降りようかと迷っていた。リンにそろそろ下ろして欲しいと頼めば、私は抱っこから解放される。すると松風と早風も私たちの下へピューっと走ってきて、びたっと直前で止まりお座りをした。本当は飛び掛かりたいようだけれど、松風と早風の理性が勝ったようである。
「松風、早風、久しぶり。さっきはあまり話せなかったから……偶にはアストライアー侯爵邸の方にも顔を見せてね」
松風と早風の頭を撫でると、ゴロンと地面に寝転がってお腹を見せてくれた。私は両手で一生懸命に撫でていると、権太くんもこちらにきてくれた。
「フソウにもこいって言われとるで」
「通訳ありがとう。権太くんも久しぶり」
松風と早風はフソウでは神獣さまの仔として扱われているから、撫でてくれるのは嬉しいそうだ。ヘソ天も我慢しているとか。フソウの方たちが良くしてくれるのは分かっているから、文句を言うつもりはないが少し寂しいとか。権太くんがいるから毎日楽しいけれど、そこだけが松風と早風にとっての問題らしい。
「温泉の時はお世話になりました。権太くんもアストライアー侯爵邸に遊びにきてね。おもてなしはあまりできないけれど」
一通り話し終えたところで私は権太くんにお礼を告げた。
「おう! 機会見つけて行くからなー!」
権太くんは尻尾をふりふりしながらご機嫌に答えてくれた。彼らが遊びにきてくれたなら楽しいことになりそうだ。けれどその前に、今日の夜はいらっしゃいパーティーが開かれる。
ダークエルフの村の方たちと魚人の方たちが晩御飯をご馳走してくれるのだ。ぽっちゃりしたというリンの発言は気になるところだけれど、せっかく開いてくれるなら、ご飯は美味しく食したい。私はお腹を空かせて挑もうと決め、クロたちを残してリンに周りを散歩しようと告げるのだった。




